藤林 杏  クリスマスSS   サンタクロースからの贈り物


肌寒い風が街を颯爽と駆け抜ける、十二月の終わり。
街も、人も、そして自然さえも年の終わりと、まだ見ぬ新しい年を迎える為の準備で忙しい時期。

「なぁ、寒いんだけど」
「僕から毛布取り上げて言う人の台詞じゃないですよねぇ?」

厚手の服を着込んでベッドに寝転がり、漫画を読んでいる春原陽平。
制服の上に毛布を羽織って、春原と同じようにコタツで漫画を読んでくつろぐ岡崎朋也。
色気も、金も、食い気もない、あるのはただの寒気だけという学生寮の一室に、二人はいた。
そんな二人の間に、生産的なやりとりがあるはずもなく、二人の様子はどこから見ても休日に家で寛いでいるそれだった。

「クラスの奴等、今頃せっせと雑巾掛けでもしてるのかな? 馬鹿だよねークソ真面目に大掃除とかさ」
「さぁーな」

今日は高校二年生二学期最後の日で、つまるところ終業式が行われる日。
二人のそんな態度からは推測し難いが、春原の言葉通り今の時刻はすでに学校にいる時間だ。
つまり、二人は終業式と、さらにその後に行われる大掃除をもサボったのだった。

「なんか面白いことないかなー」

手にしていた雑誌を床へ放り出すと、春原は仰向けに寝転んで気だるそうに呟く。
すでに自他共に認める不良である春原の態度は、サボったことへの罪悪感は欠片さえ持っていないようである。
朋也はそんな呟きを気に留めずに、雑誌のページを一枚めくった。

「なぁー岡崎ー」
「……なんだ?」

春原が仰向きの状態から体を捻って、上半身だけ身を乗り出す。
名指しされていよいよ反応せずにはいられなくなった朋也は、相手をしたくないという気だるさを含めて答えた。
しかし、春原はそんな朋也の気などお構いなしに、同じ言葉を繰り返す。

「なんか面白い事ないー?」
「ない」
「即答ッスか……」

春原は雑誌から目を離さずに答える朋也を見てため息をつくと、窓へと目を向けた。

「おー……雪だ」

そこに見えるのは、窓の向こうでちらつき舞い降りる、小さな白い影たち。
窓の向こうの景色を白く染め始める今年初めての雪は、クリスマスイブの昼間に訪れた。
そんな光景を見ていること数十秒。

──ガチャガチャ!!

突然、ゆったりと流れていた時間を終わらせるかのように、扉のノブが荒々しく暴れた。
いきなりの音に二人はギョッとし、目を合わせると息を潜める。
そして恐る恐る扉へと目を向けた。

「あれ? いつも開いてるんだけどなー。まったく、何でこんな時だけ……」

扉の向こうから聞こえてきたのは、寮母である相楽美佐枝の声。
春原は安堵すると、意気揚々と扉の前へと移動して鍵を開けた。

「どうしたの? 美佐枝さん」
「…………あんたら、なんでここにいるの?」

呆れた表情をした寮母は、外の気温にも負けないくらいの冷めたさで、二人を見据えた。


     ◇     ◇


「それは借り物だから向こうの教室に持って行ってくれる?」
「あ、それはそのままでいいから」
「これは……こっちにしまっておこうか」
「おーい、委員長。これはどうする?」
「んーいらない物だから廊下に出してもらえる?」
「分かったー」
「杏ちゃん、これはー?」
「ちょっと待ってねー今行くから!」

長い紫髪を純白のリボンで巻いた女の子が、教室内を忙しなく動きまわりながら指示を飛ばす。

「みんな、あと少しだから気張っていこーう!」

おー、とクラスメイトが纏まって声を出す。
クラスの士気を高め、纏め上げているのは学級委員長である藤林杏。
テキパキと指示を出している光景はとても頼もしく、見事学級委員長の責務を全うしている。
しかし、そんな杏にも一つだけ悔やんでいることがあった。

「結局あの二人は来なかったねー」
「しょうがないんじゃない? 何て言ったって有名な不良コンビなんだし」
「そうそう。杏ちゃんも気にしない方がいいよー?」

クラスメイトである岡崎朋也と春原陽平。
校内でも有名な不良で知られる二人が、大掃除をサボったのだ。
一応全校生徒に悪名を轟かせている不良なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

「え……あ、うん。分かってる」

間違いなくサボるだろうから、今日は朝から徹底的に監視をしようと息巻いていたのだが、終業式すら来ないとは予想外だったのだろうか。
終業式が終わってから今まで何度か顔が翳り、そんな顔を友達に見られる度に励まされていた。

