けいおん!! ショートストーリー 天使にふれたよ






それは大学に合格したメールを可愛い後輩に送った帰り道の事。

「さーてこれからどうする?」
「なんか一気に気が抜けたな。どこかで休んでいかないか?」
「さんせー! おいしいケーキが食べられる所がいいなー」

律、澪、唯の三人がこれからやりたい事をあれやこれやと口にしていると、紬が大人しく何かを言おうとして我慢している様子に律が気付いた。

「どーした、ムギ?」
「あの……ね。お願いって言うか、やりたい事があるんだけど……」
「なんだ? 私たちで良かったら手伝うぞ?」
「もし良かったら……私のうちに来ない!?」

「「「え?」」」

「一度、お友達を家に呼んでみたかったの! 駄目……かしら?」
「いや、そんなの全然構わないけど……そっか。言われてみれば、まだムギの家に遊びに行ったことなかったな」
「それじゃーちょっとお邪魔しに行くか」
「ムギちゃん! おいしいケーキとかある!?」
「もちろんあるわよ! なんだか嬉しいわー!!」

紬のまるで星でも飛ばしているような笑顔を見て、そんな事でいいならいつでも言ってくれればいいのに。と三人は思った。
しかし、数十分後。三人は自分達の浅はかさに気が付くのであった。


     ◇     ◇


「あー」
「うわー……」
「おおー!」

紬の案内で到着すると、そこには高さ5メートル近くはある、まるで要塞のような、中世のお城にあるような鉄格子の門が四人を出迎えた。

「ちょっと待ってね」

どこか違う国に迷いこんでしまったのではないか? と呆けている三人の横で、紬は嬉々として携帯を取り出す。

「もしもし? 着きました。えぇ。迎えを用意してもらえますか?」
「迎え?」「迎えって言ったな」「誰か出迎えてくれるのかな?」
「お父様とか?」「今は昼間だからお母様かも知れないぞ?」「きっと妹だよー憂とかすぐ出迎えてくれるし」
「それはお前の所だけだろ」「そうだそうだ」「えー」

三人がこそこそ話している中、紬の電話は終わったらしく、笑顔で三人の方へと向き直った。

「みんなごめんなさいね。五分くらいで着くみたいだからちょっとだけ待ってね」
「え? 五分もかかるのか?」
「いきなりの訪問だからな。家の掃除でもしているんじゃないか?」
「ばかだなー澪ちゃんは。家の掃除はメイドさんがやってくれるんだよー?」
「お前の家ではメイドがいるの──いや、いたな」

いつものやり取りを見て、紬は会話が一段落したところで、微笑を浮かべながら説明をする。

「ちょっと車を出してもらうの。でもすぐ来るから安心してねー。ちなみに家の掃除は執事たちがいつもやってくれるからいつでも綺麗よ」

──さすがは金持ち!!

この時、全員の心の声が一致したのは言うまでもない。
そして、律は以前に紬の家に電話した時、執事が電話に出た事を思い出した。

「車が邪魔だったのか?」
「ううん? 車で迎えに来てもらうの」
「え? でももう家に来てるよな?」

澪が口にした当然の言葉に、紬は少しだけ苦笑する。

「えっと、車でこっちに来てもらうの。歩いたら十分以上かかっちゃうから」
「あーあー! なるほどねー! そっかそっかー………………おーい。ちょっとそこのふたりーこっちこーい」

紬の言葉に、律が笑顔で二人を呼び寄せると、作戦会議よろしく、紬を背にするとヒソヒソと話を始めた。

「おい、どうやら思っていた以上の場所に来てしまったかもしれないぞ」
「これってあれなのか? 案内と少しでも違う場所を歩いたらサイレンとかが鳴って怖そうなスーツ姿の人達に連れていかれるのか? 迷ったらどうしよう……」
「大丈夫だよーきっと」
「唯。お前のその気楽さはどこから──」

律の言葉を遮るように、甲高い鉄を擦る──扉が開く音が鳴り響く。
音がした方を見ると、少しずつ観音開きで開いていく門。
それが澪には地獄への門に見えて恐怖し、唯には遊園地のような門に見えて胸を踊らせ、律にはこれから攻め込む城門を思わせて緊張を走らせた。


