写真を撮って時間も昼を過ぎた頃、俺と春原は図書室でだらけた時を過ごしていた。

「なーんかつまらないねー。どっか商店街にでも繰り出したいよ」

「仕方ないさ。あいつらに待っててくれって言われたんだから」

「あいつらっていうか、藤林杏ね」

おそらくクラスの奴らとかにも挨拶しに行ったのだろう。
三十分前から女性陣は図書室を後にしていた。
そして俺たちはと言うと、俺達には挨拶するような奴らはいないので、ここで待機する事にしたのだった。

「まぁ……そうとも言うが」

「彼女持ちはいいねぇー予定が詰まってて。……ん? 待てよ?」

俺の反応にあからさまなため息をついたと思ったら、いきなり何かを思いだしたように春原は立ち上がった。

「どうしたんだ?」

「へへへ……僕もちょっと……」

なんだか薄気味悪い笑みを零しながら、春原は図書室を出て行った。








     第二話 番外編  〜最後の放課後〜








「おい、結局何してきたんだ」

意気揚々と飛び出して行った春原が帰ってきたのは約三十分後。
その間暇を持て余していた俺は、適当な本を見繕って眺めていた。

「そして、春原は相変わらず変な顔で戻ってきたのだった」

「変なナレーション入れないで貰えますかねぇ!?」

扉の前で膝を抱えて座りこんでる春原は、涙ながらにツッコミを入れてきた。
変なところで律儀な奴だ。

「で、何してたんだよ」

「……言いたくない」

「あっそ」

「…………」

「…………」

「聞いてくれないの?」

学校最後だし、いい加減コイツを本気でラグビー部のスクラムに叩きいれてやろうか。
そう思ったが、寛大な心を持つ俺は、寸での所で思い留まった。

「聞いてやるから話せ。ただし、あまりにも下らなかったらどうなるか分かるよな?」

「……ぼくらさ、今日で高校生活最後じゃない?」

「あ? あぁ……そうだな」

「それが今は男二人で図書室で二人きり……」

「不本意ながらな。あとなんか文法的におかしいぞ」

「僕にだって最後を華やかに飾る権利があると思うんだよ!!」

こいつの頭には時々ついていけない時があるが、今日はそれが際立っている。
そろそろ相手にするのが疲れてきたので、結論を急がせる事にした。

「…………つまりなんだ」

「女の子に振られた」

「告白したのか!?」

俺の言葉に、春原は黙って頷いた。
どうやらこいつは卒業式によく行われる最後の告白イベントを敢行したらしい。
よくそんな事をまぁ。
……というか、待てよ。

「お前、好きな人いたのか?」

「いや、そこら辺にいる子に片っ端から告ってみた」

「…………」

こいつとまともに話すのは当分やめようか。そう思った時だった。

「お待たせー! ってあれ? なに、このナメクジみたいなの」

用が済んだのであろう杏が扉を開けて入って来ると同時に、足元で這い蹲ってる馬鹿の存在に気付いたようだった。

「気にするな。人生の負け組みを悔いてる所らしい」

「ふーん、今更自覚したの」

「あんたら……鬼ッスね……」

「そんな事より……ねぇ、朋也。この後……暇?」

来て早々、そう言った杏の笑みは、俺に何かを期待させた。











     ◇     ◇











「いやーでもなんか卒業した実感が湧かないね!」

「そうだな」

少し前を歩く四人組みの声を遠くに聞きながら、俺と春原はゆっくりと歩く。
周りには鮮やかすぎるほどに咲き乱れている桜。
入学式頃に咲くはずの花達は、俺たちの門出の為に早く咲いているようだった。
目を落とせば、桜の花びらで飾られている道。
その全てが、俺達の旅立ちを祝ってくれていると思える程、綺麗に彩られていた。

ふと、一年前にこの道で古河にされた言葉を思い返す。


──この学校は好きですか?