「そんなに落ち込まなくても、今日ちゃん頑張ってるんだから誰も責めたりしないよ!」
「あはは……ありがと」

クラスメイトの言葉に杏は乾いた笑いと共に返事をした。
そんな杏を見て、クラスメイトの顔が晴れるはずがない。
杏は、ハッとその気遣いと空気に気づいて、何か話題を変えようと周囲に目を配った。

「あ……」

窓の外に目を止めると、話していた友達もつられるように窓へと目を向ける。
歩み寄って窓を開け放つと、体を冷やす寒風と共に、ひとひらの結晶が教室へと舞い降りた。
真っ白に輝きながらも、手に取るとすぐに溶けてしまう儚い結晶たち。
それがだんだんと数を増やして、窓の外に広がる灰色の空に白いコントラストを与えていた。

「雪……ホワイト・クリスマスイブだね!」

振り向けば、教室にいる全てのクラスメイトが窓際へと集まっていて、幻想的な風景に心奪われているようだった。

「ほら、さっさと終わらせよう! 見惚れる気持ちは分かるけど、これが終わればクリスマスパーティーなんだから!」

杏が手を叩くと現実に戻ってきたクラスメイトは、そうだな! と気合を入れて最後の片付けに取る掛かり始める。

クリスマスパーティー。
教室の大掃除をする事を条件に、担任に頼み込んだのだ。
最初は数人の友達同士のクリスマスパーティーをしようと言っていたのだが、なぜか今はクラス全体での祭事になっている。
担任に頼み込むのは少しだけ骨が折れたが、期末テストもみんなで頑張ってクラス平均を上昇させたため、なんとか許可が降りたのだ。
楽しそうに教室をドレスアップしていってるクラスメイトの様子を見て、杏は頬を緩ませた。

「もうちょっとで終わりそうだから、あたしお菓子とか買ってくるね!」
「あ、私も行きたい! いいかな?」
「手伝ってくれる? いいわよ! あと一人くらい荷物持ちが必要ね……」
「あ、ハイ! 俺、行くよ!」
「荷物持ちよー? サボりたいなら教室にいた方が楽かもよー?」

杏は愉快そうに、名乗り出た男子にからかいの言葉をかける。

「そ、そんなつもりは……ない! うん、絶対!!」
「はいはい。どっちでもいいわよー。それじゃ荷物持ち君よろしくね!」

向かう先は商店街。少しだけ遠いが、バスで往復すればそんなに時間はかからない。
担任からパーティー費用を少しもらったので、ケチケチせずに使う事にした。

「それじゃ、行こっか! みんなあとの仕上げはよろしくね!」

任せろー! という心強い声を聞いて、杏たちは教室をあとにした。


     ◇     ◇


寮を追い出された朋也と春原は、白い息を吐いては散らしながら、人気のあまりない閑散とした道を歩いていた。

「おーサムッ!」

制服のポケットに手を入れながら歩くも、隙間から流れこむ容赦無い冷気で手が悴んでしまう。
そんな寒さをダイレクトに顔面で受けながら、自分たちはまだましな場所にいたんだなと二人は痛感する。

「うぅっ……なにも追い出す事ないのに……。帰ったら絶対にあのおっぱいで温めてもらうんだ……」
「仕方ないだろ。寮内の大掃除って言うなら」
「部屋の大掃除くらい僕一人で──」「無理だ。諦めろ」

春原が言い終わらない内に、朋也は即答する。
真っ先に飽きるか、逃げ出すかをして掃除が終わらないなら、自分でやった方が気が楽。そう考えての寮母の判断だという事は火を見るより明らかだ。

「ま、僕がいたら美佐枝さんの仕事奪っちゃうからね。仕方ないか」

朋也は得意気に言う春原の戯言を聞き流して歩を進める。

「で、これからどこ行くのー?」
「お前は学校に行きたいのか?」
「まさか。藤林杏に見つかれば殺されるって。まーゲーセンでいいんじゃない? 誰かいるっしょ」
「誰かって誰だよ」
「さぁ? うちの一年くらいはいるでしょ」

最近ゲームセンターでたかる事を覚えた春原は、朋也を追い越して悠然と歩き出す。
そんな事をしているとバチが当たるぞ、なんて忠告をするワケもなく、朋也は首に巻いたマフラーを隙間なく巻き直すと、気だるそうな面持ちで春原の後に続いた。