     ◇     ◇


「広いなー」
「綺麗だなー」
「本当のお城みたいだねー」

車を走らせる事五分弱。
それはもう家ではなく屋敷と言える大きさの建物に入ると、三者三様それぞれ感想を口にしながら、紬の部屋へと向かっていた。

「なんか高そうな絵がたくさん掛けられてるな」
「絨毯の上を靴で歩くなんてテレビの中だけの話だと思ってた……」
「隠れんぼとかしたら楽しそうだねー!」
「隠れんぼ!? 唯ちゃん、それやりましょう! 日取り今から決めない!? むしろ今から!?」

目を輝かせて唯に迫る紬。

「待て待て待て、ムギ! 四人じゃ全然足りない。これくらいの広さなら十人以上は欲しいところだ。また今度にしよう! なっ!? それより早くムギの部屋に行こうぜー!」

スイッチの入っている紬を押しとどめて、律は案内を促す。
紬は少しだけ残念そうな顔を浮かべると、案内の続きに戻った。

(あー言ったけど大丈夫なのか? 今度本当にやりかねないぞ?)
(仕方ないだろ? あーでも言わないとこんな豪華な屋敷の中で隠れんぼだぞ? 迷い込んだらどうなる事か……)
(まぁ……そうだけど)

律と澪がヒソヒソと話していると、ふと紬が立ち止まり、後ろをへと振り返った。

「ここよ。ちょっと散らかってるけど、ごめんなさいね」

そう一言置くと、目の前にある扉を開けた。

「おー」
「お姫様みたいな部屋だな……」
「すごーい! ひろーい!」

そこに広がるのは、『お嬢様』という肩書きを裏切らない豪華な部屋だった。
天井にはシャンデリア。ベッドはキングサイズよりでかく、おそらく今いる四人が寝れる程に広い。
ベランダに出れるのだろうか、下から上まであるガラスの窓に、深海魚なのか、見たことのない魚や亀がいる水槽もあった。

「なんだかちょっとだけ恥ずかしいわ」

そう言って照れる紬。
部屋の中心にあるテーブルにはすでにいつものティーセットが用意されていた。

「さて、お待ちかねのお茶にしましょう」


     ◇     ◇


お茶会になってからは、いつもの自分たちを取り戻したのか、場所は違えどけいおん部の日常がそこにはあった。

「今頃あずにゃんは学校かなー」
「授業やってるだろうな」
「そう言えば梓ちゃんがいないお茶会は二年ぶりくらいになるのかしら」
「二年かーもうそんなに経つのか……なんだかあっという間だったなー」
「そうだねー。あ、むぎちゃん、そこにあるケーキも食べていいのかな!?」
「待てって唯。お前は本当にお菓子には目がないなー」
「うふふ。唯ちゃんはいつも美味しそうにケーキ食べてくれるから振る舞い甲斐があるわー」
「そういえばいつもムギにはご馳走になってばかりだな。ありがとう!」
「ううん! 私こそ、みんなと楽しい時間過ごせて嬉しいからいいの!」
「なんだかこうしてると、入部した時の事を思い出すねー」

唯が口にした一言に、律と澪が懐かしむように目を細めた。

「入部した時かー」
「懐かしいなー。そういえば、律が私の文芸部への入部届けを破いたんだっけ」
「えぇ! りっちゃんそんな事したの!?」
「だって澪が私に何の相談もなく決めるからさー。つい、な」
「全くいい迷惑だったな。そのあと、ムギが放課後の音楽室に来てくれたんだよな」
「合唱部の部活はここだと思って。初めは入る気はなかったんだけど、なんだか二人と一緒にいる方が楽しそうに思えて入部する事にしたのよね」
「そして、数日後にはけいおんを軽いカスタネットでもやる音楽と盛大な勘違いをした唯が来た、と」
「その節はお世話になりましたー」
「あの時は唯が凄くギター出来る人だって話してたけど、あれって結局誰情報だったんだ?」

