第三話  ゾリオン







──熱い。


最初に感じたのは顔に当たる日差しの熱さ。
目を開くと、カーテン越しに眩い光が俺の顔を捉えていた。
俺は眠い目を擦る事もせずに少しの間、ボーっと天井を眺める。
ふと、気になる事が頭をかすめた。


──今何時だ?


頭を少しだけ起こして時計を見ると、すでにもう昼前を指している。
俺はそれに別段驚く事もなく、もう一度枕に頭を落ち着けた。


──卒業……したんだよな。


天井の木目をじっと見つめながら、昨日の出来事を振り返る。

ヒンヤリとした空気の中での卒業式。
担任からの最後の一言。
幸村への挨拶。
図書室での記念写真。

どれを思い出しても、未だに卒業したという実感が俺にはない。
卒業という人生の節目が終わっても、全ての環境はガラッと変わることなくいつも通りだった。
















再び二時間くらい寝た後、俺は家から出て散歩する事にした。
家にいたらその内、あの人と顔を会わせる事になるだろうから。


家から一歩外に出ると、俺は学校とは違う方向へと足を向けた。
肌寒い温度だが柔らかく温かな風が吹く中、目的地もなくただ歩くだけ。
春原の新しい住処に行っても良かったが、少しだけ散歩という寄り道をしながら行く事にした。


昔に通ったような道を当ても無く歩く事十五分。
ふと、工事現場らしき場所が視界に入ってきた。


「あれ?」


俺は目の前の光景に違和感を感じる。
自分の頭の中にある光景はすでにそこにはなく、目の前の土地は黄色と黒の柵で囲まれていた。
おそらくは、しばらくこちら側へこない内に開発が進んでいたのだろう。
中を窺うと、休日だからだろうか中に人は見られなかった。

俺は柵の向こうに見える土の山や鉄骨の山を眺めながら、少しだけ速度を落として歩く。


(気付かないうちに変わっているものもあるんだな)


そんな事を考えながら曲がり角を曲がると、俺はすぐに足を止めた。
俺の進行方向の少し先、工事現場の柵が途切れる場所から中に視線を送る一人の男が目についたから。

その男は身じろぎ一つせず、ただ工事現場の中を見ている。
タバコを吸いながらも、その男の横顔からはどこか物悲しげな想いを感じた。

まるで、旧友へと声をかけたが相手は反応すらしてくれない、そんな理不尽な出来事に諦めを感じているかのような表情。
これ以上進んでいい雰囲気ではないと思い、その場を離れようとした時、


「ん?」


俺の視線に気がついたのか、その男と目が合った。


「なんだ、こら。見世物じゃねーぞ?」


第一声でそんな事を言われる。
見知らぬ人間にすぐ啖呵を切る辺り、気は短くなさそうだ。
真正面から見たそいつは整った顔立ちだが目つきが悪く、その瞳はギラギラしている。
普通に生きていく上では関わらない方がいいだろうという感じの男に睨まれてしまった。
どうやってやり過ごすか、考えながらその男の様子を伺っていると、そいつはこちらへと歩いて来る。


「おい、小僧」

「……なんだよ」


呼びかけに対して俺は少し棘のついた言葉を返す。
別に不良を気取るつもりはないが、今まで言われた事のない小僧という単語が思いの他、俺の感情を昂らせたようだった。


「さ…………いや、ゲームは好きか?」


俺の言葉に興味ないのか、それとも何か別の理由があったのか、俺の言葉に対してそいつは何の反応もない。
代わりに何かを言おうとして、一瞬だけ躊躇い、やめて別の話題を持ってきた。
何かを隠す典型的なパターン。
この人が何を狙っているのかは分からないが、本当に関わらない方が良いと俺の勘が告げている。
だから俺の答えは明白だった。


「いや、興味ない」

「そうか。じゃーお前はゲームオーバーだ。ちなみに罰ゲームがあるぞ」

「は?」


一体コイツは何を言ってるんだ?
ゲームが嫌いだといったら参加させないんじゃないのか?
そもそもすでに俺はそのゲームのプレイヤーなのか?


「お前やる気がないんだろ? 誘われたからにはどんな物だろうと受けて立たないと男じゃねーからな。参加は強制だ。お前あそこついてんだろ? ついてないならこのまま見逃してやるが」


俺は目の前の男が言っている事に反論が出来なかった。
というか、あまりにも唐突で意味不明な展開に頭の回転が追いつかない。
だからだろう。


「お前、名前は?」

「え? あ、岡崎……」


あまりにも馬鹿らしい手に引っかかり、素直に答えてしまったのは。
だがすぐに、俺はこの展開に終止符を打つために反論を始めた。


「違う、そうじゃない! 俺は参加もしないし、興味もない。やるならあんたの仲間と勝手に遊んでてくれ!!」


至極まともで一般的でどう考えてもこちらに道理がある。
しかし、すでにもう遅かったようだった。
目の前の男はトランシーバーを取り出し、


「諸君、新たに参加者が加わった。まだまだの小僧だが俺が見つけた刺客だ。油断して喰われちまえ! あと、鬼はこれから二人にするぞ!」

「……たー! これでそ……えば僕が……お……なくなる!」

「ちなみにこいつが鬼だ」

「えぇーー!!!」


諸君と言う割りには反応している奴が一人しかいない辺り、こいつと今の奴との遊びなのか。
はたまた全力で遊んでいる奴らが自分の居場所を悟らせない為にわざと会話をしないのか。
とにかくどちらに転んでも一筋縄では──。


「アホか。俺は何をやる気になってるんだ……」

「名は岡崎。ひょろっとした小僧で、年は多分高校生くらい。あとは……おい、小僧。なんかアピールしとけ」

「は?」


そう言われて投げて寄越されたトランシーバー。
俺は参加はしないという意思を持ってそれを握り締めた。
しかし、その時。


「岡崎? 岡崎もやるのか?」


トランシーバーから聞こえてくるよく耳に馴染んだ声。
俺はトランシーバーを凝視し、その声に応えた。


「春原……? お前なにやってんだ?」

「これ鬼ゾリオンって言って中々楽しいゲームなんだぜ! いやー君には才能があるって言われて──」

「おっと、おしゃべりはそこまでだ」


赤髪のそいつは俺の手に持つトランシーバーを奪ってニヤリと笑う。


「やるのか?」

「…………」


俺はその答えを考えていた。

適当に回って春原の家に行こうと思っていたのだが、春原が目の前の男と遊んでいるとは予想外。
一緒に時間を潰した方が賢明なのか?

