第一話 始まり
春。
凍えるような寒さを抜け、小さなふきのとうが地面から顔を出し始める時期。
俺はとある大学の掲示板の前にいた。
周りには、友達と抱き合ってここの大学に入れることの喜びを分かち合っている人や、肩を落としている友人に励ましの言葉を送っている人など、様々な人々がいる。
そんな周りの喧騒の中、俺は掲示板の方へと視線を向けていた。
「『239』……『239』……」
自分の番号を目で追っていくうちに、知らずと自分の受験番号を口にしている。
ここ最近で一番緊張しているのかもしれない。
無理もないだろう、これは人生に関わる問題なのだから。
「嘘だろ!?」
そんな中、一際高い声が隣から聞こえてきたので、俺は掲示板から目を離して隣を睨みつけた。
そこにはいつも見慣れた金髪の男が手を震わせて立っている。
「……いや待てよ。落ち着くんだ僕。これは夢かもしれないんだ……」
叫んだと思ったら、金髪野郎はなにやらブツブツと言い始めた。
周りの人間が気味悪がって離れていくので、俺も関わる事を避けて再び掲示板のほうへと目を向ける。
しかし、こっちの事情はお構いなしに隣の男は俺の肩を掴んだ。
「聞いてくれ、岡崎。僕、目悪くなったみたいなんだ。見てくれよ。掲示板に僕の名前があるんだ……」
そう言って指を指す方向を見た。
たくさんの人だかりで見えないが、目を細めていくとやがてその先の文字が見えるようになる。
『547番 春原 陽平』
そこには、紛う事なき知り合いの名前が掲示板に張り出されていた。
「そうか。残念だったな。眼科に行って来い」
俺はため息をつきながら春原の肩に手を置く。
「え?」
「また来年があるさ」
「や……やっぱりこれは夢!?」
「おーい! 結果分かったー?」
俺と春原の特に意味のない会話に、少し高めのよく通る声が割って入ってきた。
聞けば安心の出来る声。
本人には口が裂けても言えないが、それは俺の後ろからはっきり、しっかりと聞こえてきた。
「いや、まだだ。こいつが落ちたって言うから励ましてた」
俺は振り向きながら、適当に話をでっち上げて話す。
目の前にいる鮮やかな紫髪の女の子、左側の白いリボンが印象的な俺の彼女、藤林杏は驚いた声で春原に訊いた。
「はぁ? 陽平。あんたまさか本当に落ちたの!?」
「い、いや。これは……ほら、夢だから」
「何言ってんの? あんた何番だっけ……」
杏は春原の手元にある番号を見ると、掲示板のほうへと仰ぎ見た。
「あるじゃない」
「いや、これは夢だから僕が大学に受かるなんて……」
「あーもー!!」
杏どこらから辞書を取り出し、春原の顔面へと叩きつける。
ゴスッ、という鈍い音がして、その場に春原がひれ伏した。
まるで杏に向かって土下座をするような態勢なのは、忠誠でも誓っているのだろうか?
「目が覚めた?」
当の本人はその事を全く気にすることなく、春原の腹部を蹴りながらそんな事を言っている。
周りを見てみると、この状況を見ている人たちとの距離がさらに開いたような気がした。
「覚めました……」
春原は擦れた声で力なくそう返事すると、よろめきながらも立ち上がった。
「で、そっちはどうなの?」
杏の攻撃にも慣れたのか、それとも単純だからか、春原は何事もなかったかのように俺に訊いてくる。
「あ、そういえばまだ見てなかったのよね?」
「あぁ」
杏の問いかけに軽く頷くと、三度俺は掲示板の文字へと目を走らせた。
「『210』……『214』……」
時折目に留まる数字を口に出して俺は自分の番号を探していく。
「『231』……『234』…………あ」
「どう!?」
「あったの?」
『239番 岡崎 朋也』
確かにそこにはそう書いてあった。
自分の番号と掲示板に載っている番号、自分の名前を見比べること四回。
二人の声に俺は、親指を立てて応えた。
春。
柔らかな空気に乗って桜が舞い、新しいスタートに向けて浮き足立つ季節。
俺たちもそれに漏れず、全員が無事に大学生になることを喜んで、頭上で手を打ち合わせた。
〜 杏アフター 〜
俺と春原は相変わらず遅刻をして昼休みに騒いで春原を弄んで……高校生活最後の年もそんな変わり映えのしない日々を過ごしていた。
ただ違うのは、先月から俺と杏が付き合っているという事だけ。
その出来事は、何も変わらず、何も求めず、ただ自堕落に生きてきた俺にとって、少しだけ前に進もうと考えさせられた出来事だった。
俺は今でも後悔をしていない。
椋と付き合っていた日々を。
俺は忘れない。
杏を抱きしめた時の自分の揺るがない想いを。
青春なんて馬鹿馬鹿しいと思っていた俺に訪れた青春の日々は、今も俺の胸にしまっている。
そんな高校生活最後の一年。
鬱陶しい梅雨い入る前、突き抜けるような晴天に恵まれた、六月のある日。
いつもと変わらず、夜に学校の寮へと向かった俺は、美佐枝さんに捕まった。
「岡崎ーあんたそろそろ高校出たときの事考えた方がいいんじゃないの?」
「ちっす。なんか俺そういうの考える主義じゃないんで」
「主義ってあんたね……。はぁーなんで私が先生みたいに進路の心配してるんだか……」
「でもま、忠告だけはありがたく頂いておきます」
「ま、そうしてちょうだい。期待はしてないわ」
「そいつはどうも」
美佐枝さんに軽く挨拶すると、俺は進み慣れた道を歩き始めた。