澪の言葉に律はあからさまに視線を逸らした。
その様子に、澪は溜息をついて話を流す。

「思えばあの時が私達の始まりだったんだな……」
「あの時の写真飾ってあるのよ。ほら、あそこに」

紬の指差す壁の方へと全員が視線を向けると、そこには高そうな額縁が大切に飾られていた。
その中にあるのは、部活が続けられる事になった時の記念に撮った一枚の写真。
律は額しか写っていない、ピントも揃っていない、不恰好な一枚の歴史があった。
誰もが茶化すでもなく、過去を懐かしむ四人の間に、静かな時が流れる。

「本当に、懐かしいね」
「そういえば律。唯が入らなかったらけいおん部諦めてたのか?」
「いや? 唯が言った言葉を逆手に脅迫してた」
「え? あのー……りっちゃん? 私、何か脅迫されるような事言いました……っけ?」
「お前は私達が初めて人前でセッションしたっていうのに、『あんまり上手くないですね』って言ったんだぞ? だから『ならお前がけいおん部に入って、私達より上手くなって、誰もがお前の名前を知るくらいなアーティストになれよ?』って脅すつもりだった」
「なんかもう、色々無茶苦茶だぞ……」
「で、でも唯ちゃんはちゃんと入ってくれたから問題ないって事よね!」
「ま、そーゆーこと。良いんだよ良いんだよ。昔の話は水に流そうぜー」
「まったく……」
「入るって言って良かったー……」

そんな話を皮切りに、湯水のごとく湧き出す昔の出来事を肴に談笑は続く。

「唯のギターを買う為にバイトもしたな」
「合宿楽しかったわねー」
「さわちゃんに顧問をお願いしたよね」
「唯が百点取ったのには驚いたな」
「驚いたと言えば、澪のファンクラブが出来たりもしたなー」
「うっ……」
「クリスマスパーティーもやったわねー」
「初詣に行って、気が付けば学年が上がって……梓が入ってきたんだよな」

すぐ隣にある、もう一つの額縁に全員が視線を合わせる。
そこにあるのは梓を加えた五人の写真。
律が澪の肩に手をまわし、梓は控え目に、唯は椅子の後ろから身を乗り出して、紬はとても嬉しそうに笑う、そんなけいおん部の集合写真。

「あずにゃんが入部してくれた時は嬉しかったねー!」
「そうだな、初めて出来た後輩だし……。でも、律も唯もだらし無い所ばかり見せるから、あの時の梓不安がってたんだぞ」
「私なんてティーセット片付けるべきだーなんて言われて少し悲しかったわー」
「でも、あずにゃんはやっぱりあずにゃんだったよねー」
「なんだそれ」
「でも、うん。なんだかんだ私達に付き合ってくれたいい後輩だと思うぞ」
「けど……もう私達、卒業するのよね……」

紬の一言で、全員がハッとなった。
今日集まってここにいるのも、ハッキリ言ってしまえば大学の合格発表の帰り際の道草。
大学受験ということは、もうすぐ卒業する──全員が大切に想っている大事な後輩、梓との別れが近いという事。
その事実を目の当たりにしてしまい、全員は先程の楽しさが嘘だったかのように、重苦しい雰囲気になってしまった。
最初こそ文句が多かった梓。
今でも小言は言われるが、先の学園祭で今までにない一体感を一緒に味わった。もっと一緒にこの感覚を共にしたい。ずっとずっとけいおん部を続けていきたい──誰もがそう思っていた。
だが、時間の流れは無情で。どんなに足掻いても、何もしなくても別れの時は必ずやってくる。

「なんかさ。いつまででもこんな時間が続けばいいって思ってたよな」
「そうだな。合宿とか夏フェスとか……学園祭の時もそう思ってた」
「さわちゃんの言ってた事本当だったねー」
「先生って……何か言ってたの?」
「『一年なんてあっという間だぞー!』って」
「あーそういえば……新入生勧誘する時そんな事言ってたなー。ってかよく覚えてんなー唯」
「結局梓一人にけいおん部を任せる事になっちゃうのか……なんだかちょっと心苦しいな」
「そーだ! 私たちで今から部活勧誘やっちゃおっか!」
「さすがに今は遅いと思うけど……。ねえ、それだったら私に提案があるの!」