俺が少しだけ迷っている事を見越したのか、


「ほれ、こいつを貸してやる」


そいつは俺に銃の様な物を寄越す。


(モデルガン?)


手に持つと分かる軽さ、プラスティックで作られた肌触りなのだが、不気味に黒光りしていて銃口はガラスの様なもので塞がれていた。


「そいつは俺と知り合いで作ったもんでな。これもつけろ」


目の前の男はそんな説明をしながら、黒い円状のバッジみたいなものを俺の心臓の場所に付けると、


「よしっ」


子供の様な無邪気な顔で満足そうに頷いた。


「さて、まずはルール説明だ。これでここを撃たれたら鬼。以上」


手に持つ銃を俺の胸元に当てて話を終わらす。
あまりにも短く簡潔な内容に俺の頭はまたもや反応しきれなかった。
もう少し細かいルール説明とかあってもいいんじゃないか?
そう言おうとした時、


「じゃー始めるぞ。戦闘地域はこの町内全て。制限時間は夕方五時まで。鬼はお前だ。よーい、スタート!」


一方的にまるでマシンガンのように立て続けにしゃべると、あっという間に走って消えてしまった。
あの足の速さはなんだ?
俺も少なからず足には自信はあったが、今の動きを見て追いつける気がしない。
とにかくあいつだけは敵に回すとヤバイ。それだけは理解した。

俺はその場に留まって少しだけ考える。

顔も知らない奴ら相手にどう追えと言うのか?
情報が必要なのに肝心の参加者が分からない。
それにゲーム範囲が町全体とはさすがに広すぎる。


「……考えてもしょうがないか」


とりあえず俺は人通りの多い商店街へと行く事にした。


















商店街のにつくと、俺は喧騒の中を当てもなく歩く。
呼び込みの声。
おばちゃん達の笑い声。
学生達の噂話。
子供の泣き声。
商店街を彩る騒がしい様々な音や声が、流れるBGMに乗せてより一層の混沌とした喧騒を作り出していた。


「朋也ー!!」


そんな中、一際高い声で俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
振り返って見ればそこには杏、椋、ことみの三人が色々と袋を持って立っていた。


「何してんの?」

「いや、散歩だ」

「ふーん?」

「お前らはどうしたんだ?」

「あたし達はほら、卒業旅行するって言ったでしょ? それの買い物よ」


よくよく見て見れば袋には商店街で見かけた事のある服屋の名前のロゴが入っていた。


「なに女の子の手荷物じろじろ見てんのよ? 目ん玉ほじられたいの?」


笑顔で少しだけ殺気の篭った声を俺に向ける彼女の気配に、俺はすぐさま視線を三人に戻す。
そこでふと、ある事に気付いた。


「古河は一緒じゃないのか?」

「あの子は家の手伝いしてるわよ。休日くらいは両親に休んで欲しいって自分から店番手伝ってるみたい」

「そうか」

「ん? あんた何つけてるの?」

「あーこれか。気にするな」


杏が俺の胸元のバッチに気付いて、それを覗き見る。
数秒としない内に顔を上げて俺に視線を向けた。


「だっさいわねー。あんたにこんなセンスがあったなんて……少し付き合いを考えようかしら?」

「お姉ちゃん!」

「う……。冗談よ、冗談」


杏の一言に注意を促す椋。
きっと今の言葉は椋の許せる範囲の言葉ではなかったのだろう。
俺達二人の仲を応援してくれている椋はこうしてたまに注意をする。
何だかんだでこの姉妹は仲がいいなと改めて思う。


「そんなに悪いのか?」

「ちょっと待ってて」


杏は手鞄を漁り始め、やがて手の平サイズの鏡を俺に寄越した。


「新しいの買ったからあげるわ」

「いや、悪いだろ」

「彼氏に身だしなみに気をつけなさいと言ってるの。それに鏡が二つあってもしょうがないでしょ」


杏の言葉に渋々頷き、俺は鏡をポケットにしまった。


「そう言えば──」

「大変なの! 朋也くんピストル持ってるの! とってもとっても危険なの!!」


春原を見なかったか、そう言おうとしたところに、いつの間にか後ろに回りこんでいたことみが後ろの腰ベルトにさしていたモデルガンを見て騒ぎ出した。


「ピストル!? あんた一体何やってんのよ!?」

「違う、誤解だ!!」

「はぁ? 誤解って何よ!」

「お姉ちゃん落ち着いて!」


商店街のど真ん中で、叫んでいた俺達が一番騒がしかったのかもしれない。













「それで断る事も出来ずにそのゲームに参加していると?」

「あぁ。そういう事だ」


『荷物も持った女の子を道端で立たせっぱなしにするのも悪いわよね』


そんな事を言う杏に連れられて近くの喫茶店へと入った俺は、先ほどの出来事を一通り話した。


「あんたやっぱり救いようのない馬鹿でしょ?」


好感を持てる程に、清々しく言いたい事を言う杏の一言は、今の俺にはひどく傷つく。
いや、確かに失敗したとは思ったがここまで言わなくても……。


「まったく、詐欺にでもあってたらどうすんのよ? そんなに言わなくてもいいじゃないかって顔してるけど、言い過ぎじゃないからね? 二人だってそう思ってるわよ」

「え……えっと……」

「??」


いきなり話を振られた椋は返答に困り、ことみはモデルガンを弄って遊んでいた。


「で? そのゲームは終わりそうなの?」

「いや、まったく。参加してる人数も顔も知らん」

「…………」


向かいの席にいる杏は何も言葉を発しないまま、呆れたと言うよりも蔑んだ顔で視線を向ける。
さすがにここまでされると、今のは失言だったということに気付く。


「あ、いや。春原が参加している事は知ってるぞ!」


慌ててそう言いなおすと、


「椋、ことみ。帰るわよ」


杏は俺の声に反応する事なく立ち上がった。
堪忍袋の緒が切れたのか、呆れ果てただけなのか。
やはり馬鹿な事をしたなーと色々な事を諦めた時、


「お、お姉ちゃん。少し手伝ってあげようよ」


椋が助け舟を出してくれた。
そう言ってくれた椋の優しさに少し感動を覚える。


「ありがとう、藤林。俺の味方はお前だけだ……」

「え? あ、いえ……」


照れて俯く女、それを笑顔で見つめる男。
端から見ればきっと微笑ましく、初々しいカップルにでも見られたかもしれない。
そして杏にも……、もしかしたらそう見えたのだろうか。
立ち上がったまま俺の席の隣にいたことみをどけると、俺の耳を引っ張った。