ずっと後に気付いたんだが、あれはきっと独り言だったんだろう。
誰に向けられるでもない、そんな言葉を今思い出した。
俺はその言葉になんと返しただろう。正直、覚えていない。


立ち止まり、降りてきた坂道を振り返る。


生きていく上で納得のいかないことばかりだった。
世の中全てが理不尽な事しかないように思えた。
高校もそう。
下らない、俺には意味がない、どうせ望んだ通りにはうまくいかない。そう考えて正面からぶつかるのを逃げていた。
いつの間にか、意味を探す事すら止め、望みもなくなり、ただ惰性で学校へ行っていた。

でも──。

風になびく桜の向こう、花びら舞い散る坂道、その奥に佇む学校を見上げた。

「岡崎? どうしたの?」

「悪くは……なかったな」

俺はそう口にした。
主語のない、一言を。

「……そうだね」

だけど春原は、俺と同じ場所へと視線を向けて、静かに俺の言葉に同意した。
主語のない、この言葉に。

俺と同じ目線の高さでいられたから。
似たような境遇で生きてきた春原だからこそ俺の一言が理解できたのだろう。

俺はいい友人を持ったんだな、と思った。
多分、人生の中でここまで気を許せる友達はいないのかもしれない。

本人には口が裂けても言えないけど、春原には感謝をしている。
俺の心の内を知らないまでも理解し合える、必要以上に近づく事もなく離れる事もない絶妙な距離感で接してきた春原。
だからこそ、こいつと馬が合ったのだろう。
馬鹿なのだが、時に物事の核心を良くつく。
そのおかげで色々と世話になったが、それでも感謝の言葉は言わない。

俺たちの関係も、生活も、ここで過ごした様々な出来事も、別に感謝するようなものじゃない。
悪くはなかった。ただ、それだけだ。
それがさっきの言葉の意味。

そして春原も俺の言葉に同意をした。
だから俺は感謝の言葉は言わない。

それが俺と春原の関係だから。
俺は春原と並び、心穏やかな時間を噛み締めた。

「朋也ー? 何してるのー? 置いていくわよー!?」

背後から聞こえてくる杏の声に俺は答えない。
いや、耳に入っても通り抜けるだけだった。
ただ俺と春原は学校を見つめている。

やがて、

「朋也ー??」

しびれを切らしたのか、名前を呼びながら杏が歩いてくるのが分かった。

「行く?」

「あぁ」

隣の声に頷いて俺は振り返って目を開ける。

目の前には悪くない親友。

走ってくる俺の大事な恋人。

その後ろにいる仲のいい友人達



これから大変な事があってもみんながいれば乗り越えられる、そんな気がした。











     ◇     ◇











「みんな準備は良いかな?」


杏の声に全員が小さく頷く。
俺も例に漏れず、あぐらをかきながらも杏の目配せに応えた。

「それではみんなの卒業を記念して、かんぱーい!!」

「「「「「カンパーイ!!」」」」」

町が夕焼け色に染まるにはまだ早い時間、杏の声を合図にキン、と小気味好い音を立ててグラスがぶつかり合った。









なぜこんな事になったのか……。少し思い返してみる。


『ねぇ、朋也。この後……暇?』


全員と別れた後、二人で歩いている時にまた、訊ねられた。
どこか照れたように、少し甘えるような杏のその言葉。
断る理由もない俺は快く、もちろん暇だ、と答えた。
むしろ、俺からも杏を誘おうかと思っていたから。

大学受験、春原の引越し、卒業式準備、期末テスト。
考えてみればこの高校三年生の後半は今まででは考えられないくらいに忙しかった。
そこで……だ。
勉強ばかりしていた俺達だったが、所詮はまだ十八歳。
青春を謳歌するためにあるこの最後の一年の思い出が、勉強しかなくていいのだろうか?
確かに杏と付き合えた事も大きいが、付き合ってから何か恋人らしい事をしたのか?
答えは否。
勉強する期間はもう終わった。
あとは、恋人との絆を深める為に使おう!