紬の言葉に全員が興味の視線を向け、耳を傾けた。

「梓ちゃんに贈り物をするのはどうかしら?」


     ◇     ◇


「えーと、第……何回だっけ? とりあえず九回辺りでいっか。第九回けいおん部企画会議を行いたいと思いまーす」
「いえーい! パチパチパチパチー」
「パチパチパチパチ〜」
「適当すぎるだろ」
「今回の議題は梓に何か贈り物をしようという議題です! はい! 何をあげたらいいと思いますか! 唯から!」
「え!? いきなり私!? んーじゃーねー……んーと……かつおぶし!」
「却下。折角の後輩へのプレゼントなんだから真面目に考えろよー。次は……ムギ!」
「はいっ!! メッセージ入れた色紙なんていいと思います!!」
「おぉ……まともな意見だ……」
「私、部活の後輩に何かを残して行くって憧れてたのー!」
「いつも思うんだが、ムギはそういう知識をどこから仕入れてくるんだろう……」
「さー? でもまともっぽいからいいんじゃね? はい、次はみおー」
「え? えーっと…………カワイイ服なんてどうだろう……」
「なんか部活の後輩に贈る物っていうより澪個人があげたいものみたいだな」
「仕方ないだろーいきなり思いつかないんだから。そういう律はいい案あるんだろうなー?」
「私? えーあーんーっと…………マラカス?」
「私達はけいおん部なんだぞ! マラカス渡してどうするんだ!!」
「ヒィー! みおが怒ったー」
「あ」
「どうしたの? 唯ちゃん」
「けいおん部ならけいおん部らしく歌を送るって言うのはどうだろ?」

「「「……………」」」

「あれ?」
「……盲点だった」
「確かにそっちの方がいいわね」
「というか唯がまともな意見を出したことに私はショックを隠せない」
「りっちゃんひどいよー!」
「よーし、梓には歌を送ることに決まりましたー!」
「わーパチパチパチパチー」
「なんかムギノリノリだな……」
「はい、そこ! 私語は慎む。次に曲名を決めたいと思いまーす! んじゃ澪からー」
「え? 私か!? 少し考える時間とか置かないか?」
「それもそうね。お茶新しく入れ直すわね」
「あ、ムギちゃん! お菓子も新しく置きませんでしょうか!?」
「ふふっ。そうね。そうしましょうか」
「本当に食い意地張ってるなー唯は」

唯の言葉に苦笑する全員。
紬は立ち上がると、お茶を入れ始めた。


その後、再び何気ない雑談をして一息つくと、律が立ち上がり、全員を見回した。

「さて、もうみんないいかなー? じゃんじゃんいっくぞー! はい、澪!」
「えっと……ちょこっとチョコレートと、メロンソーダであなたにメロメロって考えたんだが……」
「却下。次! 唯」
「えーなんでだよー!」
「(スランプ?) んーと、大好きあずにゃん」
「それお前の感想じゃないかー。次、ムギ!」
「えっと、世界征服あずさちゃん!」
「世界征服とかどんな歌にするんだよ!」
「それじゃー学校征服あずさちゃん!」
「キラキラした目で言うな! 梓になにを求めてるんだ! ムギはー!」
「じゃー律はどんな曲名を考えたんだよ」
「苦労人部長とかお説教部長」
「おい、律。大切な後輩に贈る歌なんじゃないのか。夢も希望もないじゃないか。もう少し梓を想った曲名を考えるぞ!」
「お前が言うか……。よーし、それじゃー梓についてみんなの想いを言って行こうか」
「ほっぺたが柔らかくて気持ちいいよねー」
「それを知ってるのはお前だけだがな」
「けいおん部が私たちの代だけで潰れないのは梓ちゃんのおかげよね!」
「確かに。救いの女神って感じだな」
「えーあずにゃんが女神? それはちょっとおおげさだよー。もっと可愛くしよーよー」
「あっ、天使とかどうかしら?」
「なるほど。救いの天使か」
「でも部員を来年の新歓で入れないと廃部になっちゃうよな……」
「じゃー見習い天使って所で」
「大丈夫だと思うわよ? 梓ちゃんしっかりしてるし、もしかしたら今よりもっとたくさんの部員を集めるかもしれないし」
「しっかり天使に昇格しておくか!」
「天使から……離れろッ!」