そして数十分後。
緑の木々が赤と白のイルミネーションで華やかに彩られ、ジングルベルの音楽で賑やかになっている商店街の一画。
朋也の予想通り、春原は今までの報いを受ける事になった。

「おい、てめー俺の後輩に何か用か? あぁ?」
「え?」
「先輩! 助けて下さい! この人両替機の前で待ち伏せして僕のお金を無理矢理──」
「あー! テメー何チクってんだよ!!」
「ヒッ!?」
「ほう。俺の前で後輩を恐喝するとはいい度胸だな──ってお前よく見ればお前有名な不良じゃねーか? 確か春原って言ったか? うちの後輩が何人か世話になったらしいな。金髪。お前に話があったんだ。引退する前に会えて良かったぜ。こっち来い。────ラグビー部伝統の仕込み技で性根叩き直してやる!」
「い、嫌だ! 岡崎! 助けてくれ!! って岡崎!? どこいったー!?」
「わけわかんねー事言ってないでこっち来いやー!」
「う……うわぁぁぁぁぁぁーー!!」

そうして、春原はアッサリと連れて行かれた。
引退前と言ってたので、もしかするとあれはラグビー部の三年生なのかもしれない。

「こりゃ寮に行っても暇になるな。雑誌でも買って行くか」

このまま時間を潰して寮に戻っても春原は倒れているだけだろう。
朋也はそう結論付けると、春原の連れていかれた方とは逆の方へ向けて歩き出した。


     ◇     ◇


「あのさ、藤林」

ゆらゆらと降る雪の中、バスを待っていると荷物持ちを買ってでた男子が、そのでかい体を縮めて杏に小声で話しかけてきた。

「ん? なに──」「シッ! もう少し小声で……」

杏の言葉を遮り、人差し指を口元にあてながら焦ったようにたしなめる。
その様子を悟って、杏は小声で答えた。

「なによ?」
「頼みがある。……誰にも言うなよ? 絶対だぞ?」
「はいはい。分かったわよ。で、何よ」
「実は……」

男はさらに身を縮こませて『内緒話』を始めた。

「えっ? ま、まぁ……そういう事なら少し位だったら構わないけど……」

一通り話を聞いた杏は、仕方無しに了承した。
と言っても、『何もしないだけ』なんだが。

「んー? 二人で何話してるの? まさか──」
「い、いや、何でもないんだ! はは……ほ、ほらバスが来たぞ!」

そう言って話題を逸らす目の前の男子は、心なしか顔が赤い。そして目に見えて落ち着きがない。
杏たちはバスに乗り込んで席に座る。
そして、男子の方へ視線を向けた。
明らかに何かを隠している感じで……はたから見れば、ただの挙動不審者にも見える。
しかし理由を知ってしまえば、確かに緊張しているのが手に取るように分かった。

──藤林が買い物をする時、少しの間あいつと抜けていいか? 最悪これを渡すだけでもいいんだ。

バスに乗る前に内側の胸ポケットに入っている『モノ』を、杏に見せた。
その時の男子の目は真剣で、優しさが感じられて、本当に彼女の事を考えているんだなという想いが伝わってきた。
だから、杏も了承したのだが。
そして了承した時、羨ましいという気持ちが自分の中にあるのを感じた。
別にこの男子の事が好きなわけじゃない。
真剣に想われている友達の事が、羨ましいと思った。
杏自身も何度か告白された事はあるが、イマイチピンと来なかった。
でも、今日みたいな雪の降るクリスマスイブに告白されるというシチュエーション。女であれば嬉しくない人は居ないだろう。
今日あいつがいないのはもしかして誰かに──。

「杏ちゃん? ボーっとしてるけど本当に大丈夫?」
「ん? あ、ごめん! 聞いてるよ!」
「もーほんとにー? でさー」

杏は少しだけ頭を出してきた焦燥感に蓋をして、友達との話を再開した。


     ◇     ◇


「ありがとうございましたー!」

商店街の入口付近にあるコンビニ店員の声を背に、朋也は外の世界へと一歩を踏み出した。
見上げた空は暗く沈んでいて、今にも落ちてきそうに感じた。
すでに雪は止んでいるが、肌を刺す空気は未だ和らいでいない。
そして、その寒さをさらに煽るように、商店街を吹き抜ける風が朋也の頬を叩く。

「あー……さみぃ……」

本日何度目の呟きになるか分からない言葉を口にし、何歩か歩くと不意に立ち止まった。
視線を下げて、手に持つ袋を確認。
右手に引っ掛けているビニール袋に入っているのは、あったか〜い缶コーヒー二本と、肉まんといくつかのおにぎり。
その袋を見つめること三秒。

