藤林 杏  誕生日SS






高校二年生に上がって、最初の土曜日。

「ごめん。あんたの事……そんな風に見れないや」

スポーツをすれば黄色い声が飛び交い、筆を持てば賞をもらうほどに達筆。
勉強も出来て顔も良くて──。
そんな奴に、呼び出しを受けた。

「これからも……さ、このまま仲良くやろうよ」

高校一年の時に仲良くやってきた男子。
人から羨まれるような、そんな男子とも周りと等しく仲良くやってきた。
でも、付き合うという考えはまったく、これっぽっちも考えてなかった。
だからあたしは彼の気持ちに応えられない。


“友達”


あたしは友達以上の関係なんて別に望んでなかった。

…………ちょっと違うかもしれない。

付き合うとか、付き合わないとか。
そんな関係で行動の制限をされたくなかった。


友達でも仲良く遊びに行ける。

友達でも仲良く軽口を言い合える。

友達でも……仲良く一緒にいられる。


それでいいじゃないか。
友達でいても、付き合っても同じように楽しい時間が過ごせるじゃないか。
付き合う事をすればきっと制限されると思う。

他の男と一緒にいたら気分を悪くさせるだろう。
お互いの都合も合わないと不満に思うだろう。

だから、あたしは友達でいたいという旨を伝えた。
楽しい時間はお互いの関係に依存する事なく過ごせるのだから。
笑い合えて、心地の良い時間を過ごす。
そんな素敵な事を二人だけでなんてもったいない。
たくさんの人達と過ごした方がみんな幸せじゃないか。

「うん、ごめんね」

だから、分かって欲しい。
男と女の友情は成立するんだ、と。
そう説明しても、今までの人達みんな聞き入れてくれなかった。
目の前にいる彼も、同じように例に漏れない。

「うん、また明日……ね?」

今まで仲の良かった“友達”が返事もなく背を向けた。

──きっと彼も明日から疎遠になるんだろうな。

遠ざかる背中を見つめながら、あたしは心のどこかで冷たく寂しい風を感じていた。













     2008年  藤林杏誕生日SS    出会いに吹く風













「ただいま!」

「お帰りなさい、お姉ちゃん」

玄関の戸を開け、迎え出てきたのは妹の椋。
どこか気まずそうにしている様子からすると、多分友達とかから聞いたのだろう。
この子はいつもそう。
あたしの事をまるで自分の事のように心配してくれる。

「ただいま、椋。どうしたの? そんなに暗い顔して」

あたしはいつも通りの藤林杏を演じる。

そう、“いつも通り、何もなかったよ”と。

遠まわしに椋にそう告げた。

「……ううん、お帰りなさい。お姉ちゃん」

気が引けてるのか、はたまた優しさゆえか。
それ以上の事は何も口にしないで立っている。
ただ、あたしの顔を見たり少し逸らしたりと目線が落ち着いていないようだ。

「ほーら、そんなに暗い顔してないでリビング行こう? あたし喉渇いちゃったー」

「あ、私麦茶出すよ」

「ん、ありがとう」

次の行動が決まって、弾けた様にキッチンへと走り出す椋。
どちらにせよ無用な詮索をしないでいてくれるのはありがたい。
椋に助け舟を出してる辺り、やっぱりあたしも椋の事は言えないな、と嘲笑する。
そして、あたしは椋の態度に感謝しながらリビングへと入っていった。










──バタン。

自室のドアを閉めてため息を一つ。
カバンを放り出して制服のままあたしはベッドへダイブした。

「なんかめんどくさいな……」

制服が皺になるかもしれないが、そんな事を気遣ってもいられない。

「はぁ」

何も考えられなくて、ただの虚無感に襲われてため息が漏れる。
こんな時は外へ出よう。
少しは気分が晴れるかもしれない。

あたしは心の中でよしっ、と決意すると着替えを始めた。


ものの数分で着替えを終え、ついでと言ってはなんだが、いつものお供を従える為にリビングへと足を向ける。

「ぼたーん?」

おそらくリビングにいるであろう、あたしの可愛いペットの名を口にする。

「ぷひぷひ」

あたしの声に機嫌よく返事を返してくるボタン。
頭の上まで持ち上げてそのつぶらな瞳を見つめていると、黒い瞳が揺らいでいるのが分かった。
ボタンは……悩みとかあるのかな?