そう──考えていたのは……どうやら俺だけみたいだった。



二人で会うはずの場所には先ほど別れた奴らが全員いて、気がついてみればことみの家に来て、ジュースの入ったグラスを持たされ、まさに今……乾杯をしたところ。


俺は深い落胆を覚えた。
いつもではないが、一緒にいるのが当たり前だった俺たち。
しかし、恋人であるのに特に何の進展もない。
そんな時に、卒業式の後暇か? と言われて期待しない方がおかしいだろう。
うん、俺は間違っていない。


でも──。



「さーて、どれから食べようかなー? んーこれにしようっと」

目の前にいる俺の恋人にはそんな事は関係ないようだった。

そんな杏が手に取ったのは、手の平サイズのクッキー。

「あ、それ私が作ったクッキーです! お口に合えば良いんですが……」

尻すぼみに言う古河の言葉を聞きつつも、躊躇なく口に運ぶ。
サクッと何とも食欲がそそられる様な音を立てて、クッキーを噛み砕き、飲み込んだ。

「うん、美味しい! 全然いけるわよ! あ、これことみが作ったパイ? これも美味しそうねー」

満面の笑みで渚のクッキーを褒めると、次の料理に手を出す。

「ちょっと作りすぎちゃったからいっぱい食べて欲しいの」

「あははっ、ことみは相変わらずおっちょこちょいねー」

「でも、お姉ちゃん。これ本当に美味しいよ」

「へぇーうまそうじゃん? 僕も一つ──」

「あんたはそこら辺の埃でも食べてれば?」

「ひどっ!」

「そうなの、ひどいの」

「い、一之瀬……僕はこれから君の事を天使と──」

「昨日掃除したばかりなの。埃なんて微塵も無いの」

「…………さいですか」

「ふふっ……」

「あはは、あんた椋にも笑われるようになったのねー? 良かったじゃない!」


みんなの中心で明るく、本当にひまわりの様に真っ直ぐな杏の笑顔を見ていると、俺は心のどこかで満足してしまっていた。
やり取りは……まぁ、いつも通りだが。


──慌てる事もないか。


「俺にもそれ食べさせてくれ」


そして俺は宴の輪に入って行った。











     ◇     ◇









乾杯の音頭から時間が経ち、みんなソファに座り、テーブルを囲んで談笑していた。
そしてみんなの思い出話が尽きようとした頃。

「そーいえばさー」

杏が思い出したように口を開いた。

「ことみが急にあたし達の大学に進路変更したのにはびっくりしたわよねー」

「あー、そういえばそんな事もあったな」

そう。俺たちが大学に合格したと報告した三日後、ことみは一流大学への無条件推薦を蹴って、俺たちの大学へ行きたいと駄々をこねだしたのだ。

「さっき挨拶しに教員室に行ったとき、A組の担任の先生が未だに残念がってたもん」

全員がことみの方へと顔を向ける。

「えぇと……ごめんなさいなの」

少しだけおろおろしたように謝ることみ。
それでも、一人にさせるよりはずっと良いんだろう、そう思っていた。

「まぁ、いいんじゃない? あんな事あんたの成績があったからできた芸当だし」

「杏ちゃんもお手伝いしてましたよね。私には校長先生と直談判して納得させる事なんてわたしには絶対にできないですっ」

「だって進路なんて本人の自由じゃない。ことみが嫌がる大学に入ってもことみの為にならないでしょ」

「半ば脅しっぽかったけどな」

「なんで? 学校の面子を優先して優秀な生徒が一流大学に進学したけど、その学校で一人になって学校へ行かなくなり、ゆくゆくは退学してこの学校の評価を下げてしまう事と、他の大学に優秀な生徒を送り込んで友達と共に学校生活を楽しみ、その結果評価が上がって推薦枠が増えるのはどっちが有益だと思いますか? って聞いただけよ」