春原の部屋で弁当を食べ、俺はそこら辺にある雑誌を手に取り眺めている。
もう何回も読んだ漫画雑誌だったが、ボーっとするよりは幾分か気が紛れた。
「なんかつまらないね〜」
「そうだな」
「みんなこんなつまらない日々を過ごしてるのかな?」
「さぁな。受験勉強でもしてるんじゃないのか?」
「うわっ。聞いただけで寒気がするね」
春原と生産性のない会話をしながら、そういえば、と先ほどの事を思い出す。
「なぁ」
「なに?」
「美佐枝さんて寮の奴の進路とか聞いて回ってるのか?」
「いや、聞いたことないけど……あの人そんなことしてるの?」
俺は雑誌を片手に、先ほどの出来事を話した。
「へぇ。そう言えば最近、ラグビー部の連中が美佐枝さんの部屋によく訪問してるらしいから、そーゆー事が気になるのかもね」
「お前は行かないのか?」
「僕が? なんで好き好んで進路相談をしに行かなくちゃならないのさ」
「いや、だってここの寮母さんだろ? ならやっぱりここに住んでる奴の事は気になるんじゃないのか? それにだめな子ほど可愛いとかいう人もいるし……もしかしたらお前の事も」
「マジかよ! 僕気にされてる!? 近日中に誘われるかな!?」
言い終わらないうちに馬鹿が食いついてきた。
俺は少し考える。
そして出た結論。
これは暇つぶしになるんじゃないか? そう考えた時にはすでに口が動いていた。
「あぁ、誘われるんじゃないか? 美佐枝さんの部屋とかに」
「そっかぁーへへ……岡崎。そのときは赤飯だなっ!」
「あぁ、そうだな!」
俺は景気よく頷いた。
こいつの頭の中では、きっとくだらない妄想が出来上がっているに違いない。
「いやーでも誘われるとなると最初は行きたくないっていう意思表示が大事なのかな!?」
「まぁーその反応は妥当じゃないか?」
春原と話しているうちに、ふと気付くことがあった。
今の馬鹿げた理由での進路相談はともかく、実際問題俺たちは卒業してからどうなるのだろう。
正直な所、高校卒業して働いている自分は想像できない。もちろん目の前の春原についてもだ。
かといって進学も考えていない。
自堕落で無気力な生活をしながら、無意味に日々を消費し続けていく。
そんな事を考えた時に、一人の身近な人間の後姿が頭を過ぎった。
「──っ」
俺はその姿を頭から追い出すように頭を振った。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう? いやー先に大人になっちゃったらごめんな? それでも俺たち友達だからな!」
「ん? あぁ。頑張れよ」
そろそろこいつの相手にも疲れたので適当に流して返事をした時、入り口からノックが聞こえてきた。
「春原ー? いる? ちょっと話があるんだけど」
まるで計ったようなタイミングで登場する美佐枝さん。
これは運命なのか……?
(き、来た!? いきなりチャンス到来!? 岡崎……僕、一歩先に行くよ)
一人だけ何か興奮している春原は俺に顔を近づけ、小声でそんな事を言っている。
俺は春原の顔を遠ざけ、
(あぁ。行って来い)
神にも弄ばれる哀れな操り人形の背中を押した。
「んー? なにー? 美佐枝さん」
「ちょっと話があるんだよ」
「えー? 僕もう眠いんだけどー」
「時間はあまり取らせないからさ。ちょっと私の部屋まで来れるかい?」
(岡崎岡崎! これはGO? むしろCOMEON! なんだよね?)
春原は興奮した面持ちで、俺の方に振り返ってきた。
ここまで来てしまったのなら仕方ない。
神の意思に逆らうのも罰当たりな気がしたので、俺は春原にエールを送った。
「……GOOD DEATH!!」
(グッドです? オッケー。僕も男だ……腹を決めるよ! 行ってくる!)
爽やかな笑顔を残して春原は部屋を出て行った。
「あいつ……本当に救いようがない馬鹿なのかもな」
その後、美佐枝さんの部屋から春原の絶叫が聞こえ、その後ボロボロになって帰ってきたのは言うまでもない。
◇ ◇
昼休みを告げる学校独特のチャイムが校内に響き渡った。
その音で俺は少しずつ意識を覚醒していく。
「ふぁー……。さて、昼飯でも食いに行くか」
三時間目から出席しているとはいえ、朝飯も食べていないからさすがに腹は減る。
眠い目をこすり、隣の席に目を向けた。
そこにはいつも通り春原がいびきをかきながら爆睡をしている。
春原を叩き起こして学食に行こうと席を立って起こそうとした時、同じタイミングで教室の扉が勢い良く開け放たれた。
「あ、いた。朋也っ! 今日は久々に早く起きたからお弁当作ったの! 椋と一緒に食べない!?」
と、言いながら入ってくるのは隣のクラスの委員長、もとい俺の彼女である藤林杏。
その彼女に呼ばれた双子の片割れと言えば
「お、おねぇちゃん。声が大きいよ……」
聞こえるか分からないくらいの小さな声で抗議をしていた。
そんな事をしていると、いつの間にか周りから少しだけ鋭く、しかし尊敬の念が含まれている視線を向けられている事に気が付いた。
(二つの組の委員長と一緒にランチだってよ…)
(さすがは岡崎だな……あんな事があったのに、結局両方とラブラブなんて……)
(姉妹丼なんてめったにお目にかかることができるわけじゃないのにな。なんか薬でもやってんのか?)