「イテテ……」

「手伝ってあげるわよ! その代わり貸しだからね」


耳元でそう言い放つと、耳から手を離す。


「あんたも言い出したんだから何が出来るか考えなさいよね!」

「う、うん」

「ほら、ことみもそっちに座る!」

「はい」


俺の隣に杏、目の前に椋、右斜め前にはことみという席順に変わり、話を続けた。


「あたし達は参加しないけど、情報くらいは見つけられるかもね。とりあえずルールの確認」

「えっと、今ことみちゃんが持ってるモデルガンで相手の人の胸元にあるこのバッチを撃てば鬼交代になるんですよね」


椋がたどたどしく、ルールを俺に確認してくる。


「あぁ。そんな感じだと思う」

「多分、赤外線かなんかに反応すんじゃない? このバッチ」

「おそらくそうだろうな」


ことみの方を向くと何が楽しいのか未だにモデルガンを弄っている。


「ことみ。それ弄ってて何か面白いの?」


呆れ顔の杏がことみに声をかけると、


「不思議なおもちゃなの」


本当に不思議そうな顔をして、答えた。
杏はため息をつきながら首を振り、頭を抑える。
その気持ちはよく分かった。


「ことみ。それこっちに渡してくれるか?」


そろそろことみが何かをしでかす予感がして、俺はことみからモデルガンを預かる事にする。


「あれ? ひっかかっちゃった。……んんっ、取れないの」


指二本をトリガーの部分に突っ込んでいて、すぐには取り出せないようだった。
仕方なく外してやろうとことみの方へと身を乗り出した。
すると、


「あ、こうすれば取れるの」


ことみはタイミングよく、俺の胸元──バッチに向けてトリガーを引いた。
その瞬間──。

甲高い電子音が喫茶店の音を支配した。
耳に響く、防犯用に鳴るあの独特の音。
そしてこの発信源は俺の胸元にあるバッチ。
俺は必死にそれを体ごと机に押さえつけるが一向に鳴り止まない。


「ちょっと、だんだんうるさくなってない!? 早く止めなさいよ!!」


両耳を覆っている杏の叫び声も遠く聞こえるくらいに、その音は激しさを増していく。
いっその事壊すか──そう思った時、突然鳴り止んだ。
でかい音の後に必ず起こる数秒の沈黙。
その間に周りの人達を含め、喫茶店にいる全員が深く深呼吸をしてから俺達のテーブルへと視線を向けるのが分かった。


「お騒がせしてすみませんでした!!」


ばつが悪くなり、最初に謝るのは杏。
続いて俺、椋の順番で謝る。


「ほら、あんたも頭を下げる!」


杏は一番謝らないといけない原因の人物の頭を掴み頭を下げさせる。しかし、


「えっと、お後がよろしいようで」

「よろしかないわ!! とにかく、もうしませんので……」


そんなコントのようなやり取りをして、再度深く頭を下げた。









すぐに喫茶店は賑わいを取り戻し、再び俺達は話を始める。

「で? さっきのはどういう事?」

「俺が知るか。あれが撃たれたっていう合図なんじゃないのか?」

「撃たれた時はあんな音が鳴り響くのね……ん? ちょっと待って」

「どうした?」

「話かけないで!!」


話を振ってきたのに話かけるなとはこれいかに?
そうは思っても顎を手に当てて考え込んでいる杏を見ていると、何か打開策が思いついたのかと少しだけ期待をしてしまう。


「朋也。参加者に陽平がいるって分かったのは、これを渡してきた男がトランシーバーを持っててそれで連絡を取ってたからよね?」

「あぁ。そうだが」

「ちょっとそれ借りるわよ」


杏は真剣な面持ちで机の上に置いてあるモデルガンを手に取った。


「うーん……」


唸りながら上から見て、横から覗いて、下から見上げて、様々な角度からモデルガンを吟味している。
するとしばらくして、


「あっ! これよ!」


杏が取っ手より少し上の部分についている摘みを捻る。
すると、取っ手の部分が折りたたみの携帯電話のように開いた。
表面を見るとスピーカーがついている。
どうやらこれは折りたたみ式のトランシーバーの機能もあるようだった。


「やっぱり」


杏は満足そうにモデルガンを見ると、そのまま机に置く。


「よくこんなの見つけたな」

「んー。少し考えたらこれが一番怪しいのよね」

「どういう事? お姉ちゃん」

「だって陽平に特別トランシーバー渡すと思う? ないでしょ。全員平等にしないとゲームは面白くないじゃない。っていうか、あの単純馬鹿が使いこなせる位の物だし、どうせ『銃に色々機能がついてる! カッコいい!!』とか言ってるに違いないわ」

「なるほどな」


確かにこのモデルガンのギミックを説明されて喜んでいる春原が容易に想像できた。


「あと、その男はきっとゲームの主催者ね。こんな凝ったものを作るくらいだもの。よほどの暇人よ」

「それは俺も思った」

「最後に、町中であんたと同じようにそのバッチをつけてる奴がいるはず。おそらくそいつらは隠しもしないで堂々とつけていると思う」

「そりゃまたなんで?」

「隠してたらゲームにならないじゃない?」


当たり前の事過ぎて見逃していた事をすらすらと杏は並べて行く。
モデルガンを使って他の参加者の事を聞いて、そしてバッチをつけている人間を探す。
これで何も情報がない一時間前よりはずっとマシになった。