「無理。限界」

近くの街頭に背を預け、徐ろにビニール袋に手を突っ込むと、缶コーヒーを掴んだ。
寒さで凍りそうな手が、缶が持っている熱でジンジンと温められていくのが分かる。
そんな一刻の幸福感に浸っている時だった。

「あれ? 朋也……?」

背後から聞こえた聞き覚えのある声に、朋也は缶を持ったままギクリ、と体を硬直させた。
振り返らなくても声の主は特定できる。
『朋也』と名前で呼ぶのは、朋也の知る限りでは一人。そう……今は一人だけ。
そして、そいつは今日一番出会ってはならないであろう人物。
もう、逃げられない、そう悟った朋也は覚悟を決めて振り返った──。

「あんた……なにしてんの?」

そこにいたのは、朋也が予想した通りの藤林杏だったのだが、なぜか驚きと戸惑いを混ぜたような表情をしていた。
なぜだか分からないが、杏は弱っている。逃げられるかも? と思った朋也は強気に出る事にする。

「別に──っと! 何すんだよ!?」

答えようとするも、いきなり詰め寄ってきて思い切りネクタイを下へと引っ張られる朋也。
何とか倒れるのを踏ん張ると、杏へ顔を向けた。
すると、先程の弱々しそうな表情はどこへやら。すでにその顔には怒りの感情があると読み取れた。

「あんた用に用意してた仕事だってあったんだから。前日に言ったでしょーが! なんでこんな所にいんのよ!」

今にも殴りかかってきそうな剣幕で言葉の弾丸を放つ杏。
そんな杏を止める人がいるはずもなく、二人を通り過ぎる人たちは怪訝な顔をしながら視線を送っていく。
これは世間体的によくない、そう判断した朋也は適当な嘘をでっち上げることにした。

「か、風邪を引いてたんだよ!」

咄嗟に口についた言い訳。
こんなの子どもでも騙せられない、そう思ったのだが、意外にも杏には効いたようだった。
その顔からは怒気が失せ、代わりに心配をしているような顔になる。

「えっ、そうだったの? 平気? 病院には行ったの?」

てっきり『大掃除も満足に手伝えない、社会貢献できないゴミクズはそのまま肺炎にでもなって、誰もない商店街の片隅のゴミ捨て場で野垂れ死ね』位の事は言われると思ったのに、と朋也はあっけに取られた。

「どうせ病院に行ってないんでしょ? 今は……二時過ぎならまだ病院は開いてるはずよね。冬はインフルエンザの可能性もあるからちゃんと調べないと……ほら、行くわよ!」

いつの間にか話はどんどんと先へ進んでいて、杏は朋也の手を引いて歩き始める所だった。
なんだ? 何が起こっている? こいつは誰だ? いや。何かの罠か? などと本人に聞かれたら八つ裂きにされかねない言葉が朋也の頭の中を駆け巡った。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

なんとか平静を取り戻し、杏の手を振り切る朋也。
本当の事を言うのは少々──いや、かなり躊躇われるが、病院で嘘がバレる方がマズい。
朋也は何発か殴られる事を覚悟して、真実を打ち明けた。

「何よ? その年で病院が怖いわけ? あたしだって忙しいんだからさっさと──」
「悪い。嘘だ」
「……え?」
「風邪なんて引いてない。ただのサボリだ」
「…………」

朋也の突然の言葉にポカンとする杏。
それも一瞬の事で、すぐに俯いて黙りこんでしまった。
無理もない、本当に心配したのにそれが嘘だったのだから。
杏にしてみれば、今ここで殴ってスッキリさせたいだろう。しかし、ここは昼間の商店街。
人通りのあるこの時間帯、この場所で公開処刑をするわけにもいかないようで、怒りに耐えているようだった。

朋也がこれからどうするかと杏を伺い見る。
そして、たっぷり五秒の時間をおいて勢い良く杏は顔を上げた。
怒っているはずなのに笑顔。朋也は不気味に思いながら、得体の知れない恐怖を感じていた。
ゆったりとした動作で、杏は朋也の赤いネクタイを掴む。
その動作は流暢で、しかし早く、朋也に距離を取らせる時間さえ与えなかった。

「イーチ……ニー……サーン……」
「な、なんだ?」

まるで、この押えきれない衝動をどうしてくれようか、という声が副音声で聞こえてきそうな怒りに満ちた声。
それはさながら、閻魔様が数える地獄へのカウントダウンならぬ──地獄へのカウントアップ。
杏の左手はがっちり朋也のネクタイを掴んでいて、未だ下ろされている右手は誰がどう見ても力一杯握りこんでいる。
杏の行動の意図が分からず、そして恐怖を感じながら戸惑っている朋也に、杏が数字以外の言葉を紡ぐ。