澪は煽るように天使を連呼した律に制裁を加えると、再び話を戻す。

「曲名………………まんまるマシュマロはどうだ──」「却下ー! ってか後輩を考えてのその曲名なのかよー!」
「いや、唯が柔らかくて気持ちいいって言ってたから」
「駄目だな。次ー唯!」
「サバイバルあずにゃん!」
「……その心は」
「部員を入れるまで学校でサバイバル生活を送るあずにゃん……」
「あーいや、もういいやー。ムギーそろそろビシッと決めてくれー」
「任せて! 中野ビックソウル!」
「「「………………」」」
「律はどうなんだ?」
「頑張れ新部長!」
「分かった。まともに考える気はないんだな」
「なんだよー! 決め付けるなよー!!」
「ねーりっちゃん」
「おっ! どうした唯! まさか良い曲名思いついたのか?」
「トイレに行ってもいいですか?」

そんな唯の言葉で、律と澪はうな垂れるのだった。



結局全員が手洗いへと向かい、その帰り道。

「ほんとムギちゃんの家はでっかいねー」
「なんだかごめんなさいね。いきなり家に呼んじゃって……」
「いや、気にするな。私たちもムギの家に行ってみたかったんだし」
「そーだそーだ! ……って唯? どした?」

急に何かに魅入られたように立ち止まった唯。
その視線の向こうには一枚の絵画があった。
二人の天使が、一人の女性をまるで祝福するかのように飛んでいる絵。
唯はその絵を食い入るように見ていた。そして、一言。

「ねーねー天使って触れるのかな?」
「「「は?」」」
「天使って空想の生き物なんだよねー? そういうのって触れるのかなって。あずにゃんは触れるし、どうなんだろう?」

唯の突拍子も無い発言。
たまに出る唯の感性に付いていくのは困難だと考えている三人はとりあえず当たりない会話を続けることにした。

「触れるんじゃないのか?」
「んーそしたら実在する生き物にならない?」
「じゃー触れない」
「幽霊みたいな存在になるのかしら?」
「天使が幽霊か……澪の後ろにも……ってあれ? 澪?」

律はいつも通り澪を驚かせようと振り向くと、先ほどの唯のように、澪が絵画を仰ぎ見ていた。

「おーい! みおー? 戻ってこーい」
「曲名……」
「ん?」
「曲名だよ……天使に触れたよって良くないか?」

澪の発言に一瞬きょとんとした三人だったが、顔を見合わせて笑顔で頷くと、足早にムギの部屋へと戻っていった。



     ◇     ◇



「聞いて欲しい曲があるんだ」

卒業式。
我慢して──我慢が出来なかった胸の内を晒してしまい、先輩に情けない姿を見せてしまったと思っていた梓に、澪は最後の始まりの言葉を口にした。
高校生活最後の曲。
大切な後輩の為に、曲名を決めたあの日から四人で考えた想いの詰まった歌。
この歌が放課後ティータイムの最後の曲。
高校生という枠組みの中での、最後のティータイム。その締めくくり。

「あずにゃんの為に作ったんだよ」

笑顔でそういう唯に、梓は胸にせまる熱い気持ちを感じる。

「こっちにおいで」

そう手を差しのべる唯。
その手を取り、温かな笑顔と、少しだけ堅くなった指先を感じながら、梓はソファーに腰を掛ける。
それぞれの持ち場につくメンバー。
梓は、どんな曲を演奏するんだろう、それが気になったがすぐに、何も考えずに曲だけを聞こう、と居住まいを正した。

そして──曲が始まってからは、まるで二年前に戻ったかのような錯覚を感じた。
唯と梓のツインボーカル。
そう思っていた梓の虚を突くように、律がドラムを叩きながら歌い上げる。そして、同じように紬も──。
全員がワンフレーズずつ、楽しそうに──本当に楽しそうに歌う姿が、梓の見た新歓ライヴを思い出させる。