「悪魔みたいな選択っすね……」

「だってあいつらの頭固いんだもん。何でもかんでも面子に拘るし。だからハゲんのよ」

「とにかくことみちゃんはこれからもみんなと一緒ですね。羨ましいです」

椋が少しだけ曖昧な笑顔でそう言った。

「そっか。椋ちゃんだけは別だも──ぶばっ」

「少しは空気読みなさいよね」

「お姉ちゃん、私は別に気にしてないから……」

「り、椋ちゃんは夢の為に仕方なく頑張ってるんです! 私達なんかと一緒に学校生活を楽しむより夢を追いかけてる方が良いに決まってますっ!」

古河が必死に椋を援護する言葉を連ねる。が、しかしその言葉で椋は少しだけ肩を落とした。

「あぅ……」

「渚。あんまフォローになってないわよ」

「えっ? あぁ、すみませんっ!」

「だ、大丈夫です……」

言葉を何とか搾り出しながらも、複雑な笑みで答える椋。
悪気は無いと分かっていても、その言葉は椋をへこませる結果になってしまった。

「椋しか別って言えば、渚も同じ大学になるとは思わなかったわねー」

「あ、はい。パン屋を継ごうと思っていたんですが、杏ちゃん達が大学受かった事を話したらお父さんが『俺はまだ引退するつもりはないから大学行ってやりたいこと見つけて来い』って言われたんです。その後、どこにしようかと悩んでいたら今度はお母さんに友達と同じ所に行くのもいいかもしれないって言われたので……」

「それで二次試験に申し込んできたのね」

「はい。あの、ご迷惑でしたでしょうか?」

「そんなわけないでしょう? 渚。あんたはもう少し自分に自信を持ちなさい。あたしの友達を貶すのはあたし達を貶す事と同じよ?」

「えっ?」

「例えば、椋が『可愛くないし、つまらない奴だ』って言われてたら気分よくないでしょ?」

そう言った杏の背後で、

「私なんてどうせ暗くて人気も無くて……」

そんな事を言いつつどんよりとした空気を背負って、椋は地面にトランプを並べ始めた。

「あぁ、違うの。椋! 例え話よ!! 例え話!! 戻ってきて!!」

「…………そう言われるのは、気分よくないです……」

「でしょ? だからもう少し自分に自信を持って言葉を選ぶ事!」

「えっと、どんな風にでしょうか?」

「え? んー、朋也」

「なんだ?」

「女の子が可愛くないって思う時ってどんな時?」

「なんで俺に……」

「だって女の視点からじゃ分からないじゃない?」

「さよか。んー、性格が悪い、自己中心的、人を欺く、影で人の事を笑う、ぶりっ子──こんなもんでいいか?」

「なんか、それって僕の知ってる誰かにそっく──」

と、春原が何かを途中で言いかけて止まった。
杏から放たれるまるで猛獣の様な視線が春原へと向けられている。
おそらく生存本能が察知して働いたのだろう。
いい意味で理性より本能が勝った瞬間だった。

「じゃぁ、渚。自分の事はどう思う?」

「えぇ!? 自分の事ですか!? 暗くて、可愛くなくて、意気地無しで、皆さんに迷惑かけてばかりで……」

「あーストップ。それくらいでいいわ。それじゃー渚。自己紹介っぽく『暗い』と『可愛くない』を反対の意味で大げさに言ってごらん?」

「えぇと……私は誰よりも明るくて、世界一可愛い古河渚と申します! …………って絶対こんなの自分で言ってたら変な子ですっ!!」

一人ツッコミしている渚を余所に、場の空気が固まった。
これは予想以上に……良い。
そう考えていた俺に、杏が耳うちをしてくる。

(ねぇ、渚がめっちゃ可愛いと思うんだけど)

(ちょっと同感だ。あの照れる顔が意外と──ってテテテッ)