(いや、あいつはいつかはやる男だと思ってたよ)
(岡崎君と一緒にお弁当だなんて……藤林さんもまだ諦めきれてないのかしら? 意外に情熱的なのねー)
教室のあちらこちらからそんな声が聞こえてくるのが分かる。
四月では不良だと恐れられ避けられていたこのクラスも、最近では接し方が砕けてきていた。
というのも、全てはこのクラスにたびたび来るようになった藤林杏に対する俺の態度を見るようになってからだ。
どんな態度かは俺の名誉のために言わないでおこう。
まぁ俺としては元々勝手に不良のレッテルを貼っていたこいつらが勝手に怖がっていたというだけの話だったから、今更どんな態度に変わろうと知ったこっちゃないのだが──、
「どいつもこいつも……」
それでも、ここまであからさまに態度に出ているとさすがにため息が出てしまう。
ここは進学校じゃなかったのか? と思うのだが、やはり人の色恋沙汰には興味津々な年頃なのだろう。
「それで? いつもの場所でいいんだな?」
「ん、そうねー」
「先に行っててくれ。飲み物でも買ってくる」
そう言って杏の前を通り過ぎて教室を出る。
「分かったわ。行くわよー椋」
「うん」
そんな会話を背に、俺は購買に向けて歩き出した。
「おばちゃん! こっちに焼きそばとコロッケとオレンジジュース!!」
「おい、てめー押すなよ!」
「あぁー! 俺の生きる希望、竜太サンドが……」
などなど大盛況の購買部。
毎日よく飽きないものだと眺めながら、俺は自販機にあるパックジュースを三つ購入する。
戦場の様な購買部を後にして、中庭へと向かおうとしたとき、見覚えのある金髪頭が目の前に歩いてきた。
「ひどいじゃないか岡崎。一緒に昼飯食べようぜーってあれ? 今日は飲み物三つだけ? そんな貧相なもんじゃなくてさー、学食でうまいもん食わしてもらおうよ」
「偶然に出会って早々あつかましい奴だな。残念ながら飯ならもう確保してある」
「へー? さすがはマイフリエンド岡崎。僕のやる事を言われる前にやるとは友達甲斐のある奴だね。 で? そいつはどこにいるの? ついでだから僕の分までおごらせようよ!」
突っ込みたい所は多々あるのだが、いちいち付き合うのも面倒なので、
「中庭」
俺は簡潔に答えた。
「よしっ! 早速出発ー!」
春原は意気揚々と俺の前を歩き出した。
「で? 春原君は誰に何をおごらせるって?」
にっこりと笑顔で杏が春原に言葉をかけた。
椋は苦笑いで弁当箱の中身を小皿に分けている。
そして俺はというと、杏の自信作の豚カツを頬張った。うん。うまい。
「…………」
レジャーシートの隣で横たわる春原からは返事がない。
それもそのはず、現行犯で杏に目撃されたのだから杏が黙っているはずもない。
何を目撃されたか、流れ図で説明すると
杏が箸を教室に忘れたので取りに戻る。
↓
俺と春原、中庭到着。
↓
椋がご飯をおごってくれると勘違いして迫る馬鹿が一人。
↓
杏帰還
こんなお約束通りの成り行きで、妹がたかられている現場を目撃した杏が平和的に何をしていたなんて話し合いが行われるはずがない。
しかも相手はこの学校唯一の金髪頭の春原。
目にも留まらぬ速さで辞書を取り出し、春原へと命中させた。
春原が被弾した物をよく見れば広辞苑。一体あいつの筋力はどれ程のものなのか想像がつかない。
というより、春原じゃなくてもほぼ間違いなく投げただろうが……その時の事は考えないでおこう。
そういうわけで、身の程知らずな馬鹿は一撃で沈んだという訳だ。
「あの、おいしいですね。お姉ちゃんのお弁当……」
「そうだな。そう言えばそっちはあれから弁当の練習はしているのか?」
「えぇと、練習はしているのですが……うまくいかなくて」
控えめに照れ笑いしているのが藤林椋。
うちのクラスの委員長でもあり、藤林杏の双子の妹。
この子とも色々あった。
最終的には友達に戻りましょうとの事だったのだが、そんな簡単に戻れるはずもなく……少し距離を置いた関係になっていた。
しかし、そんなぎこちない態度が我慢ならなかったのか、
──あんたたち気を遣いあってんの見てるとイライラする!