「赤いかき氷は好き?」
「え?」
「ローク……ナーナ……」

未だにカウントアップは続く。
戸惑っている朋也は、赤いかき氷? と思いコクコクと頷いた。

「イチゴ味のかき氷か? う、うまいよな! 冬に食べるとさすがに寒いかもしれないが──」
「良かった。ストップって言った時の数だけ……前歯折って……口いっぱいに雪を詰め込んであげるわ。ほら、赤いかき氷の出来上がり」

爽やかを通り越して、今年一番の冷え込みを感じさせる冷ややかな言葉。
天使のような笑顔で微笑む様が逆に恐怖心を煽られ、言葉の端々からは殺意が滲みでている。
いつの間にか、杏は歪な笑みを浮かべていた。まるで今までの鬱憤が晴らせて嬉しい、というように。

「待ってくれ! 俺が悪かった! おちついて 話しあおう! つまり、許してくれ! この通り! なっ!?」
「だーめ。…………許してあげない」

焦り顔で必死に拝み倒すように謝る朋也に対して、エンマ様の審判は揺らぐことなく、にこやかな顔で判決を言い渡す──その時。

「よー彼氏! 彼女に頭が上がらねーのかよー!」
「よせってーじじょーがあんだよーカレシにはよー」
「「ギャハハ」」

通りすがりの男グループに嘲笑の声がかけられる。
しかし、朋也はそちらの方へ視線を向けなかった。
馬鹿にされて悔しいからではない。
目の前の閻魔が視線を離した瞬間に、刑を執行するかもしれないからだ。

「あんたたちには関係ないんで黙っててもらえるかしら? でないと──」

機嫌が悪いのがまるで嘘のような笑顔で三人組の男たちへ視線を向ける。

「冬の川に簀巻きにして突き落とすわよ?」
「ヒィッ!?」

しかしすぐに形相を変え、聞いただけで凍えそうな言葉を口にする。機嫌の悪さはこれっぽっちも衰えていない。いや、むしろ悪化している気がする。
杏の剣幕に圧倒された三人のちゃらい男たちは、脱兎の如くその場から逃げ出した。

「…………はぁ。なんか興が削がれた。行くわよ」

溜息と共に、杏は仕方ないといった面持ちで、朋也のネクタイを引っ張った。
朋也は、どういう心境の変化が起きたのかと不思議がるが、そのまま逃げようという考えは起きなかった。ここで振り払って逃げても必ず捕まる。そして逃げたら収まった怒りを再発させることになってしまうと頭で理解していたからだ。

「行くってどこに?」
「いいから来なさい」
「うわ、引っ張るなって!」

強引な手によって、朋也は商店街の奥の方へと引っ張られていった。


     ◇     ◇


「さて。こんなもんかな?」

満足そうに頷く今日の傍ら。
先程まで持っていた袋がちっぽけに見えるほどに、でかい袋を両手に持たされた朋也は憮然たる面持ちで杏に説明を求めた。

「おい」
「何よ」
「これはなんだ?」
「サボった罰」

朋也の言葉をキッパリと一言で切り捨てる杏。未だ怒りが収まりきれていないのは明らかだった。
ならば、考える余地もない。

「分かった。それでこれをどこに運べばいいんだ?」
「学校」

これもまた一言で簡潔に説明する杏。取り付く島とはこの事かもしれない。
しかし、朋也もこの返答には難色を示した。

「……なんで学校?」
「この後、クリスマスパーティーをやるからよ」
「…………あー……帰る」

そんな事もあったな、と思い出した朋也はビニール袋を足元に置いて回れ右。
冗談じゃない。なぜ今更学校へ行かなきゃならないのか。第一、今学校へ行ったら先生に見つかって大目玉を食らう。わざわざ危険な場所に飛び込むバカはやらない。
今日が終われば冬休み。どうせ新学期が始まれば終業式の些細なサボリなんて忘れているだろう。
そこまで考えて、杏が少しだけ悲しみの目をしている事に気付いた。
朋也は目を凝らして、マジマジと杏の顔を見る。別に見間違いという訳ではない。
──もしかして……。
冬なのに春色の予感を頭を過ぎらせた朋也は、意外と可愛いやつめ、なんて思い口元が少しだけ緩ませる。そして同時に、杏の口が開いた。