そして俺の話している途中で、杏は耳を抓り上げてきた。

「何、鼻の下伸ばしてんのよ……目ん玉くり抜くわよ?」

相変わらず健在の恐ろしい台詞をドスの利いた声で言い残し、杏は渚の隣へと移動していく。
そして、「可愛いわねー」と言いながら渚を抱き締め始めた。

まったく。耳元でキレることもないだろう。
お前が同意を求めてきたくせに……。
なんてそんな事を言えるはずもなく、俺は黙ったまま春原の頭を叩いた。

「いてっ。何すんだよ!」

「春原に埃がついてたんだよ」

「あ、そうなの? サンキュー」

馬鹿の相手は楽で良い。

「でも、考えてみれば杏ちゃんが大学行くのは少し変なの」

古河を抱き締めて遊んでいる杏が、ピクッと肩を震わせた。
こ、こいつは本気で大物なのかもしれない

「…………ことみ。久々にあたしに喧嘩売るの?」

「いじめる? いじめる?」

こちらは恐怖で肩を震わせ、俺の後ろへと退散した。
このシチュエーションも久しぶりではないか?

「ことみー? いい子だから出てきなさーい? そんなもの障害物にもなりはしないわよー?」

彼氏をそんなもの呼ばわりしてゆっくりと近づいてくる杏。
笑顔なのに笑っていないのはもう慣れた。
そして俺も無駄に被害を受ける事も容易に想像できる。

「ことみ。さっさと言った方が身のためだ。ほら、どうしてだ?」

「えっとね? えっとね? えっとね? えっと──」

焦っているのは分かるが、壊れたラジオみたいに同じ事しか言わないことみ。
俺は杏に譲歩を求めた。

「杏、とりあえずこいつはこんなんだから理由を聞いてから煮るなり焼くなりしないか?」

「…………そうね。分かったわよ。相変わらずあんたもことみに甘いんだから」

「まぁ、そう言うなって。ほれ、ことみ。杏は今の所、手を出さないみたいだから今のうちに言っておけ」

「…………えっとね、杏ちゃんは幼稚園の先生目指すなら専門の学校へ行くのが早いと思ったの」

「そうなのか?」

俺は杏に振り返って聞いてみる。

「そんな事ないわよ?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………ええと……?」

「覚悟はいいわね? ことみ」

誰もことみの目をみようとしない。
見たらきっと罪悪感に苛まれてしまう。

「んー! んぅー!!!」

杏はことみの背後へと回りこみ、口を塞ぐ。

「あんたのこの反則的な胸。捏ね繰り回してあげるわ。この、この」

「んーーーー!!!!」

悲しいかな。
俺たちは視線を合わせずにただ、ことみの断末魔を聞く事しか出来なかった。










     ◇     ◇







宴も酣。
ふと、気がつけば夜の七時を指していた。

テーブルの上にある皿には寂しげに残った料理が少しだけ。
ジュースの入っていたペットボトルもいくつか空になってその辺に置かれている。

いつまでもこんな時間が続けばいいのに──。

久々にそう思える時間がもうすぐ終わりになってしまう。
少しだけ、残念な気もするが、それ以上に高校生活の閉幕には十分過ぎるほど楽しめた。
こいつらと出会えて本当によかったと思える。