杏の一言でこうやってたまに一緒に昼ごはんを食べるようになった。
何だかんだで俺たちに気を遣ってくれたのだろう。
その気持ちを無駄にさせないためにも俺はなるべく椋と話をするように心がける事にした。
「まったく。一人暮らしになったら自炊とか大変なんだからちゃっちゃと覚えちゃってよね〜」
「うん。ごめんね。迷惑ばかりかけちゃって…」
「あー謝らなくていいから! ほら、さっさと食べよ!」
「へぇ一人暮らしするのか? 委員長は?」
だけど椋、と気軽には今は呼べない。心のどこかでブレーキがかかるみたいにどうしても意識してしまう。
それでも藤林、と他人行儀な呼び方もできない。俺の精一杯の妥協ポイントで話を振ってみる事にした。
「えぇと、はい」
「この子ね、高校卒業したら看護学校に入るみたいだから。そこって寮がないわここから遠いわで仕方なしに一人暮らしするしかないってわけ。あ、別に椋と寮をかけちゃいないわよ?」
控え目に返事をする椋に続いて補足をするように杏がそんな事を口にする。
(誰もそんな事考えてねぇ)
とは言えない。
あいつの隣に横たわりたくもないから。
言ったら間違いなく沈められる、俺の本能がそう叫んでいた。
「えらいんだな。ちゃんと自分の目標が決まってて」
「とも…お、岡崎君は進路決まっていないんですか?」
名前の呼び方は向こうも気にしているのか、言い直す辺りやっぱり椋らしかった。
これが俺たちの距離、そう考えると少し寂しい気もしたが、それ以上に寂しがる奴を一人知っているので、俺は気にしない事にして会話を続ける。
「んー。まだやりたい事決まってるわけじゃないんだ。かといって進学できるほど頭もよくないから、正直分からないとしか言いようがないな」
「そ、そうなんですか……」
そして、ここで会話が途切れる予感を感じた。
何か喋らないと──そう思った瞬間、
「ははっ。ニートかよ。だっせー!」
いつの間にか復活した春原が、タイミングよく会話に入ってくる。
しかし、それも一瞬の出来事。
風を切る音と共に重たく鈍い音がしたと思ったら、春原の顔面に一冊の本が突き刺さっていた。
「ぐふっ」
そんな声を上げ、春原の顔面から分厚い本がレジャーシートの上に落ちる。表紙には和英辞典と書かれていた。
毎回思うのだが、こいつはどこから辞書を出しているのか。
今度一回でいいからボディチェックでもしてみるか?
…………。
何回シュミレートしても悲惨な結果が待っているので諦めることにした。
「あたしの彼氏に何か素敵な言葉を吐かなかった?」
「い、いえ……」
「よろしい」
いつの間にか復活したゾンビは即座に黙らされた。が、しかし……。
「でもいいの? ニートの彼氏とかって世間的にどうなんだろうね? 親とかさ。あまりうけよくないんじゃないの?」
と春原が喋った瞬間、ピシッと空間が割れる音がした。
良くない。
これは良くない。
きっと悪い流れになってしまう。
あの馬鹿が。余計な地雷を踏みやがって。
今なら呪いで春原を殺してやれそうな気がした。
俺はそっと杏の方を見る。
「……」
黙っている。
しかし、俺には杏が何を考えているかが分かる。
ずばり、春原の言ったとおりだ。
世間の目、近所の目、さらには親からの目。
それらの事を考え、この先俺が辿るべき道を決めようとしているのだ。
椋へと視線を変える。
「……」
こちらも黙っているがどちらかと言うと、姉の不気味な静けさにおろおろしているだけのものであって、援護が期待できない。
俺は今のうちにいくつかの展開を考え、台詞を用意することにした。
「え? ど、どうしたの? みんな??」
場の雰囲気が読めていない馬鹿を放っておき杏が沈黙を破った。
「朋也……」
「いやだ」
予知と言っても過言ではない先の展開の読みやすさに、俺はすぐさま用意しておいた言葉を杏に叩き付けた。
「まだ何も言ってないでしょーが!!」
「うるせぇ! 言いたい事くらいこの空気で分かるわ!!」
「なら断る必要ないじゃない! あたしの彼氏がニートだなんて陽平と腕組んで『この人があたしの旦那で〜す』って拡声器片手に町をうろつくのと同義なのよ!?」
「あの……僕の存在意義って一体……」
「とゆーわけで朋也! 今日からはびしばし勉強教えるからね! いいわね!?」
「なんでだよ!? 大学行かなくても働けばいいだろ!?」
と言ったところでなぜか杏の様子が変わり、何かぶつぶつ言い始めた。
その言葉に耳を傾けて見ると、
「働くなんて……へ、変な誤解与えちゃうかもしれないじゃない。 彼氏が働いてるなんて、その……同棲してて夫が稼いでるみたいで……なんか夫婦みたいじゃない……あ、でも別に嫌いじゃないけど、ほらあたし達まだ学生だし……」
そっぽを向いて頬を赤らめそんな事を口にしている杏。