「残念だけど……前歯折るしかないわね……いくつまで数えてたか忘れちゃったからこの際、全部でいいわよね」

そう、悲しそうに……呟いた。
朋也はひと足早い春なんて来てなかった──いや、もし来ていても極寒の風に吹かれて消えてしまっただろう今の状況を理解した。
つまり、すでに選択肢なんてないのだ。
朋也は沈んだ面持ちで足元にあるビニール袋を手に取る。

「分かった。学校だな」

その言葉を聞いた杏は、表情を一転。

「さっすが朋也。話が分かるわねー! 早く行かないとみんなが待ってるわよー!」

朋也が服従した事で気分が良くなったのか。スキップでもしそうな雰囲気で歩き始める。
教師の説教を受ける事を考えると頭が痛いが、目の前にいる委員長を今敵に回す方が深刻な被害を被る。
そんな事を考えながら、朋也はトボトボと歩き出した。


     ◇     ◇


気付けば杏が足を止めていた。
左右の重い荷物を揺らしながら、朋也は杏の元へと近づく。
そこにはネックレス、イヤリング、指輪などなど様々なアクセサリーが並んでいた。

「……早く行かなくていいのか?」
「ね、このネックレス良くない?」
「あーいいんじゃないか?」
「はぁ? 何その反応。張り合いがないわねー。可愛いとか綺麗だねとか似合うよとか少し位気の利いた言葉は出ないわけ?」
「あいにくと興味がないもんでね」

杏は少し苛立ちげに朋也を睨みつける。が、朋也の方も本当に興味がないのだろう。杏の視線にたじろがずにいる。
その態度に諦めがついたのか、杏は再びガラスの向こう側へと意識を向ける。

「サンタさんプレゼントしてくれないかしら……そうだ! ねぇ朋也…………ってなに、その目」
「サンタさんって……お前って夢見るお子様か?」
「失礼ね。サンタがいない事なんて知ってるわよ。でも、いる。最近くれないのよねーうちのサンタさん。というわけで、朋也。サンタさんにならない?」
「サンタにもアシナガオジサンにもなる気はない。ってかそんなに高くないんだから彼氏にでも買ってもらえばいいんじゃないか?」
「カッ──カレシ!? そんなの今いないわよ! っていうか今までだって………………そ、そうだ! ねぇ、今だけカレシに……ならない?」
「どう足掻いても買わせる気かよ。そもそも動機が不純だろ。それを買ったら即座に振られる結果しか見えん」
「そ、そんな事ないわよ!」
「どうだか」

朋也は杏の視線に気付かず苦笑した。
杏は目を伏せて、なーんだ、残念、と小さく呟く。
朋也はそんなにこれが欲しかったのか、と思ったが口に出さず、代わりに、ほら行くぞと杏を促す。

「そうね、みんな待ってるんだった!」

必要以上に明るくなったのは諦めがついたからか? と朋也は思うが、この話題を盛り返せば面倒な事になりそうなので黙って杏の後ろに続いた。



     ◇     ◇



深呼吸をすれば冷たく澄んだ空気が肺いっぱいに満たされる、そんな冬の寒さを感じさせてくれる風を受けながら、二人は学校への道を歩く。
大通りは帰りの学生で騒がしいので、二人は少しだけ外れた道を歩いていた。

「少し休憩させてくれ」

学校への道の半ばを過ぎた頃、息を乱しながら朋也は足を止めた。
人の居ない小道は冷たい空気も手伝ってか、声がよく響く。
朋也は荷物を近くのガードレールに下ろし、寄りかかると開放された手をさすった。

「情けないわねーまだ半分もあるのよー?」
「ならお前が持っていけばいいだろ……」
「うんー? なんてー?」
「……何でもありません」

杏の笑顔は本日限りの金箍児。朋也に逆らう術はない。
自己責任の産物なので仕方が無いのだが……いや、それでもやっぱり納得はできない。などという葛藤が朋也の頭を駆け巡る。
数十分前の嘘を付いた自分を殴りたい。そんな気持ちが透けて見えるほど苦い顔になる。
そして強く頭を掻いたあと、自分が持っていた小さい方のビニール袋から缶コーヒーを取り出して、カコッと小気味いい音を立てた。

「ねぇ、朋也」
「なんだ?」

まさに今口をつけようとした時、杏に呼び止められる。

「あ、ううん。何でもない」

今さっきの素敵な笑顔ではなく、今度は何か難しそう……というよりも不安そうな顔をしている。
おかしな奴だ。そう思って朋也はコーヒーに口をつけた。
そこで朋也は思いつく。
もしかして──。