「ありがとうな、杏。これでなんとかなりそうだ」


杏に感謝の言葉を言った時だった。


「ふっ。そう簡単に行くかな?」


俺達の会話に聞き慣れない声が入り込んできた。
その声の発信源は、机に置いてあるトランシーバー……の機能が付いたモデルガン。


「さっきのお嬢さん。杏と言ったかな? 中々の推理力だな。だが、まだまだ世間の荒波を知らない甘ちゃんだな」

「なっ!!」


トランシーバー越しにいきなり挑発をくれるその男の声はまさしく──、


「さっきの男だ」


先ほど聞いて、間違えるはずもない。
いきなり出現した男の声だったが、俺は不思議と冷静になっている。
俺はトランシーバーを手に取り、相手に向かって質問を投げた。


「なぜいきなり会話に入ってきたんだ?」

「あん? お前が連絡を寄越してきたんだろ?」

「いや、違うが」

「なにぃ? じゃーあれか? 無言電話ならぬ無言シーバーを俺様にやってくれたってのか!?」

「意味が分からない。こっちからあんたに繋げたつもりはない。使い方が分からないんだからな」

「……俺、説明しなかったか?」

「あぁ」

「…………」

「…………」


気まずい沈黙が辺りを包む。
と言っても、俺は相手が何か言うまで喋る気はなかった。
十秒ほど経った頃だろうか、やっとトランシーバーから声が返ってくる。


「………………ちっ、俺とした事が」


一言悪態をつくと、「しゃーねぇ」と言って説明を始めた。


「つまみを回して柄の部分を開けば自動的に俺に繋がるようになってんだよ」

「なるほど。それで?」

「モデルガンから出る赤外線が相手のバッチに当たれば大音量で電子音が鳴る」

「それは知ってる」

「あんで知ってんだよ!! 分かった。もう教える事はねぇ」

「いや、待ってくれ。一体このゲームは何人参加してるんだ?」

「お前、何でも知ってんだろ? 俺からは絶対に教えてやらん」

「あんたガキか!!」

「なんだとーう? てめぇ。俺のモノを見てそんな事言ってくれやがってんのか? お前のいちもつは俺のが子供だってくらいのもんだってのか?」

「何の話だ!!」

「大人の背比べの話だろう」

「誰もそんな話してない! いいから参加人数を教えてくれ!」

「ちっ。ノリの悪い奴だ。あー六人だったかな? お前を入れたら七人だ」


とても疲れるやり取りをして引き出した情報はまず人数。
春原とこいつを除けば残りは五人……。
時計を見ればもうすぐ四時。
残り一時間で一人を見つけてさらに相手のバッチを撃たなくてはならない。
こいつの遊び相手……おそらく一筋縄では行かないだろう。
俺は一つため息を吐いた。


「他の奴の特徴とか教えてくれないの? ゲーム範囲がこれだけ広くちゃ誰だか分からないとゲームが成り立たないわよ」


俺の絶望的な境地を察したのか、横から入ってきた杏が非難の声を上げる。
俺も同じ意見だったので、批判は杏に任せる事にした。


「大体、いきなりゲームに参加させられて右も左も分からないんじゃ面白くないわよ!」

「む……楽しくないのか」

「そーよ! これなら近所で野球でもしてた方がまだマシだわ」

「そりゃー困ったな……」


楽しくないと言う言葉に引っかかったのか、黙ってしまった。
もしかして、考え込んでいるのか。


「よし、分かった。少しだけ考えてやろう。十分後にまた連絡する」

「あ、おい! アンタの名……」


名前だけでも聞こうとしたが、言い切るには少し遅く、何度呼んでも返ってくる答えはなかった。






「杏ちゃんすごいの」

「ん? 何が?」

「いや、本当助かった。このままだと絶望的にバツゲーム決定だったからな」

「お姉ちゃん昔から交渉上手だったよね」

「な、なによ。褒めても何も出ないわよ?」


照れた杏はグラスの中の氷をストローで回している。
そんな光景も少しだけ微笑ましかった。


「それより! 次の事を考えましょ。多分次に向こうがしてくる事は────」




















時間は四時三十分になる少し前。

俺達はある公園にやって来ていた。


「ここでいいんだよな?」

「目の前にパン屋があるんでしょ? ここ以外にそんな公園ないわよ」

「それもそうか。ん? 古河パン……?」

「古河……」

「古河ってもしかして……?」

「渚ちゃん??」

「ちょっと私見て来るね!」


荷物を近くのベンチへ置いて、椋が駆けだして行く。
全員の考えどおりなら、古河がそこにいるはず。
そのはずなんだが、なぜか確信が持てた。あそこには古河がいる……と。
そして──。


「みなさん、どうしたんですか? こんな場所に」


案の定、店から出てきたのはエプロンをつけた古河だった。


「こいつが変な男に捕まってゲームさせられててさ。色々交渉した結果ここに来るように言われたのよ」


簡単に杏が説明を行うと、


「そうなんですか。岡崎さん、頑張ってください!」


真剣な眼差しで応援された。
なんだか古河の応援は子供の声援の様な、そんなくすぐったさがある。


「あぁ」


俺は少しだけ頬を緩ませて古河の声援に応える。


「…………」

「いってぇ!!」


そして、杏に俺の足を踏みつけられた。
杏の方を向くと、


「これだけ巻き込んで負けたら承知しないから」


にっこりと微笑んで、応援される。
応援……でいいのだろうか?
杏の背中に何かどす黒いオーラが漂っているように見えるのだが……。

ともかく、確かに杏の言う通りだった。


(みんなをこんなに連れまわして結局バツゲームになってしまいました、じゃ格好つかないよな)


一応、彼女の前でもあるし、少しは格好つけておかないといけないのかもしれない。


「とりあえずもうすぐ全員ここに集まる。全てはそれからだな」





そう。
あれから十分もかからずにあの男から連絡が来た。
そして、最後に言われた事は次の通り。


──バトルロイヤルで決着をつけよう。場所はパン屋の前の公園だ。知ってるな? タイムリミットまで全員がその公園でやりあう。どうだ?


俺達はその案を受け入れてここに来た。
正確には言わせたと言う方が正しいだろう。

うまい具合に誘導できたな、と感心して杏の言葉を思い出した。


──多分次に向こうがしてくる事は、こちら側にどうすれば楽しく出来るか相談して来るんだと思う。そしたらバトルロイヤルを提案すればいい。そうすれば条件は互角でしょ?