終いには、顔をさらに赤らめて、
「そ、そんなのあたしたちにはまだ早すぎるわよ! そりゃー確かに一緒のキャンパスライフっていうのも魅力的だけど……でも……それはまだ早いって言うか心の準備がまだ必要というか……」
などと訳の分からない言葉を発している。
いつもなら可愛い……と少しの間何とも言えない気持ちに浸れるのだが、残念ながら今は全く何の感慨も感じない。
「委員長。お前の姉はアホアホ春原菌に感染してしまったらしい。看病を頼む」
「え? あの? 岡崎君!?」
「じゃーな!」
妙な妄想をしている杏とおろおろしている椋、そして妄想している杏になぜか殴られている春原を残して俺は中庭を後にする。
(一日経てば、どうせ興味もなくなってるだろう)
俺はそう考えると、校舎の中へと駆け込んだ。
その後の休み時間はトイレで過ごし、放課後はなんとか杏の目をごまかし、無事に帰宅した俺はいつもの場所に向かう。
しかし、いつもの俺の領域にはよく見知った彼女が座り込んでいた。
俺はどうやら彼女の本気を見誤っていたらしい。
「なんでお前がいるんだ?」
「あんたの行動パターンなんてお見通しよ。さっ、勉強始めるわよ?」
机の上に出された二冊の同じ教科書。
ここで勉強するというのか。
俺は内心で深いため息をついた。
「あの、ここ僕の部屋なんですけど……」
「あ、悪いわね〜陽平。お茶」
「全然悪く思ってないですよねぇっ!?」
「おい」
「なんだよ?」
「俺にもお茶」
「あんたもかよ!! いい加減出てけよ!!」
「うるさいわねー。朋也が進学できなくていいっていうの? 私の人生の一大事なのよ?」
杏の目が据わっている。
どうやらこの件については本気で譲るつもりはないみたいだ。
「杏……本気なのか?」
「当たり前よ! じゃないと……」
「じゃないと? なんだ?」
「な、なんでもないわよ! いいから勉強するわよ!」
「そうか……、残念だが杏。今まで楽しかった。さようならだ」
とりあえずこう言っておけば杏も引き下がるだろう。いや、引き下がってくれ。俺はそう願った。
第一、俺が勉強なんて……馬鹿げてる。
今更大学進学なんて……どうせ失敗するに決まっている。
無駄に足掻いた結果、失敗して後ろ指差されて笑われるくらいなら俺は進学なんて希望を持たない。
杏にも必ず嫌な思いをさせるだろうから。
俺はこれ以上考えてもしょうがないと思い、これからどうするかという方に頭を切り替える。
今夜はフラフラして時間を潰そうと決めると、ドアノブに手をかけた。
「朋也……本気で言ってるの……?」
「あ? うっ……」
杏の寂しそうな声に振り返ってみると、いつもなら笑顔で辞書を飛ばしてくるはずの奴はがっくりと落ち込み気味に、そして助けを乞うような目をしながら俺を見つめていた。
(いつもは狂犬みたいなこいつの目が、拾ってくれる事を訴えかけているような捨てられたチワワの目になっていやがる……)
その時、俺の中で初めて天使と悪魔と言うものが戦いを始めた。
天使(だめだよ、朋也君。君の事を大切に思っている彼女の意思を尊重してあげないと!)
悪魔(いや。こいつは私利私欲のためにやっていることじゃないか! さっきも口にしていたじゃないか! 私の人生のとか言って。自分の事しか考えていない証拠じゃないか!)
天使(違うわ、杏ちゃんは自分が本当に伝えたい事は自分から言えないのよ! ここから彼女の優しさを受け取れないなんて……朋也君、君は杏ちゃんの彼氏なんだからそーゆー所は分かってあげないと!)
春原(いいから追い出していつもの安心した空間を取り戻そうぜ! じゃないとボンバヘッ! できないじゃないか)
悪魔(彼女の意思を尊重してあげよう。)
天使(そうしましょう)
春原(なんでっ!?)
勝手に人の理性対決に入り込んだ馬鹿一人への嫌がらせのために天使と悪魔が手を組んだ。
さすがは俺の天使と悪魔。利害の一致がばっちりだ。
「杏」
俺はため息をつきながら杏へと向き合う。
「なによ……」
杏は少し拗ねた様子で俺を見返してきた。
「失敗しても責任は取らないからな」
「朋也……大丈夫! まっかせなさいって!!」
見る見るうちに嬉しそうな顔になり、杏は自分の胸を叩いた。
「あぁ……僕の聖域が侵されていく……」
「あーもーぎゃーぎゃーうるさいわねー。あんたも男なら潔く腹くくりなさいよね!」
「岡崎。付き合っても……性格変わったりしないの──グベッ!!!」
喋っていた春原の脇腹に辞典がめり込んだ。
相変わらず容赦のない奴だ。春原も一応間違ったことは言っていないのにな。
俺は絶対に口に出せない言葉を内心で呟く。
というより和仏辞典と書いてあるように見えるんだが……こいつはフランス語も勉強しているのか?