「あ、もうこんな時間」

杏が時計に気付くと、他の人達も同じように時計を見始めた。

「え? もうですか?」

「気付かなかったです」

「早いのー」

「なんか実感がないなー」

それぞれが言うと、杏がパンパン、と手を叩き、

「それじゃ、パーティーはここらでお開きにしましょ。各自ごみを片付けるわよー。朋也と陽平はペットボトルとゴミ片付けて。あたし達は食器よ」

「「「はーい」」」

杏の指示の下、片付けが始まった。

「なんか、学校終わっても委員長みたいだね」

「そうだな。でもそれがいいとこでもあるだろ」

「はいはい、ごちそうさまー」

ゴミを片付けながらもキッチンへ目を向けて見ると、女性陣が楽しそうに後片付けをしていた。

「エプロンってなんかそそるよね」

「……少し同意しておこう」

男の性と言うか、なんというか……俺自身、そういうのは嫌いではなかった。
と、杏がこちらに気付いた。

「何してんのよ。もう片付け終わったのー?」

「あぁ。片付けた」

「ふーん。で、何してるわけ?」

「いや、杏のエプロン姿を見てた」

「……なんで?」

「結構似合ってたから」

「…………はっ!!?」

予想以上にヒットしたようだ。

「ば、ばか言ってんじゃないわよ! たかがエプロン位で……」

「いや、案外いけてるぞ?」

「うるさい! ……恥ずかしいでしょーが!」

そんな事をしていると、春原が一言。

「ねぇ、あんた達いつまでやってるつもり?」

椋もことみも古河も春原も片付けが終わったのだろうか、すでにくつろいでいた。

「岡崎がエプロンをね……あっ、そうだ!」

春原はニヤニヤしていると思ったら、急に何かを閃いたようだった。
何を考えているのか分からないが、どうせろくな思い付きじゃないだろう。
そう思っていたのだが……。

「今度みんなで卒業旅行いかない!?」

案外まともで、結構いいアイデアを出してきたのだった。

「お前にしてはずいぶんまともな事言うな? まぁ、一泊くらいならいいかもな。どっか山とかにでも行ってバーベキューとかやるのもありだ」

「お姉ちゃん、行ってみない?」

「旅行ねぇ……」

椋の言葉に、口元に手を当てて考えていた。
それが杏の考えるときの癖なのは知っている。
大方、春原を連れて行った時の懸念事項でも頭の中で列挙しているのだろう。

「バーベキューですか!? とっても楽しそうです!」

「バーベキュー。野外で肉を串に刺して直火で焼きながら食べる料理の事。基本的に大人数で焼いて食べた方が美味しいと感じられる不思議な料理」

「岡崎。どうせなら川とかの近くにして魚も一緒に焼いて食べようぜ!」

「お、いいな。それ」

各自で好き勝手に意見を進めていると、杏が諦めたようにため息をついた。

「あー分かった分かった。みんながそういうなら文句ないわよ……」

右手を額に当てて、渋々春原の提案に賛同したのだった。

「それじゃー決定だな。時期はいつがいい?」

「今月最後の土日辺りは?」

「多分、それくらいが一番みんな都合つくんじゃない?」

「あれ? 椋ちゃんのお引越しの日ってその辺りじゃなかったでしたか?」

「あ、私の引越しはもっと前にやろうと思っているの」

「あ、そうそう。スーツ買いに行くの少し早めなきゃね」

椋の言葉を聞いて、杏が思いだしたように手を叩く。
スーツと言えば俺も買いに行かないとないはず……。

「スーツ……お買い物に行くの?」

「ん? ことみ。あんたも来る?」

「みんなとお買い物。楽しいから」

「あの、わたしもご一緒してよろしいでしょうか!?」

「いいに決まってるじゃない。さて朋也、あんたはどうする?」

「俺? いや、別にお前らで勝手に行けばいいだろ」

とりあえず二、三日したら春原を引き連れて行ってみるのもいいかもしれない。
そう考えて、俺は答えた。
何より、女の買い物は時間がかかるし気を遣う。
男がいるにも関わらず、下着屋などに普通に行きそうな奴らだ。こちらとしたらたまったものではない。