先を読むのがうまいのか、人の心を読むのがうまいのか。
その後の連絡で杏の読み通りにどうすればいいかを聞いてきたので、少し考える振りをしてバトルロイヤルを提案した。
思ったよりも向こうも乗り気だったので、とんとん拍子に事が運び今に至っている。






俺は少し公園内を見回してみる。
野球をするためのダイヤモンドが一周りくらい小さく描けそうな公園の広さで行われるゲーム。
障害物なんてあってないようなものだ。
おそらく、やってやられての壮絶な戦いになるだろう。


「おっ、いたいた。まさか本当に岡崎とはね」

「誰だお前?」

「さぁ? そこら辺にいたホームレスじゃない?」

「…………あんたらのボキャブラリーは学園を超えるんスね」


春原が現れると、次に参加者らしき人がやってきた。
なるほど。確かにこの人もバッチをつけている。
しかし格好が気になる。
室内で着る様な服に、少し汚れたカーキ色のエプロンをしている。
何かの技術関係の人だろうか? 
俺が首を傾げていると、隣で杏が口を開いた。


「あれ? あの人ってさっき買い物した時にいた店主さんじゃない?」

「何?」

「いや、椋がトランプ新しいのが見たいって言ったからおもちゃ屋に行ったのよ。確かその時に店にいた人だと思う」

「うん、色々教えて貰ったから私も覚えてる」

「仕事しろよ……」

「あたし達がいた時はしてたわよ?」

「…………」


ツッコむ気も失せたので、その他に来ている人を見ると……小学校高学年位の子供が二人いた。バッチをつけて。


「子供もいるのか……」

「楽勝ムードだね! 子供を傷つけるのは気が引けるけど……バツゲームしたくないし」


俺は自分の事しか考えていない馬鹿を放っておく。
でも考えてみれば子供が元気に走り回るような遊びだ。子供がいるのは当然の事。
それすらも考えもしなかった。


「考えてみればこれって子供の遊びよね」

「そういえばそうだね」


隣の姉妹も同じように思っていたらしく、俺達は同時にため息をついた。
俺達は今、常識的な何かが欠落しているのかも知れない。


「あっ、渚ねーちゃんじゃん!!」


どうやら子供二人は古河と知り合いらしく、公園の入り口から古河に駆け寄ってきた。
その姿はやはり年相応の子供。
一生懸命に走ってくる姿がなんだか可愛くて微笑ましくなってくる。