──あの時も、楽しそうに、そして何か胸に訴えかけるような音楽をしていたっけ。

その事を思い出すと、次々と思い出が蘇っていく。
ライヴに感動して部活に入ったこと。
ステージ上と部活のギャップに悩んだこと。
合宿でちゃんと真剣に音楽に取り組んでいるんだと知ったこと。
初めての学祭ライヴはドタバタしてて、完全燃焼とは言えない出来だったけど楽しかったこと。
初めての新歓ライヴは初めて万全に挑んで、最高の演奏が出来たこと。
けど、結局新入部員は入らなくて、それを心配して先輩がトンちゃんを買ってくれたこと。

そして──今までで最高に盛り上がった……最後の学園祭ライヴ。

いつもこの五人で放課後集まって──
いつもこの五人でお茶して──
いつもこの五人で演奏して──
いつもこの五人で笑って──

この音楽準備室で過ごした、素敵な先輩たちとの思い出が蘇っていく。

気が付くと、梓の目元には思い出の雫が溜まっていたが、目元を拭うことはしなかった。
今の四人の演奏を心に焼き付けるように、しっかりと自分の胸に刻み付けるように、目を離さずに耳を傾ける。

だが、それも一つのフレーズによって崩され、拭わなければ前が見れないほどに涙が止めどなく溢れた。

『大好きって言うなら大大好きって返すよ』

唯が笑顔でいつも言う言葉。
律がおちゃらけて言う言葉。
澪が恥ずかし気に言う言葉。
紬が真剣な様子で言う言葉。

そして、梓が今まで口にできなかった言葉。

大切にしてくれた先輩たちに伝えたい事があって、でもなんて言えばいいのか分からなくて、卒業するっていう実感が持てなかった今日までの日々。

おめでとうございます────そう、なんだけど違う気がする。
ありがとうございました────きっと、これだけじゃないと思う。
まだ、何かが足りない。

そんな事を今の際まで考え、その答えが今、ハッキリと分かった。

ただ一つ。
伝えたかった言葉はただ一つだったんだと、梓は胸の中で確信した。



     ◇     ◇



「よーしこれより、中野梓への引き継ぎ会を行いたいと思いまーす!」
「いえーい! パチパチパチパチー!」
「あの……いいんですか? こんなにご馳走……」
「お菓子しかなくて申し訳ないんだけどね。でも、今日は最後だから気合入れてたくさん持ってきたのー」
「本当に……たくさんだな」

全員が机を囲むように座る目の前、机の上にはまるでバイキングフェアよろしく、様々な洋菓子が並んでいた。

「いいじゃないの。めでたい日なんだから」
「あの……私もここにいていいんでしょうか?」
「のどかちゃんも一緒にお茶しよーよー!」
「そうそう。さわちゃんも気にしてないんだし」
「部活に顔を出して可愛い部活の教え子を見送るんだもの。少し位の時間はあるわよ」
「なら……お言葉に甘えて。いただきます」

引き継ぎ会というのが建前で、やっぱり最後はこうなるんだろうな、と予想していた梓は最後の『放課後ティータイム』を満喫していた。

「梓、知ってるかー? 唯も初めて私たちの演奏を聞いた時、あんまり上手くないですねって言ったんだぞー」
「え? そうなんですか!?」
「あーりっちゃん! そんな事今言わなくてもー」
「唯ったら、そんな事言ったの?」
「だーってー感想聞かれたらつい、本音がポロッと……」
「そんな事言うのはこの口かー!」
「あーいーやーめーてー! あずにゃん助けてー」
「自業自得ですよ、唯先輩!」
「そんなー」
「あははっ」

楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、さわ子が一時間ほどで部室を後にすると、それを終了の合図にしてお開きの流れとなった。
全員が校舎を後にし、校門へと歩く。
この時間が終わってしまう、まだ何も言っていない……何か言わないといけない、でもどうやって引き止めればいいんだろう、と梓が考えを巡らせていた時、突然律に名前を呼ばれた。