彼氏をしていても謎は深まるばかりだった。
その後話し合われたのは、まずは勉強する場所の確保。
場所は図書室が一番いいのだろうという意見でみんなが納得した。
そして、勉強時間は放課後から最終下校時間まで。
これにも特に意見がなかった。
トントン拍子に事が運び、
「幸先いいわね。このまま行けば受験なんて怖くないわー」
本気でそう思っていたのはおそらく杏だけだっただろう。
俺も杏がそこまで望むなら頑張ってみるか、そう思っていた。
◇ ◇
「さぁー始めるわよ!」
威勢良く杏が宣言をして、俺と杏と椋で勉強を始めた。
俺の向かいに杏が座り、その隣に椋が座っている。
「分からないことがあれば遠慮なく聞いてくれて構わないからね」
そう言って杏は自分の参考書を開いて勉強を始めた。
ふと、視線を感じたので周りを見てみると、何を始じめたんだ? と言ったような面持ちでこちらを見ている奴らと目が合った。
その瞬間、向こうは目を逸らして伏せる。
その姿はまるで町で不良に絡まれることを恐れるが為に視線を合わせない、それだった。
考えてみれば校内で一、二を争う不良なんだっけか、俺は。
杏と付き合う前の自分にそんなレッテル貼られていた事を思い出し、少し複雑な気分になる。
クラスでの俺と杏の会話を聞いて打ち解けてきたのは俺のクラスだけの事なんだと実感させられた。
「朋也? どうしたの?」
未だに参考書を開いていない俺が気になったのか、杏が声をかけてくる。
「いや、なんでもない」
「そ。あ、そういえば朋也。目標って決まった?」
「なんだ? 受験する大学か? 入れるところだったらどこでも──」
「違う、違う。将来の目標よ。こうなりたい、あーしたいとか、そういうの」
「いや、特に決まってないな」
「早めに決めといた方がいいわよ?」
「あぁ、そうするよ」
俺は杏に返事すると、参考書に目を落とそうとする。
しかし、不意に目の前が暗闇に閉ざされ、背後から声をかけられた。
「だ〜れだ」
目元にヒンヤリとした感覚と、いつか聞いたボケた感じの声。
その声は一月前に授業でサボった時に、図書室で会ったあのよく分からない──不思議な女の子の声だった。
彼女の名前は……、
「一之瀬」
こんな突拍子も無い事をしそうなのは絶対にこいつだ。
それにここは奴のテリトリー、いてもなんら不思議はない。
そう確信を持ったが、何の反応も返ってこなかった。
(まさか……)
背後の人間が反応しない理由に行きついた俺は、今度は絶対に反応するであろう答え方で声をかける。
「ことみ……ちゃん?」
ベキッ。
背後からではない、前方から何かが折れる音がした。
しかし、そんな緊張の走るような音とは正反対の間延びした平和な声で、
「あたりー」
そう言って、俺の目が開放される。
そして最初に目に入った光景が……、
「き、杏……?」
力一杯シャーペンを握り締めている杏の姿だった。
「何かしら、朋也くん」
杏の不気味すぎるほどの笑顔を俺に向ける。
その手には無残にもひび割れたシャーペンが力一杯握られていた。
「朋也くんのお友達? ずいぶんと仲が良さそうねー」
震える声で、何かを我慢している杏がことみを見てそう言い放つ。
ことみはそれに敏感に反応して、俺の後ろに隠れてしまった。
背中越しにガタガタと震えるのが分かる。
どうやら何かが杏の琴線に触れたらしい。
このまま放っておいたら大変なことになる、と俺の本能が告げている。
「落ち着け、杏」
「あら、今度は朋也くんがナイト気取で彼女を守っちゃうのかしらー?」
「お、お姉ちゃん……」
俺の言葉に挑発的な言葉で返すのは日常茶飯事であったが、今回はいつもよりひどい。
なにせ、こちらの言い分を全く無視しているのだから。
そんな杏の態度に椋も戸惑いを隠せない。
「いじめる……? いじめる?」
俺の背後では震えた一匹のウサギが、俺のワイシャツを掴んだ。
「──っ!!」
それが決定的だったのか、杏は机に広げた道具を早々に集めると、
「あたし、今日帰る」
そう言って図書室を出て行ってしまった。
あまりにも突然すぎる出来事に呆然とする俺と椋。
俺の背後で未だに震えている奴一名。
そして、図書室にいた全員が、杏が出て行った扉を見つめていた。
「そうなの、私名誉図書委員なの」
「そうなんですか、私は学級委員長をしています。同じですね」
一時はどうなることかと思ったが、椋とことみはどうやら馬が合うようですっかり仲良くなってしまった。
椋の方も女の子といるとよく見かける笑顔でことみと話していた。
俺と二人でいるよりかはいいだろう、そう思ってことみを引き止めて正解だったようだ。
そして、俺は先ほどから疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば、ことみはなんでここにいるんだ?」
「私、名誉図書委員なの」
「それは知ってる。放課後に、ここになぜいるんだ? と聞いてるんだ。何か用事でもあったのか?」
「えっとね、うん。あのね、渚ちゃんと待ち合わせしてるの」
「なぎさ……? 渚ってあの古河渚か?」
「うん。朋也くんもお友達?」
「……あぁ、まぁ……」
歯切れの悪い返事をことみに返した。
「そうなんだ」
対して、ことみはなぜか嬉しそうに顔を綻ばせる。
正直な所……古河に会わせる顔が俺にはない。
俺は四月の出来事を思い出す。
演劇部の再建を手伝うと約束したのに、結局は放り出してしまったからだ。
今更古河とどんな話をすればいいというのか。
自業自得ながら、俺は少し気落ちしていた。
「渚さんという方はことみちゃんの友達なんですか?」
唯一古河の知り合いでない椋が、話題に上がった渚という人物が気になったのかことみに訊ねる。
「うん。私は椋ちゃんの友達。渚ちゃんも私のお友達。椋ちゃんも渚ちゃんとお友達」
「ことみちゃんの友達なら私も友達になれそうな気がします」
日本語のやり取りになっているのか分からなかったが、俺の心の中とは無縁な二人の会話が少しだけ羨ましかった。
三十分後、図書室の扉が開き、一人の女生徒が入ってきた。
杏の代わりに俺の向かいに座っていたことみはその姿を見るなり、
「渚ちゃん、こっち」
今座っている席に誘導した。
「あっ、ことみちゃん」
そう言った声に覚えがあった。
──この学校は好きですか?