「どう? デートしてくれる気になった!?」

「えぇと、私なんかじゃなくても、健くんの周りには私よりもずっと素敵な人がいますよ」

「えー周りなんてみんなガキでつまんねーんだもん」


その言葉を聞いた瞬間だろう。
ガキはお前だろ。そして、前言撤回。まったく可愛くなくて微笑ましくもない。

たまたまか杏と目が合う。
乾いた笑顔でこちらを見ている様子から、またしてもどうやら同じ思考に至っていたらしかった。


「ん? こいつら渚ねーちゃんの友達?」

「はい。みんないい人達です」

「ふーん……なんか冴えねー奴ら。あれ? こいつゲーム参加者じゃん! なんだ、楽勝じゃん」


つい先ほど春原が言った台詞を放った。
さすがにカチンと来たので一言言ってやろうと前に出る。


「おいお前ら──」

「やい、てめーら!! 僕の運動神経でけちょんけちょんにしてやるからな!!」

「ほう……てめぇらごときに俺が幼少から仕込んだ戦士達を倒せるかな?」

「出やがったな……」

「やっとお出ましか」


俺と春原は振り返ってそいつを一目した。
相変わらず赤毛でタバコを加えている。
そして、さらに黒いサングラスをしていて、もうどこから見てもヤクザの人だった。


「まっ、お前らが勝つ確率なんて一億分の一もないがな」

「やってみないと分からないぜ」

「あぁ」


俺達は好戦的な啖呵をきった。
しかし、それはすぐに打ち砕かれる。


「お父さんがこのゲームを始めたんですか? あまりみなさんに迷惑をかけないで欲しいです」

「愛する娘よ、よく聞いてくれ。世間はいつだって厳しい。それをひよっ子に教えてやろうと思ってな。言わばこれは愛の授業なんだよ」

「愛の授業なんですか。それは怒るに怒れないです」


そんなボケボケの会話に突っ込めないほどに、俺達は冷静ではなくなってしまった。
なぜなら──。


「お……」

「おと……」

「「「「お父さーーん!?」」」」

「なんでやねん」


俺達の頭の中では、叫んだ事の方がショックだったから。



















「よーし、それじゃー始めるぞ」


公園の中心に集まり、俺達は円陣を囲むように立っていた。
面子は俺、春原、古河の親父、おもちゃ屋のおっさん、子供が二人。


「あれ? もう一人は?」

「北の大地へ帰った」

「はぁ?」

「やっぱり引っ越ししてる最中の子を入れるには無理があったねー」

「ちっ。さすがに気合じゃーどうしようもなかったか」


わっはっは、とおっさん二人は声高らかに笑う。
どうもこの二人は気が合うようだった。


「と、その前に他にあるルール説明をしてくれ」


他に何かあると面倒なので、忘れないうちに聞いておく事にする。


「あん? めんどくせーな。何があったっけかな。あーそういや、撃たれたらこれは三十秒鳴り止まない。んでその間は攻撃されても無効だ」


古河の親父はそう言ってバッチをピンと弾く。


「初めて知った」

「んだよ。本当にルールしらねーんだな」

「あんたが無理矢理いきなりゲームに参加させたんだろ!!」

「そうだっけか?」

「そうだよ!!」

「でもてめーは今ここにいるじゃねーか」

「それは……」

「逃げようと思えばいくらでも逃げられた。男が一度やるって決めたんだ。最後までやり通すんだな」


俺は古河の親父の言葉に反論できなかった。
全てこの人の言う通りだったから。
やめようと思えばいくらでもやめる事が出来た。


「他には……なんかあったか?」

「いや、ないんじゃない?」

「ぼくたちは知らないよー」

「はやくやろーぜ!」


子供二人にも話を振っているようで返ってきた答えに満足そうに頷いた。


「じゃーやるか。残り時間は十分。時間が過ぎた時に鬼の奴は地獄行きだ。鬼は二人。せいぜい生き残れ。よーい…………」


全員が身構えて相手の様子を伺う。
腰を深く落とし、すぐにでも走れるように体勢を整える。



「スタート!!!」

「朋也ー! 勝ちなさいよー!!」



全員が合図と共に、俺は声援に後押しされて走り出した。




















「ほう、この私を狙ってきましたか」

「ガキは些か気が引けるんでね」


公園の端の方、木々がたくさんある中で俺とおもちゃ屋のおっさんは対峙していた。


「ガキ、か……古河さんの腕を甘く見ちゃいけないよ。ほら」


指を指す方を見てみると、


「へっへっへ……覚悟しろ、お前達……」


春原が小学生二人に迫っているのが見えた。
春原と小学生の間には鉄棒が一つあるだけ。
春原は銃口を小学生に向けながらニヤついていた。


「弱い子供を追い詰めるのもなんだか楽しいなー」


(あいつは本当に主役になれない奴だな)


そう思っているのも束の間、小学生は二手に分かれて走り始めた。


「お? 高校卒業したこの僕の足に敵うと思ってるのかな?」


春原は自信ありげに一人に狙いをつけて後を追う。
その子の走る先にはブランコがあった。
ブランコを使って何かするのかと思えば、何もせずに走りぬけてその裏にある茂みに体を突っ込んだ。
後を追いかける春原。
しかし、茂みは思ったよりも濃いようで、春原の動きはそこで止まってしまった。


(一体何をするつもりだ?)


俺が不思議に思ったその時。
立ち往生している春原の遥か後ろ。
春原に追いかけられなかった方の奴が走り始めた。

一方春原は茂みに入り込んだ奴の服でも掴もうとしているのか、しゃがんで茂みに手を入れて全く後ろの状況に気付かない。


(まさか──)


俺の予想通り、そいつは一直線に春原へと向かっている。
そして、華麗に一つ目のブランコの囲いをハードルのように飛び超え、二つ目の囲いに足をかけて跳んだ。


「えっ?」


そこで気付いたのか、春原は茂みから手を抜こうとする。


「げっ!! 抜けない!!??」


おそらく茂みに入った方が掴んでいるのだろう、春原はそのまま身動きも取れず──、


「ブベッ!」


間抜けな声を上げて背中から見事なドロップキックをお見舞いされた。
崩れ落ちる春原。
そして春原は動かなくなった。


「イェーイ」

「ナーイス」


茂みから出てきた奴と春原をしとめた奴がハイタッチを交わす。
端からみても見事なコンビプレイだった。


「アッキー、金髪の奴は仕留めたぞー!!」

「よーしよくやった!! 後は任せておけ!」


公園の真ん中。
アッキーと呼ばれる古河の親父は満足そうに親指を立てた。


(あいつら……)


考えてみれば体を触られない限り鬼は交代にならないのだが、今回のは違う。撃たれたら鬼になるルールだ。
そうなれば、鬼を行動不能に追い込めば後の時間は安心になる。
そう悪知恵を教え込んだのか、作戦通りといったように古河の親父は子供のように無邪気に笑っている。
しかし、何か違和感があった。


「ガキでも油断ならないでしょう?」


その違和感を探し終える前に、近くで聞こえるおもちゃ屋のオッサンの声。
気付いた時には手の届く距離にいて────俺のバッチは本日二回目の大音量を公園で響かせた。


「そしてオジサンも油断しない事です。ふっふっふ……」


そう言ってニヤリと笑うと、この場を後にした。
耳を劈くような音を何とか手の平に抑えながら俺は、辺りを見回す。


(どう考えたって近所迷惑じゃないか)


しかし、そんな事は知らないといったように他の参加者達は思うがままに走り回っている。
古河の親父を除いて──。
そして俺と目が合うと、ニヤリと不適に笑った。


──後は任せておけ。


その言葉がふいに蘇る。


(そういう事か)


俺は違和感の正体に感づいた。
つまり──、


(初参加の俺達──いや、俺と直々にサシでやりたいって事か)


最初に会った時の運動神経を思い出す。
正攻法では間違いなく勝てないだろう。
なにか作戦を考えないと……。




そして音が止んで、公園に静寂が訪れた。
俺は木々の生い茂る場所から抜け出し、公園の中央まで歩く。


「朋也!」


歩いている途中、杏の声が一際大きく聞こえた。
そう、杏の応援の為にも勝たなければ。


…………杏?


(あっ!)


俺は思い出す。


──多分、赤外線かなんかに反応すんじゃない? このバッチ。


このモデルガンから出るのはテレビのリモコンから出るような感じの赤外線。


ならば……。


俺はポケットにしまっている物を確認する。
初心者に対しての余裕と、先ほどの任せておけとの発言。
それらを鑑みて俺はある作戦を考えつく。


(いけるか?)


そう思った時には、すでに古河の親父の目の前に辿り着いてしまった。


(いや、やるしかない)


俺は覚悟を決めて、深呼吸をした。











「どうやら俺の意図を理解したらしいな」

「なんとなくな。あんた性格悪いぜ」

「言ったろ? 愛の授業だ。愛の授業」

「そんな事よく言えたもんだな」

「お前の目には俺と似たようなモンがあったからな」


急に古河の親父は話のトーンが落ちる。
その口調からはなんとなく、真剣な雰囲気を感じ取る事が出来た。


「? どういう意味だ?」

「お前、あの時どうしてあそこにいた?」

「は?」

「あの工事現場だ」

「いや、何となくだけど……」

「じゃぁ何となく見たあの工事現場を見て何を思った?」

「……意味が分からないが」

「そのままの意味だ。あの時お前は何を考えた」


俺はあの時の光景を思い出す。

拓かれた森。
その中に場違いのようにある、工事用車両。
その近くにある簡易型のプレハブ。
黄色と黒で配色され、まるでミツバチが威嚇するかのように土地を囲っていた柵。
そのどれもが、俺にとっていい印象を与えていなかった。
なぜなら──。