「梓」

突然の律の呼び掛けに、一歩先を歩いていた梓は振り返える。
そこには律が右手を顔の高さまで掲げ、何かを待っていた。

「えっと……? どうしたんですか?」
「分からないか? ほら、こっちへおいで」
「はい」
「よし、そしたら私と同じ格好をするんだ」
「こう……ですか?」

律の格好と同じように、右手を掲げた梓は不思議そうに自分の右手を見て、次に律の顔を見た。
何かを企んでいるような笑みを口元に浮かべながら立っている律に不安を覚えた梓は、恐る恐る疑問の言葉を口にした。

「何をするんですか?」
「知りたいか?」
「えっと……はい」
「それでは教えてあげよう。こういう事だよ!」

説明するのかと思いきや、律は思い切り振りかぶると梓へと向けて──。

「ヒッ」

打たれる! そう思って目を瞑った瞬間、パンッ! と乾いた音が、春の訪れを匂わせる柔らかな空に響いた。
動揺して何が起こったのか分からなかった梓は、目を開けて自分の手に視線を落とす。
今叩かれたのは自分の手で、少しだけジンジンと電気が走ったように痺れ、ほんの少しだけ赤みがかっていた。
その理由は────。

「バトンタッチだ」

歯を見せ、悪戯っ子の笑みを浮かべながら律は爽やかに告げる。

「これで、梓は晴れて新部長だ。おめでとう!」

続けて言う言葉を合図に、他の三人が手を叩いて新しい部長を祝福した。

「え……え?」

未だ事情が飲み込めていない梓は困惑して、自分の手、律、そして拍手をしている三人へと順に視線を送る。

「これからのけいおん部、宜しく頼んだぞ」
「あ……」

──頼んだぞ。
その言葉に梓は本当にこの楽しかった時間が終わるのだという事を痛感した。

「梓になら安心して任せられるからな」
「また遊びに来るわね」
「私も絶対絶対ぜーったいに遊びに来るからね! あずにゃん!」
「唯は本当に遊びだけの為に来そうだなー」
「そんな事ないよー!! りっちゃんひどいよー!」

そんな最後も変わらない姿で居られる先輩たちを見て、梓は意を決した。
伝えなければ──。
自分の想いを、どんなに感謝しているかを、楽しかった高校生活をくれた四人にお礼を言わなければ──!
そう思った梓は、とっさに口を開いた。だが……。

「あ、あのっ!!」
「ん? どうしたの? あずにゃん」
「絶対……」
「え?」

「絶対にけいおん部は潰させないです!」
「おう、頼んだぞ!」

律が梓の頭にポンッと軽く手を乗せて、横を通り過ぎる。

「今よりもっと……もっと部員の数を増やしてみせます!」
「きっと賑やかな部活になるんだろうな」

澪が肩に手を置いて、梓の横を通り過ぎる。

「今よりもずっと! 演奏も上手くなります!」
「梓ちゃんならきっと出来るわ! 頑張って!」

紬が頭を撫でて、梓の横を通り過ぎる。

「だから……だから────来年、絶対に学園祭来てくださいね!」
「うん、学園祭のライヴ楽しみにしてるね!」

そして、唯がいつものように、梓を抱きしめた。

「頑張れ。あずにゃん」

唯は耳元でそっと囁くと、体を離して三人が立つ場所へと歩く。
三人がいる場所はすでに門の外。
梓は門の中に残り、奇しくも四人を見送るような立ち位置だった。
だからだろう。きっとこれが先輩たちを送り出す最後のやり取りだと悟ったのは。
梓は嗚咽しながらも、辿たどしく言葉を紡いでいく。

「また……ウッ……ヒック、けいおん部に……入りたいって……っく…………思わせて、あげますからっ!!」
「言わせてみろっ! 新部長!」
「私たちを羨ましがらせて見せろ! 部長!」
「私たちを超えていってね! 部長!」
「あずにゃんになら出来るよ! 部長!」

──違う! 本当に伝えたい事はこんなんじゃない!

梓は目元を乱暴に拭い、背筋を伸ばして、校門の向こうにいる先輩へ向き直った。そして──言い放つ。

「先輩方!!」

言えなかった想いを──

「ご卒業おめでとうございます!!」

伝えたい言葉を──

「そして、ありがとうございました!!」



素直な気持ちを────




「わたし! 先輩たちが、大、大、大好きです!! ずっと! これからもっ!!」







────おわり。











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