四月、桜舞う坂の下で足を止めていた女の子。
その女の子の足音が次第に近づいてくる。
少しだけ手に力が入り、手の平が汗ばんだ。
「すみません、お待たせしました。ってあれ?」
彼女が俺の真横に立った時、俺の姿に気付いたようだった。
「よ、よぅ」
俺はなんて声をかけたらいいのか分からなく、素っ気無く手を上げて挨拶をした。
あまりにも消極的なのが、我ながら情けない。
「あ、岡崎さんがいます! どうしたんですか? こんな所で」
「あ、いや。ちょっと勉強をな……」
「そうなんですか。ことみちゃんに勉強教えてもらってたんですか? ことみちゃんはとっても頭がいいのできっと岡崎さんの力になってくれます」
古河は以前と変わらない笑顔で俺に話しかけてきてくれる。
それが、少しだけ嬉しかった。
「私、先生?」
「そうですね、ことみちゃんは先生になっても優秀そうです」
「あ、えっと……こちらの方は?」
渚が椋の存在に気付き、古河は隣にいる俺に訊ねて来た。
「あぁ、俺のクラスの委員長。藤林椋だ」
俺が簡単に紹介すると、
「初めまして、藤林椋です。ことみちゃんの友達なんですよね? よろしくお願いします」
椋は立ち上がって、律儀にお辞儀をした。
「あ、これはご丁寧にどうも。わたしは古河渚って言います。こちらこそよろしくお願いします」
それに渚が同じように自己紹介を返す。
「私は一之瀬ことみです。よろしくお願いします」
なぜか、ことみまで挨拶をする始末。
「よろしくお願いします」
ことみにも挨拶を返す二人。
この先、どうなることやら。俺は深いため息をつき、この勉強会の行く末を案じた。
さらに翌日。
場所は図書館、時間は放課後。
昨日と同じシチュエーションで俺たち三人は勉強をしていた。
昨日の事で杏は何も言ってこない。
さらに言うなれば、今日はまだ杏と一言も喋っていなかった。
椋が昨日の事は誤解だと言うことを説明したらしいが、どうも杏の機嫌が良くない。
まるで針の筵の様なこの雰囲気に、俺はとうとう我慢できなくなった。
「なぁ、杏」
俺の問いかけに反応すらしない向かい側の彼女。
俺は心の中でため息をつき、仕方なく他のアプローチを考えた。
「これ教えて欲しいんだが」
さすがに勉強の事となると違うのか、杏は面を上げる。
しかしその目は冷たく、まるで雪女に睨まれた時の様なそんな寒気さが背中を駆け抜けた。
「どれ?」
なんとか杏のプレッシャーに潰されないように耐える。
「こ、これなんだが……」
「…………」
こんなのも分かんないの? とでも言いたげな顔をしているが、こちらはそれ所ではない。
だが、そんな時、
「あ、朋也くん」
「本当です。岡崎さんです」
俺の背後から、昨日の二人の声が聞こえてきた。
すると杏は、無言で片づけを始めて、
「お先に」
そう言って図書室を後にした。
「お、おねぇちゃ──」
あまりにも突然の出来事に反応が遅れたのか、椋が言い終わらないうちに杏は出て行ってしまった。
椋が二人の事は話したと聞いたが、杏の機嫌は直らないまま。
それを疑問に思った俺は、
「委員長、あとよろしく!」
そう言って杏の後を追いかけた。
「ちょっと、待てって」
俺は校門の外でやっとの事で追いつき、杏の腕を掴んだ。
「なによ。離して」
杏が放った言葉は氷のように冷たい言葉だった。
「落ち着けって。何をそんなにカリカリしてるんだよ」
俺はめげずに、杏と会話を続ける。
「してない」
「してるだろ……」
「朋也には関係ない」
「本当か?」
「…………」
「素直じゃない奴だな」
水掛け論になりそうな状態だったので、俺も少し頭に血が上っていたのだろう、つい杏の事を悪く言ってしまった。
まずいと思った時にはすでに時遅く、杏の様子を見れば肩が震えるのが見て取れる。
そして、
「なによ! あたしの知らない女の子に鼻の下伸ばしてデレデレしちゃってさ! どうせあたしなんて素直じゃないし、可愛くないわよ!!」
杏が今までのストレスを爆発させたかのように、早口でまくし立てる。
俺は杏の意図が分からないので、その言葉に応戦するしかなかった。
「誰もそんなことまで言ってないだろ!」
「言ってなくてもあんたの態度がそうだったじゃない!」
「そんな態度取ってないから!」
「だって、昨日は追いかけてきてくれなかったじゃない!」
「え?」
そう言った杏はしまった、という顔で掴んでいた手を振り解き、顔を背けた。
しかし、この場から走り出すことはせずに、どこか気まずそうにしている。
そのおかげか、俺の頭は冷静になった。
今の言葉を考えると……、
「もしかして……」
昨日追いかけていかなかったのが気に入らなかったのか?