「少し……悲しいと思った」


俺の答えに、古河の親父は眉毛をピクリと動かす。


「お前もあの土地に世話になったのか?」

「いや、そうじゃない。それを見て町が変わっていくのを実感したから……」


何を俺は素直に答えてるんだろう。
見ず知らずの……いや、友人の父親に。
でも、なぜか口が勝手に動いてしまう。


「…………てめぇは変わるのがこえーのか?」

「分からない。でも、いい事も悪い事もあるなら変わらないのが──」

「けっ。俺の見込み違いか。てめぇなら俺様を楽しませてくれると思ったのによ。こんな腰抜けとはな」

「なっ!!」

「こんな奴に一分かけるまでもねーな。三十秒で終わらしてやらぁ」


時計を見れば、五時まで残り一分のようだった。


「カウントでもしてやろうか?」

「いや、別にいい」

「まぁーそう言うなって。ほれ、残り五十」

「四十九!」

「四十八!」


気付けば他の奴らは周りに集まってカウントダウンを始めている。
その向こうに見える杏と椋と古河とことみ。

不安そうな顔をしている杏に俺はニヤリと笑みを浮かべた。


──心配すんな。


俺の顔を見て杏は俺のメッセージが伝わったのか、強く頷いた。


「三十三!」


(そろそろか)


俺はもう一度深く深呼吸をする。
右手のモデルガンに力を込める。
左手に持つそれを準備する。


「三十二!」


俺はさっき聞いたルールを思い出す。


──撃たれたらベルは三十秒鳴り止まない。んでその間は攻撃されても無効だ。


つまりさっきのように鬼に向かって撃ってくるはず。
先ほど撃たれなければ分からなかった。
この人の意地の悪さと、余裕から考えるに──、


「三十一!」


狙ってくるのは手前三十秒きっかり!!


「三十!」


その瞬間に俺はモデルガンを古河の親父に向けて、トリガーを引いた。
しかし、それ以上のすばやい動きでしゃがみ込んだ古河の親父は、俺の右手にあるモデルガンを掴んで捻るように奪った後、それを投げ捨てる。




「朋也っ!!」




杏の声が聞こえる。




「あばよ、小僧」




そして古河の親父は何の躊躇なく、引き金を引いた。





バッチから高らかに鳴る電子音。





そしてその音が鳴り止む前に、時計の長針が十二を指した。






























「朋也! 大丈夫!?」

「あぁ。なんとかな」


駆けつけてきた杏に俺は問題ないアピールをする。
右手を捻られた時に少し捻っただけで特に問題があるわけではなかった。


「…………」


ただ、心配なのは目の前で呆然としているこの男。
俯いたまま、うんともすんとも言わなくなっていた。
さすがに心配になったのだろう、渚が近づき


「お父さん」


そう口にした。
その瞬間、


「くっくっくっ…………。はっはっはっ…………。あーはっはっはっ!! いやー参った参った。まさかこの俺が負けるとはな」


豪快に笑い出した。
なぜだか機嫌が良さそうにしている。


「マジかよー。アッキーが負けるなんて……」


子供は子供でよほどショックなのか、やられた本人とは正反対に落ち込んでいた。


「へん、俺の友達は強いだろー」

「友達じゃないし、お前そいつらに負けただろ」

「……あの……岡崎さん、すみませんでした。友達にさせてください」


いつの間にか復活していた春原はどうやら電子音の鳴り終った時に目を覚ましたらしかった。


「でも、よく勝てたわね? こっちから見てて何がなんだか分からなかったんだけど……何があったの?」

「あぁ、それはな……これのおかげさ」

「鏡? あ……、そう言う事!」

「そ。撃たれた時バッチを鏡で守っておけば反射して守ってくれる。さらに相手に反射するからうまく行けば相手が自滅してくれる。確証はなかったが出来ると思った」


その場にいた全員……いや、古河の親父以外が驚きの顔をしていた。
それもそうだ。
このゲームに参加して間もない奴がこんな事をやってのけたのだから。


「朋也凄いじゃない!」

「岡崎さん凄いです!!」

「岡崎君……カッコいいです」

「朋也くん、よく頑張りました」


身内からは大絶賛の嵐。
俺も素直に古河の親父に勝てて充実感で一杯だった。


「小僧、またそのうちリベンジかますからな。覚えてろ」

「あーお手柔らかに」

「さて、負けたお前だが……」

「ハ、ハイッ!」

「渚、今日の早苗のパンはどれくらい売れたんだ?」

「えっ? えっと……ひ、一つ……」

「売れたのか!?」

「わ、私が買いました……」

「そうか。苦労をかけるな。袋に詰めて全部持って来い」

「……はい」

「あ、私も手伝います」

「私も行くの」


古河はしぶしぶというか、なんだか気落ちした様子で椋とことみと共にパン屋に戻って行った。


「さて、私も帰るかな」

「おー今日は楽しかったぜ! またやろうな!」

「いつでも呼んでくれ」


おもちゃ屋のオッサンは笑顔で帰って行く。


「あの、楽しかったです!」


俺の言葉が届いたのか、振り返る事なく手を振ってくれた。


「ぼくたちももう帰りますね」

「やい、そこのお前! 必ずアッキーが仕返しするからな! 覚えてろ!!」


小学生二人組みも走って公園を後にした。

後に残る俺と杏と春原と古河の親父。

少しの沈黙の後、古河の親父が口を開いた。


「小僧。さっきの話の続きだが」

「あぁ」

「理不尽に悪い方へ変わってもそれを受け入れないといけない事もあるんだよ」

「…………そう、だな」

「分かってる振りをするな。おめぇはまだ子供だ。知らない事や挫折、できる事とできない事を知らなさ過ぎる」

「…………」

「ちょ、いきなり何の話よ」

「杏、いいんだ。少し話をさせてくれ」


話をさせてくれと言っても、俺は何も答える事が出来ない。


「さっきも言ったが、あの時のお前の目は昔の俺にそっくりだったんだよ。自分の無力さ、この世界の理不尽さ、自分の思い通りに行かないありとあらゆる事について絶望を感じている。そんな目」