「感じ悪いわねー。みんなで一緒に行こうって言ってるのにその答えは酷いんじゃない?」

「どう答えろって言うんだよ」

「ぜひ、荷物もちとしてお供します」

「……やっぱりそのつもりか。最初からそう言えばいいじゃねーか」

「あんたの意見が聞きたかったのよ」

「行きたくないんだが」

「却下」

満面の笑顔で、容赦なく俺の意見を斬り捨てた。
どうやら本当に拒否権はないようだ。

「よし、春原。お前も来い」

俺だけが理不尽な思いをしてたまるかと思い、とっさに春原を巻き込む。

「ぼく? 全然オッケーだよ」

すると、なぜか調子よく春原も了承してくれた。

「僕もスーツ買いに行かないといけないし、それに」

春原は俺以外を見回し……鼻の下を伸ばして言い放った。

「みんなの着替え見たいし!」

春原の言葉に固まる一同。
その中で、一番早く動いたのは杏だった。

「……陽平」

「うん? 何?」

ウキウキ顔の春原の肩に手を置く杏。

「死ねッ」

親の仇と言わんばかりの怒声と共に放った拳が顔面にめり込んだ。

「春原。さすがにそれは人として最低だぞ」

「い、色々な服を着てるの見るのがそんなにダメッスか……」

そこまで言うと、春原の伸ばした手が崩れ落ちた。
つまり、色んな服を試着するのを見たかったのか。
俺は心の中で神掛かった間違えをした馬鹿を見下ろす。
ここまでくると、この馬鹿さ加減も一種の才能だな。

「それじゃ、いつ行く?」

今の行動をなかった事にして、杏は壁にかかっていたカレンダーへ視線を向けた。

「次の日曜日でいいんじゃないか?」

その時期ならまだ学生は春休みじゃないから多少の混雑は避けられるだろう。

「あたしは大丈夫だけど、みんなは?」

「私は大丈夫だよ」

「わたしも平気です!」

「私はいつでも大丈夫なの」

「それじゃ、決まりね」

椋が手帳を取り出し、メモを始める。
ことみはカレンダーに直接書き込んでいた。






そして数分後。
予定を書き終わった椋とことみ。
杏と古河は座って雑誌を読んでいる。
俺は近くのソファに座っていた。

「うーん……あれ?」

呻き声と共に起き上がった春原。
杏はそれを見て、俺へと視線を送ってきた。
そろそろ帰るということだろう。
俺は静かに頷いて杏に答える。
すると、杏は立ち上がった。

「さて、そろそろ帰るとしますか」

こんな事で意思を疎通できる事に、俺は少し優越感を覚える。

「じゃー朋也。最後に締めの言葉でも言ってよ」

しかし、その優越感も5秒と持たなかった。
全く予想をしていなかった事だけに、かなり戸惑う。

「は? いや、いい。俺そんなタイプじゃねーし」

「何よ、頷いたじゃない。とりあえず、何でもいいから言ってよ。締まらないじゃない」

意思疎通…………はどうやら失敗したいたようだった。
杏の手に押されて、俺はよろけながらも足を一歩を踏み出す。

俺の目の前に回りこむ杏。
そして並ぶ面々。

俺は仕方なく適当に言葉を並べる事にした。

「あー高校生活お疲れでした。では解散」

「なによそれー。もっと言う事ないわけ?」

杏が憤慨しながら俺を避難する。

「なんて言えばいいんだよ……」

「楽しかったーとかこれからもよろしくーとか色々あるでしょうが!」

杏の言葉で俺は少し考える事にした。
ここまで言われたら杏に一矢報いたい。
そして頭の中で出た言葉。

「よし」

「おっ? 岡崎、腹を括ったのか?」

春原のヤジを聞き流し、俺は再び口を開いた。

「俺はこの高校生活で杏に出会えて良かったと思う。もちろん他のみんなとも出会えて嬉しい。今日みたいな楽しい時間がずっと続けばいいと思う。その為にも────杏、これからも一生、ずっとよろしくな!!」

俺はそう言い放ち、反応を待った。
杏に一泡吹かせようと思って考え付いた言葉。
──一生よろしく。
これは冗談だが、杏にとってはきっと恥ずかしいどころではないだろう。
少し困らしてやれ。そう思って言った言葉だった。