「ボタン」

「ぷひ?」

「……ううん、散歩に行こうか!」

「ぷひ!!」

元気良く返ってきた返事に、あたしは少しだけ笑みが零れた。
ボタンに聞いてもしょうがないのにね。
玄関へと移動して、サンダルを履く。
そうしてあたしは冷えたドアノブを捻り、外へと足を踏み出した。







「ぷひー」

生き生きと駆け回るボタンを眺めながら、あたしはボーっとしていた。
何かを考える訳でもなく、本当に頭の中を空っぽにしてボタンの動きを追う。

「なんか……」

外に出てきただからだろうか?
少しずつ元気が出てきた気がする。
今なら……そう、不良少年でも更生させる事が出来そうだ。

「あ、そういえば……」

今日も遅刻してきた不良。
名前なんてって言ったっけ。
連れの金髪頭と何か仲良さそうだけど……あいつらを更生させてやろう。
うん、そうしよう。決めた。

幸い、クラス委員長になったんだし、もし更生させたら教師受けも良くなるんじゃないかな?


かくしてあたしの計画は幕を開けたのだ。








     ◇     ◇




次の月曜日。
朝から気合いを入れて教室に望んだ。
しかし、完全に忘れていた。

二人とも遅刻魔だと言う事を。

とりあえずこの怒りはどうしてくれよう。
いいや、もう八つ当たりしてやろう。

更生はそれからだ。







昼休み。


──ガラッ。


後ろを振り向くと、誰に挨拶するでもなく黙って席に向かう“不良”の姿が見えた。

「あんたさー」

あたしは席に着くなり机に突っ伏した奴の髪を引っ張り上げながらコミュニケーションを開始した。

「イテテ……何すんだよ!」

「凄んでも怖くないわよ」

「髪の毛引っ張り上げられたら誰でも不機嫌になるだろうが!!」

「そ」

あたしは一言……むしろ一文字でこいつの言い分を切り捨てる。

「喧嘩売ってんのか?」

「いくらで買うのよ?」

「…………はぁ、もういい。あっち行け」

ため息をついて、シッシッと手で追い払う動きをしている。

結局不良って言ってもただの腰抜けか。
あたしは少しガッカリした。
もう少しまともな不良なら色々と制裁できるのに、なんて思いつつ。
でも、あたしはどかない。
不良が再び顔を伏せようとした時、あたしは目の前の席に腰を下ろした。
その行動が意外だったのだろう、こちらへ目線を送ってくる。

「何してるんだよ」

「別に。ねぇ、あんたさーなんで不良やってんの?」

「……別に不良じゃねーよ」

「だって不良なんでしょ?」

「なら不良でいい」

「はぁ?」

いまいち要領が得ない。
あたしは少しだけ興味が湧き始めた。

「とにかく、俺に近づくな」

その言葉であたしは笑ってしまった。

「なにそれ、『俺は危険だぞ』って事? お生憎さま。あんたにやられるようなたまじゃないわよ」

「ちげーよ。俺は喧嘩なんてしない」

「だったら何よ?」

少しトーンを落として呟いた。

「“不良”と一緒にいたらお前の印象悪くなるぞ」

「えっ?」

あたしの声と同時に、目の前の不良は立ち上がり、そのまま教室を出ていった。
その後ろを追えず、しばし呆然とする。
あいつの言った言葉の意味はなんだろう?

『別に不良じゃねーよ』

確かに喧嘩とかバイク乗りまわしたりとかしてるわけじゃないけど……遅刻の常習犯。

『なら不良でいい』

あいつは自分の立場に興味ないの?
先生に目をつけられてるのに焦らないの?
なにより……友達とかいらないのだろうか?

ただなんとなく分かった事は、あいつ本質的にはいい奴なんじゃないかという事だった。



自分の席に戻り、始業式の時に配られたクラス名簿を確認する。


岡崎 朋也


それが彼の名前だった。
更生させるとか言いつつ、名前も知らないなんてとんだお笑い草だ。
自分がいかに浅はかに行動していたか分かる。
だから少しだけ考える事にした。
あいつを……朋也を更生させるには……そうだ。

あたしが友達になってみるのが更生への弟一歩なんじゃないのかな?

根気良く接し続ければきっと──。


その時。


体の奥に風が吹いた。


立ち去る背中を見ている時に感じた、あの冷たくて寂しい風。


そっ……か。


あたしは唐突に何かを理解した。


きっとこれではダメだ。
不必要に仲良くなるときっとまた勘違いさせてしまう。
多分それは朋也にも同じだ……。
そうなると行きつく先は一つ。
あの背中を再び見る事になる。
またあの出来事の繰り返し……か。

なら、どうする?