古河の親父はタバコに火をつけて、大きく息を吐いた。


「大人になれば諦めが先に走って何もできなくなる。絶望を感じる前に殻に引き込んじまうのさ。そんであの時のお前の目は一瞬だがその目をしていた」


俺は目を合わせられなかった。
それを指すところの意味は分かっていたから。

自分の無力さ。
世界の理不尽さ。
どうしようもない絶望。
それは俺の家庭の問題……。


真剣で、暗い話に杏も春原も一言も話さない。
そして、


「お父さん、お待たせしました!」


重苦しい雰囲気を吹き飛ばすような声が公園に響いた。
後ろには誰だか見慣れない人がいる。
古河のお姉さんだろうか。


「遅いじゃねーか! 早苗の売れ残りのパンを詰めるのにどれくらい……時間を……」


振り向きながら言葉を発していたが、古河の親父は最後まで言い終わらないうちに口を噤んでしまう。
その人を見れば、涙目になっているのが分かったから。
そして、


「私のパンは……古河パンの売れ残りなんですねーーー!!!」


叫びながら公園を出て行ってしまった。


「ちっ。しゃーねー。急ぐぞ! ほれ、バツゲームの品だ。さっさと持って帰れ」


古河から袋を奪い、春原に渡す。


「これは……」


袋を覗くと、そこに詰まっていたものは小型のパン。
ただし、匂いがきつい。梅の香りで一杯だった。


「うちの新作のパンだ。作るのに苦労したんだぜ」

「なんでこんなものを……」


杏が鼻を押さえながら、問いかけた。


「うるせー。うちの嫁のアイデアに文句があんのか? あぁ?」

「あんた自身はどう思ってるんだ。このパン」

「…………」

「おい、答え──」


「俺は…………早苗の考えたパンが好きだーーーーー!!!!!」


俺が問い詰めようとすると、袋から二つか三つほどパンを掴んで口に頬張り、そのまま走って行ってしまった。
大方さっきの人を探しに行ったんだろう。


「…………待て」


しかし、今ふと気付いた事があった。


「朋也も気付いた?」


俺と杏は顔を見合わせる。


「えっと、さっき私達もびっくりしました」


椋も頷いて俺達の考えを肯定した。


「って事は本当に……?」


「さんはいっ」


思わずことみの音頭に合わせて言ってしまった。





「あの人って古河の母親なのかっ!?」
「あの人って渚のお母さんなのっ!?」








古河家の血筋は恐ろしく外見が若いようだった。













     ◇     ◇












すっかり日も暮れた後、俺と杏は一緒に町を歩いていた。
先ほどまでは古河の友達が遊びに来たという事で、盛大な夕食に招待されていたのだ。


「お前ら仲が良いんだからてっきり親の事知ってると思ったんだけどな」

「知らないわよ。あたし達何だかんだで知り合ってからずっと勉強してたんだもの」

「それもそうか」


杏の言葉に俺は特に聞く事もなく、会話を打ち切った。
左手には本日買ったであろう杏の戦利品。
そして右手には──杏の左手。
右手から伝わる温もりは柔らかくて、とても心地良かった。


「ね、あそこ行こうか?」

「あそこ?」

「特別な場所」


そう言って杏は歩くペースをあげた。





「うわぁ! 綺麗……」


杏がボタンを見つけた人気のない広場に辿り着き空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
未だ夜は寒く、しかしだからこそ空気がクリアになっているのだろう。
あまりにも壮大で綺麗な星々の輝きに、しばらく俺と杏は無言で空を見上げた。
その後、俺達は近くの木の根に腰を下ろす。


「ね、朋也」

「なんだ?」

「えーっと……」

「なんだよ?」


杏の顔を覗きこむと、顔が赤みがかってる。
大丈夫か、そう口を開きかけた時、杏の声が耳に響いた。


「かっこよかった。惚れ直しちゃうくらい」


俺は思わず固まってしまう。


(えっと?)


「ちょっと、聞こえてるんでしょ!? 何か言いなさいよ……じゃないと、恥ずかしいじゃない……」


そう言って俯く杏。
なぜか今の杏は儚げで、可愛くて、とてもいじらしかった。


「きゃっ」


俺は後ろから、杏を抱き締めた。
そして、


「お前が頑張れって言ったからな。杏の為に頑張ってみた」


自分でも分かるくらいに顔が熱い。
やはりなれない事は言うものではない。
でも──。


「うん。ありがと」


そう言って俺に体を預けてきた。


そのままの体勢でどれくらい時間が経っただろう、いきなり杏は立ち上がり、軽くステップを踏みながら前に出た。
不思議に思い、声をかけようとするとタイミングよく杏が振り向く。


「朋也っ」


夜の星空を背景に、その姿は絵になるくらいに綺麗で──、
彼女の希望や未来、信頼に満ちたその目に吸い込まれそうで──、
身動きが取れない俺に杏は笑顔で、


「これからもよろしくね」


右目を閉じて俺に微笑んだ。


まるで心の内から洗われるようなその笑顔に見とれてしまう。
そして俺は胸の鼓動が早くなるのを感じた。
彼女の笑顔だけでこんなに心躍ってしまう俺は、きっととんでもなく単純なんだろう。


「ほら、立って立って」


照れくさそうに早口で言いながら、差し出される杏の手。


「あ、あぁ」


心の波を無理矢理に押さえて杏の手を握り、俺は立ち上がり杏の体を引き寄せた。
満足そうな杏の鼓動を胸に感じながら、俺は静かに杏の髪を撫でる。


「明日から何しようか?」

「特にやる事もないしな」

「そうね……勉強で忙しかったからデートに行きたいかな」

「旅行もみんなで行くんだろ?」

「やりたい事たくさんあるわね」

「大学の事も考えないとな」

「今はその話は禁止!」

「はいはい」

「朋也……」

「ん?」

「ん…………」





それは唐突で。



それは情熱的で。



何度しても頭がクラクラするもの。




いつまでもそうしていたい。




そう思ってしまうほどにやみつきになってしまうもの。




杏の唇が離れ、外の空気に触れる。




この瞬間も名残惜しかった。





だから──、





「ん……」





再び唇の距離を零にした。






明日からの出来事。






全てが楽しくなる事に期待して。










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