俺はやっと分かった気がした。
杏がどうして出て行ったかは椋の説明で解決していた。
問題は俺のその後の態度だったのか。
追いかけていかなかったから、だから今日も不機嫌だったのか。
「本当に……素直じゃない奴」
俺は嬉しさで笑いが出るのをこらえて、後ろから杏を抱きしめた。
柔らかいシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり、手にした杏の体の温かさに俺は安心を覚える。
「ちょっ……何してんのよ……」
言葉ではそう言っていても、振り解こうとはしない。
「ごめんな。杏を一人にしちゃったんだよな」
「……」
「お前以外の女に向かないから安心しろって」
「……ごめん……」
謝る声は小さかったが、確かに俺の耳に届いた。
それだけで、十分だった。
「いけないって分かってたんだけど……あの子が朋也のワイシャツを掴んだ時には頭が真っ白になっちゃって……」
「もういいよ。終わった事だ」
「うん…………ねぇ、朋也」
「なんだ?」
「もう少しこのままでいていい?」
「……もう少しだけな」
オレンジ色の夕陽が沈む頃まで、俺は杏を抱きしめていた。
翌日、お決まりになりつつあった図書室へ行くと、杏と椋、古河とことみが楽しそうに喋っていた。
いつの間にか、杏は古河とことみと仲良くなったようだった。
話を聞くと、昼休みに一緒に食事をして色々話したそうだ。
古河は演劇の資料を探しに図書室に顔を出すことが多くなり、そこでことみと知り合ったらしい。
杏は、四月に俺とよく一緒にいた古河を知らないはずがなく、何度か話したことがあるらしいがことみのことは知らなかったようだ。
何がともあれ良かった良かった、と思っていた俺。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
杏がこの二日間の反省をし、
「今まで勉強してこなかった分、これから取り返していかなきゃダメ。まずは次の期末試験は目標学年二十番以内ね」
そんな事を言うもんだから、途端に俺は勉強する意欲がなくなった。
それを心配してか、
「岡崎さん、勉強は慣れると楽しいですよ! 確かにちょっと癖は強いですけど、それが病み付きになればきっと大丈夫です!」
「勉強なしでは生きられない体になれと?」
「いえっ! そんな事ありませんが……」
古河は俺の事を気にかけるようになり、
「朋也くんは勉強しないと生きれない体なの?」
ことみはことみでずれた会話をしてくる。
「断じて違う。っていうか杏。なんでこいつらまで一緒にいるんだ」
「頭のいい人はたくさんいた方がいいでしょ?」
そう言った杏は、この二日間の態度が嘘だったかのような笑顔で答えた。
その後、休みの日も勉強しようということになった。
俺の家でやろうという案も出たが、即座に切り捨てた。
誰もあの家には近づけたくない。
逆に杏の家を提案したのだが、
「え? 私の部屋!? だめだめだめ!! ぜっっっったいに入れないからねっ!!!」
と物凄い勢いで拒否されたため諦めた。
そこでとりあえず、ということで決まったのが春原の部屋だった。
最初に押しかけたとき、
「僕の部屋にプライベートはないんですかねぇっ!?」
と言っていた春原も、一ヶ月ほど経てば古河に懐柔されて一緒に勉強をやり始めていた。
本当はこいつも寂しかったのだろう。友達がいないからな。
そうしていつの間にか俺たち夏休みを迎える。
夏休みはもう少し広いところで勉強しようと言うことだったのだが、図書館の様な場所は見つからなかった。
しかし、
「えっと、私の家で勉強する?」
ありがたいことみの誘いに乗り、夏休みはことみの家で勉強をする事となる。
ことみの家はどこか見覚えのある家だったのだが、鮮明に思い出せないので気にしないことにした。
そんな事を考えている暇があったら、勉強をしろといわれるのが関の山だったから。
勉強を教えてもらうまで気づかなかったのだが、杏の教え方はとても上手だ。驚くほどに。
的確なポイントでアドバイスをして、迷うことなく答えを導かせていく。
そんな彼女が少し誇りに思えた。
さらには、まるで人をマインドコントロールでもしてるんじゃないか、というほどに人を乗せて勉強させるのがうまい。
まぁ横の馬鹿が掛かりやすいだけだが。
「やるじゃない、陽平。この問題受験に出る問題で結構な子が頭悩ませて解けない問題なのよ?」
「ほんとう? へへっ。聞いたか? 岡崎。僕の本当の実力なんてこんなもんさ!」
中学校一年の数学の問題集を片手に威張る馬鹿。
今やっていた問題はのは二次関数だ。
今の時代下手したら小学校レベルでも解けるような問題かもしれない。
「おーおーすげぇなー。確かにそんなもんだな。くっそー俺も負けてらんねーよ」
やる気なくそう答えると、
「じゃぁー負けずに頑張ってねー!」
と渡される大学受験用の過去問五年分。
俺は果たしてこの長い坂道を登りきることが出来るのだろうか……。
「さー残すところあと五ヶ月! 頑張るわよー!」
「「「「「おー!!」」」」
一人張り切っている杏に続いてみんなが応えた。
椋が春原と俺を見て控えめに笑っている。
勉強嫌いな春原もいつの間にかやる気になっている。
ことみも協力的に勉強を教えてくれている。
古河も一生懸命問題集と戦っている。
なによりこんなにやる気になっている杏は久しぶりに見る。
こんな時間が貴重に思えてきて、充実した気分になる。
(これは受験失敗なんてできないよな)
そう思い目の前の問題集を殲滅させる事に集中するのだった。
二学期が始まり教育指導の先生と進路指導の先生との会談を済ませ、進路相談時に推薦された大学に受験した。
そしてその大学の合格発表日にとうとうたどり着いたというわけだった。
来年も俺と杏と春原は同じ学校。
高校までとはいわないが、楽しい学校生活になればいいな、とこれから綺麗な花を咲かせるであろう桜の蕾を眺めながらそう願った。
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