それなりに仲良くなっても勘違いされない方法。


「藤林さん、大丈夫?」

「あ、うん。ありがと──あ!」

──そうだ、名前!!

「どうしたの?」

「あ、ううん! なんでもない! 本当、大丈夫だから!」

「そう? なら良いけど……」

そう言って隣のクラスメイトは本の世界に引き込まれて行った。
それを確認してから、あたしは思考の海へと意識を投げ出す。
以前、椋に言われた事がある。

『お姉ちゃんて誰にでも名前で呼んでるけど恥ずかしくない?』

なんで? 聞き返しても椋は恥ずかしいから、としか答えなかった。
多分、名前を呼ぶ事は普通は気になるんだろう。
あたしは誰構わず名前で呼ぶから気にならなかったけど、これが勘違いの元なのかもしれない。
そう考えれば──。

岡崎……。岡崎。おかざき。

心の中で岡崎という苗字を繰り返し反芻する。

よし、いける。

心の中で決心がついたその時、

──ガラッ。

タイミングよく後ろの扉が開いた。

来たっ!

大丈夫。きっと普通に喋れる。名前が苗字になっただけ。別に緊張する事は無いよ。
ほんの少しだけ期待を込めて振り向くと、そこに立っていたのは……金髪頭。
新学年が始まって間も無いのによれよれのブレザー。
ネクタイもクシャクシャになっていて皺が目立つ。
少なくてもあいつの身なりはこんなだらしなくなかった。

いや、それよりも──。
心の奥にどす黒いオーラが溜まるのが分かった。
なぜだか今日は期待させられてから落とされる日だ。
このどうしようもない怒りはやはりこいつにぶつけよう。

とりあえず立ち上がり、金髪頭の席へと足を運ぶ。
遅刻してきた分際で、呑気に欠伸をしている態度がさらにあたしの怒気を掻き立てる。
それでも、我慢するしかない。
こいつらを更生させるのだから。

「ねぇ、ちょっといい?」

「んー? 誰?」

「クラス委員長の藤林杏よ」

「あーはいはい。それで僕に何か用?」

「まずだらしない。そのだらしない格好何とかしなさい。あと遅刻しないでちゃんと来なさい」

「え? 何言ってるの?」

「言葉分からないの?」

「いや、そうじゃなくって。僕不良だよ? 規則守るはず無いじゃん?」

「は?」

「おっと、ゴメンよ。ちょっとトイレに行くから」

呆れて物も言えないあたしを尻目に、金髪野郎が廊下へと出て行った。




不良二人に接触する事に成功したあたしは、席に戻って今後の方針を決める事にした。

とりあえずあの金髪野郎はもう今日の放課後にでも制裁してやろう。
あの態度は我慢できない。あのニヤーっとした顔がムカつく。これ決定。
あいつは馬鹿だ。これは恐らく間違いない。
サッカー部でも喧嘩沙汰を起こして退部させられたらしいし。

名簿に目を落とすと、すぐに二人目の不良が見つかる。


春原。


“はるはら”なんて珍しい名前。
名は体を表すと言うが、多分本当の事だろう。
きっとあいつの頭の中は一年中春の原っぱのように能天気そうだ。


岡崎と春原。


絶対更生させてやる!!!


あたしは再度、心の中で決意を掲げた。


そして再び扉が勢い良く開く。

今度こそ!! と……岡崎!