「ほら、杏」

朋也はもう片方の手をビニール袋に突っ込むと、もう一本買っておいた缶コーヒーを杏に投げてみせた。
いきなり投げられた缶にビックリする杏だが、慌てながらもしっかりと受け止める。

「ビックリするでしょー!? なによコレ」
「それが欲しかったんだろ? やるよ。クリスマスプレゼントだ」
「え? あ、うん。ありがと」

そのまま缶コーヒーを開けると思いきや、杏は両手で包んだままそれに視線を落とした。
これじゃなかったのか? 朋也はコーヒーを飲みながら杏の様子を伺うが、これ以上杏の変化の原因が分かりそうもないので、視線を宙へと向ける。

杏も自分がいつもと違うと分かっていた。
今の得体のしれないモヤモヤは、缶コーヒーを貰うことで晴れるものではない。
『彼氏に買ってもらったらどうだ?』さっきの一言が頭から離れないのが一番の原因だ。
朋也はその言葉をどういった気持ちで口にしたのだろう。
それを考え出すと、必死に隠そうとしている気持ちが出てきてしまいそうだ。だけど止められない。
隠せないならいっそ──そう思って朋也を呼んでみたのだが、ふとある事に気付いてしまう。
結局、本人を問いただせない、ということを。
なぜなら、どうしてそんな事を聞くんだ? この言葉を躱せる自信がなかったから。
そうなってしまったらきっともうこの気持を抑えられない。
だが、気持ちを伝えたとして、ダメだったら──そう思うと、言葉が続けられなかった。
今の関係を続けられなくなってしまう。それは今までの経験上、分かること。
今まで仲が良かったのに、告白を断ると疎遠になり、話しかけても愛想笑いで返され、やがてはそこにいないように扱われる。
それは小さな歪み。それが大きくなり、やがて二つに裂かれ、それが修復できないということを杏は知っていた。
それを考えた瞬間──たまらなく怖くなり、喉まで出かかった言葉を引っ込めて、心の奥へと押しやったのだ。
一歩を踏み出せない臆病な自分自身に嫌気を覚え、杏は缶コーヒーを開けて喉に流し込んだ。

「にがい……」

口いっぱいに広がる苦味が、アンニュイな気分をさらに加速させる。


「杏。一つだけ……いいか?」

缶コーヒーを飲み終えたのだろうか、一息ついたらしい朋也は杏へと視線を向けている。
その目付きは真剣そのもので、何を質問されるのかと杏は息を飲んだ。
鼓動が早くなっているのが分かる。
次第に加速する血液の流れに呼応して、頭の中が真っ白になっていきそうだ。
まるで頭の中が大量の血液に満たされ、思考が溺れているかのよう。

「あのな」
「な、なに?」

クリスマスイブ。
人気のない場所で二人きり。
目の前には真っ直ぐな眼差しをした男が一人。
ふいに、さっきまで一緒だったクラスメイトたちを思い出す。
あの二人は今頃何をしているのだろう、うまくいったのかな──と。

「今からでも遅くはないと思うんだけどさ」
「な、何が?!」

押し込んでいたはずの気持ちが少しずつ頭を出してきているのが分かる。
もしかしてという考えが頭を過ぎる。

今からでもネックレスを買ってくれるのだろうか。
あれは冗談に過ぎない。本当に買ってもらおうとは思っていなかった。
けど……でも、今日はクリスマスイブ。クリスマスプレゼントとして買ってもらえたら……。

「あのな……言いにくいんだけどさ」

やだ、どうしよう。いつもより念入りに歯を磨いておけば良かった!
ちょっと、歯を磨いておけばなんて何を期待してるの!?
それとも──今からでも彼氏になってもいいとか言われるのだろうか。

「は、早く言いなさいよ!!」

まさか、と切って捨てられない自分がいる。少しだけ、ほんの僅かな可能性でも期待している自分がいる。
目を瞑り、覚悟を決め次の言葉を待つ。
そして……朋也は何かを決意するように大きく息を吸い込み、杏に言い放った。。

「やっぱり大通りに出てバスで帰らないか!?」

杏は朋也からの言葉を受け止め──ようとしたところで目を開いた。

「…………え?」

何を言っているんだろう、まず疑問に思う。

「いや、ここまで来てなんだけど、やっぱりこれ重いからさ。てか手が持たないわ。俺今金がないから杏貸してくれないか?」

次に理解できたことは、盛り上がっていたのは自分だけだということ。
そして頭はホワイトアウト。
一気に血液が引いて出来た白い大地はさながら、冷たい風と雪が吹き荒れ、全てが覆い隠された大雪原。
そんな冷たく凍える雪原から出てきた言葉は──。