しかし──。

「ひゅー! 岡崎、もう婚約宣言かよー! やるねー!」

「お、お姉ちゃん、幸せになってね!!」

「結婚式はいつやるんですか!?」

「杏ちゃん顔真っ赤なのー」

思った以上の効果だったのか杏の顔を見ると、ことみの言う通りに真っ赤だった。
多分、いままでに見たこともないくらいに。

「な、なな……なに言っちゃってくれてるのよ!?! い、いっしょ、一生だなんて……あ、あんた意味分かってるの?!」

言語障害が起こるほどに、杏は物凄い動揺している。
ここで分かっていると言ってもいいのだが、周りの反応からするにおそらくそんな事を言えば当分はまた帰れなくなるだろう。
さすがに遊びが過ぎたかもな。
俺は『わざと』抜いた一言を追加して杏に告げた。

「あーすまん。そこまで深い意味はない。杏と『みんなも』一生よろしくっていう意味だ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あーあ……」

「あ、あれ……?」

急激に周りの温度が下がった……気がした。
周りの視線もどこか冷ややか。

「朋也……」

おそらく──というか、間違いなく目の前の杏から発せられる冷気。
その証拠に、声もなぜか冷たい。

「き、杏?」

「なーにー? 朋也クン」

生存本能をフル回転して、俺は次の言葉を考える。
杏に刺激を与えず、余計な事は言わず、なんとかこの場を凌ぐ言葉を──。

「ふ、深い意味なんてないだろ!? 言葉通り、そのままの意味にとれるだろ?」

「そうね。みんな一緒だもんねー?」

「お、お前とも一緒だぞ?」

「そうね。みんなと一緒にねー?」

「なんだ、みんなと一緒にいるのが嫌なのか?」

「べ、別にそんなんじゃないけど……」

少しだけ杏の雰囲気が変わった。
逃げ道は今、ここしかない──!

「そんな事言ったらみんな悲しむぞ? 俺は杏を含めて、みんなと一緒にいたいって思ったんだからさ。それに誰も別れるとかは言ってないんだし。それとも杏は俺と一緒にいてくれないのか?」

俺は一気に言葉を捲くし立てた。

「う……そんな事は……ない……けど」

少しだけ崩れ始めた杏の怒り。
俺は必死に崩壊させようともがく。

「けど?」

「言い方が……紛らわしいでしょうが……」

「そっか。ごめんな」

俯いて、少しだけ涙目になってる杏の頭を撫でた。
これできっと杏の怒りは収まるはず──。
そう思っていた。

「あのー……僕達帰って良い?」

しかし、杏の怒りを収めても、周りの冷ややかな視線を収める事は出来なかった。
というか、忘れていた。
心なしか、冷ややかというより生温かい視線になっている気がする。
俺は敢えて気付かないふりをし、

「さて、帰るか」

全員に向かってそう告げた。
さすがにもう疲れたから。

「そうだね。面白い物も見れたし」

春原はニヤニヤした顔で俺の事を横目で見ながらも同意した。









すでに夜も八時を回り、やっと俺たちはことみの家を出る事が出来た。

「みんな、またきてね」

ことみが玄関先で手を振る。
いつもは笑顔で見送ることみだったが、今日は様子が少し違った。
宴のあとの寂しさ。
それを感じているのだろう。
自分の家で行われていたのならなおさらだ。

「じゃーな」

きっとそなんだろうなと思った俺は、軽くことみの頭に手を乗せた。
そして、俺の行動に続くように全員が口を開く。

「おやすみなさい。ことみちゃん」

「また明日ですね、ことみちゃん!」

「僕もまた来るよ。待っててねー」

「ちゃんと戸締りするのよ、ことみ」

帰り際の一言でも性格が出るような言葉をそれぞれ残して、俺たちは帰宅の途に就いた。








こうして、俺たちの高校生活、最後の一日が本当の意味で終わりを告げたのだった。






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