そう思って振り向く。
そこにいたのは春原。
再び期待してしまった自分への不甲斐無さを悔やむ。
そして同時に、またこいつか……という怒りも込み上げてくる。

春原はあたしと目が合うと、嬉しそうにこちらへやってきた。
そして──。


「ねぇ、藤林!! 僕に惚れたの!?」


瞬間、あたしは限界いっぱいまで力を溜め込んだ拳を“はるはら”の顔面に叩きこんだ。







     ◇     ◇






それからは少しずつ声をかけるようになった。

「岡崎。これ、プリントね」

「岡崎。担任の先生から頼まれたから手伝って」

「岡崎。これ任せた」



岡崎、そう呼ぶ事に抵抗がなくなった頃。


あたしはいつの間にか岡崎に頼っていた。


気がつけば探して、あれこれ言ってコミュニケーションを取っている。


こいつもこいつで、頼まれた事を断らないからあたしも調子に乗っていたんだと思う。


岡崎は便利な“友達”。


自分の中でそういう位置づけにして、誤魔化していた。


今考えればそれも無駄な努力だったと思う。


そして、それを痛感させられる出来事が起こった。




それは────。




あの馬鹿がこのあたしを嵌めた事。




五時間目を不意にしてまで待って、朋也を待った事。




でも、その時にやっと…………自分の気持ちが本物である事に気付いたのだ。




そして、その時だった。




心の中に温かく、優しい風が吹いたのは。











     ◇     ◇








「それからは知っての通りよ。はい、お終い。これ以上は言わないわよ」


杏はそう言って、ホールから切り分けられたバースデーケーキを一切れ口に含んだ。

今の季節は秋。
杏と付き合い初めて最初の誕生日。
俺たちは春原の部屋に集まって杏と椋のバースデーパーティーを行う事にしたのだ。
メンバーは四人。
杏、春原、椋……そして俺。

最初こそいつも通り、杏と組んで春原をいじめていたのだが春原が、

「初恋って実らないって言うしねー?」

と一言。
それを聞いた椋は曖昧に笑ったが、杏が固まった。
それから俺との仲が悪くならないように、杏の考え方を分析する事になったのだ。

と、そういう名目の大告白大会だった。
大会と言っても出場者は一人だが。
セッティングは……椋。
いつの間にこんな巧みな話術を身につけたのか、杏の考えを分析するとか言いつつ結局は、杏に告白してきた奴らの事、その時の杏の心情、そして当時俺たちに仕組まれた数々の嫌がらせとその全貌を洗いざらい聞き出したのだ。


「お前、最初そんな事考えてたのかよ……」

「いやーまぁ、若気の至りよ」

「そういえばあの時は、色々言われた事を岡崎に言ったら『お前に気があるんじゃないのか?』ってけしかけてきたんだよね」

「いや、その言葉は明らかにお前が勝手に勘違いしただけだろ……どこがけしかけてるんだよ」

「考えてみれば、辞書を持ち出したのもあの時からかー」

「お姉ちゃん凄く人気があったから、一年の時は結構な人数から告白されたんだよね?」

「こ、こら、椋──」

「へぇー。そっちの話も興味あるな」

「やっぱり岡崎も? へへっ。僕も聞きたいな!」

「では高校一年の六月に──」

「ちょっとやめなさいってばー!!!」

「キャッ!」

反射的にだろうか、杏にしては珍しく椋を羽交い絞めにした。

「まぁまぁ、落ち着けって杏」

「だって──」

「いいじゃん。今は友達も彼氏も両方手に入れてるんだからさー」

「え……?」

「あ……」

「お前……」

「え? 何? 僕なんか悪い事いった?」

春原の言葉に一同が言葉を無くした。
無理もない。
こいつの言葉からまさか──、

「いや、むしろお前が珍しくいい事言ったからリアクションに困った」

良い締めの言葉が出るなんて誰もが思っていなかっただろう。

「僕がいい事言っちゃダメなんですかねぇ!?」

「ダメって言うか……キリストにお経唱えてもらうよりレアなんじゃない?」

「僕の存在って一体なんなんですかね……」

「あ、あの……やりすぎじゃ……」

「さすがは椋ちゃん! 姉とは寛大さが──」

「あ、でも、頭悪い人の方が直感的で核心的な事を言う事が多いって確か雑誌で──あっ、ごごごごめんなさい!」

「いや、いいんだ! 椋ちゃん、頭を上げて!」

「いいってさ。と言うわけで春原弄り再開な」

「とりあえず陽平。息しないでてね」

「いきなりかよ!! 死ぬだろっ!!」

「じゃ、死んで」

「…………岡崎…………僕はいつ八つ当たりから開放されるのかな?」

「いいんじゃないか? これがあいつなりの“友達”との接し方みたいだし、さ」

「こら、何コソコソ話してるのよ!?」

「いや、なんだかんだ言ってお前がこのゴミ虫良くいじめるなって」

「そうそう、やっぱり友達──っておい!!」

「あははは、本当にあんた達馬鹿ねぇ」

「ふふっ。お姉ちゃん楽しそうだね」

「岡崎。笑われてるよ? 一応言っておくけど、今の言葉ちゃんとお前も含まれてるからね?」

「分かってるさ。とりあえず、お前も笑っとけ」

「え? あ、……あぁ。うははははははは!!」

「ははっ、春原は馬鹿だなぁー!」





そう。



いいじゃないか。




みんなで笑える時間が、こいつの望んだ事なんだから。




これからもみんなで笑い合って行こう。




もう、二度と杏の笑顔が曇らないように。









                    藤林 杏

               Happy Birthday!!




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