「こん────の……スカポンターーーーーーン!!」






     ◇     ◇


「なぁ、悪かったから機嫌直せって」

朋也の一言の後、すぐに学校へ移動開始したものの、杏は黙ったままだった。

「ほんと、反省してるから! このとーり!」

スタスタと歩く杏の前に回りこんで、荷物を持ったまま頭を下げる朋也だったが、なんとか誠意を見せようとするも、お粗末な謝罪に見える。
かといって荷物を置きざりにして、歩く杏に謝罪なんて出来ないし、その逆、杏に止まってもらうなんて事は考えるまでもなく不可能。つまり八方ふさがりの状態。

「…………」

そんな朋也を見向きもせず、杏は一心不乱に前へと進む。
胸の鼓動が早いのは、早歩きをしているから。
顔が熱いのは、もらったコーヒーが熱かったから。
そう言い聞かせるように、杏は歩みを止まることなく進む。

「なぁって!!」
「うるさい!!」

しつこく食い下がる朋也へ、振り返ることなく怒号を飛ばす杏。
バスで帰らないことで、二人でいられる時間が少しでも増えるかな──なんて打算的な考えがあったが、今となってはとても馬鹿らしい事と反省している。

何を一人で盛り上がっていたのだろう。
何を……期待してたのだろう。
何で…………こんな奴の事──。

自問しても答えは見つからず、とにかくクラスメイトたちが待っている学校へと進む。
ふいに、一際冷たい風が二人を体を通り過ぎた。

「──ッ! さむい!」

思わず立ち止まり、震えながらつい寒さを口にしてしまう。
歩いて多少は体が温まっていても、本格的な冬の寒さが最大限に力を振るえば、たちまちに体温は奪われていくことを実感する。
そんな冬の猛威から身を守るために、両肘を抱え込んで歩こうとした──その時。
ふわっとした感触が首元を包み、次第に温かさが広がっていく。
振り向くと、朋也が仕方ないな、という顔で立っていた。
そして杏は気付く。その首にあったマフラーが無い事に。
そして手元にあるマフラーに目をやる。それは朋也がしていたマフラーで──。

「それ、貸してやる」
「え……だって──」「いいから! 使っとけ。寒いんだから」

うまく言葉に出来ない杏を尻目に、朋也は歩き出した。
先程まで収まりきらなかった憤りが鳴りを潜め、ずるいと思いつつも温かい気持ちが広がるのを感じた。
ぶっきらぼうで、不器用で、口が悪い。
でも。
今のようなさり気ない優しさを朋也は持っている事を知っている。

「朋也……」

その背中を見ていると、視界に白く、ゆらゆら揺れているものが映る。
白い雪。
今の冷たい風が知らせてくれたのか、雪が再び降り始めた。
白い息を吐きながら、目の前に降る雪に溶け込ますように、マフラーに顔を埋めて、その背中に向かって呟いた。

────好き。

直接本人に言ったわけでもないのに、心臓が暴れだす。全身に熱が駆け抜ける。体が緊張のあまり震える。
きっとこれが本当の今の気持ち。
嬉しくても、怒っていても、哀しくても、楽しくても変わらないたった一つの真実。
体の中から漲ってくる、押えきれない熱い衝動に突き動かされて、杏は走りだした。

「片方持つわよ!」
「うわっ! いきなり引っ張るな! どうしたんだよ、いきなり」
「もうすぐ学校じゃない。委員長のあたしが荷物持ってないと印象悪いでしょー?」

そう言って杏は笑った。
今日はクリスマスイブで、これからはクリスマスパーティー。

出た結論は、朝学校にいた時に考えていた事と何ら変わらない。
でも、昼間に気落ちしていた原因は──目の前にいる。
今日朋也に出会えたささやかな偶然に感謝をしながら、杏は口元に笑みを浮かべた。

──本当に、サンタクロースはいるかもね。


「さ、早く行くわよー!」
「あ、おい! 待てって! 杏!」
「あははっ! 待つわけ無いでしょー! このスットコドッコイ! 悔しかったら追いついてみなさいよねー!」

言うが早いか、杏は長い紫色の髪とマフラーを靡かせて走りだす。
その後を追って朋也も駆け出した。



その姿は、まるでサンタクロースからのプレゼントで喜ぶ、無邪気な子供のようだった。




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