第3話  岡崎家の傷跡





 どしゃぶりの雨の中、俺は隣町の光坂病院に向けて歩いていた。


 親父が事故に遭って意識不明の重体……


 だからなんだと言うのだ、俺は小さく舌打ちをした。

 どうしてあの人の事で俺が呼び出されないといけないんだ?
 俺はあの人とどんな関わりがあると言うのだ? 同じ家で他人同然に暮らしているというのに。
 意識が戻っても、あの人の目には心配をしてくれる他人の一人としか俺の事を認識しないというのに。
 俺は……息子として見られていないというのに……。


 そんな考えが頭の中でぐるぐると駆け巡り、同時に怒りが沸々とこみ上げてくる。
 大声を出して、喚き散らしたい衝動に駆られる。
 しかし、その衝動を何とか押さえつけ、ただ黙々と病院に向かう。いや、向かわなければならない。
 自分の意思ではない、世間的な義務感で歩く。
 世間という名の糸に縛られる操り人形みたいな自分が嫌で、かといって逃げ出せない現実にも嫌気が差してくる。

 雨を吸い込んだ靴がやけに重く感じられた。


 1時間近く歩くと見覚えのあるでかい病院に辿り着いた。

   光坂総合病院

 看板にはそう文字が綴られている。
 俺はその看板を見つめ、そして入り口に向かった。


 入り口にある時計はもう2時を回ろうとしているのに病院の中は慌しかった。
 忙しそうに行き来する看護師を眺めながら中央ロビーに歩を進める。
 ロビーに到着すると、少し顔の角ばった体格のいい男とスーツを着た男がこちら向かって歩いてきた。
 おそらく警察の人だろう。制服を着ていないので刑事なのかもしれない。
 その2人は目の前に来ると、軽くお辞儀をして、声をかけてきた。

スーツの男「岡崎朋也くんですか?」
朋也「はい」
スーツの男「お待ちしていました。大丈夫ですか? 随分と時間が経っていたので、あなたも事故に巻き込まれたのかと思い、心配しました」

 そんなスーツ男の言葉を聞き流し、俺は

朋也「それで親父は……?」

 と、単刀直入に尋ねた。
 するとスーツの男は少し苦い顔をして

スーツの男「意識を失っているので無事、とは言えませんが、容態は安定しているようです。特に外傷もありません」

 そう完結に現状を説明してくれた。
 それを聞いて俺は

朋也「そうですか……。意識は戻っていないんですか」

 その言葉を聞いて安心するよりは、これから起こるであろうあの人との会話が苦痛だ、という思いの方が強かった。

スーツの男「とにかく、病室に案内しましょう。こちらです」

 スーツの男はそう言うと、病院の中へと歩きだした。
 俺は黙ってその後ろについて行った……。


 何か処置を施しているのか分からないが、病室の中には入れなかった。
 しかし、病室の前で、事故の様子だとか、場所だとか、いつ起きたとか聞きたくもない話を聞かされ、さらには、先ほどまで車を運転していた本人が親と共に顔を見せに来ていた。
 おそらく大学生なのだろう。事故を起こした本人は、ごめんなさい、許してください……、と泣きながらにずっと謝っていた。
 別に俺に謝られても仕方のない事だと思ったので

朋也「別に、俺に謝ってもしょうがねぇだろっ」

 と、答えた。
 感情を押し殺して言ったつもりだったのだが、イライラする気持ちを抑えきれず、声が荒くなってしまった。
 その様子を見て、その母親は明日また様子を伺いに来ます、そう言って息子を連れて帰っていった。


 もうたくさんだと思った。
 今すぐにでも帰りたかった。
 俺には何の関係もないだろう、と叫びたかった。
 刑事の人が話している最中に何度もそう思った。
 謝られる度に、心の中で叫んだ。
 それでも……俺の気持ちは一向に落ち着いてはくれなかった。


 それもこれも、ここにいる人間に、否応なしに思い知らされるからだった。
 俺は岡崎直幸の息子なのだ、と。



 それからは病院のロビーへ移動した。
 病室の前にも居たくなかったからだ。
 外からは雨の音しか聞こえなくて、気が付けばいつの間にか3時半を回っていた。
 近くにある自販機のコーヒーを飲み、紙コップを捨てようと席を立ち上がろうとしたした時、一人の看護師が走り寄ってきた。

看護師「岡崎さんのご家族の方ですか!? 岡崎直幸さんが目を覚まされました!」

 肩で息をしていた看護師は俺にそう言い、近くに待機していた刑事にも同じ事を伝えた。
 看護師が踵を返し、小走りで走り出すと刑事の人たちはその後ろについて行く。
 すぐさま俺がついて来ない事に気づいた体格のいい方の刑事は、

体格のいい男「岡崎さん、行きましょう」

 と、声をかけてきた。

朋也「はい……」

 なんとか声を振り絞って答え、握り潰した紙コップを捨て、看護師の後を追った。


 先を歩いていた看護師が、先ほど来た3階の一室に入っていく。
 先ほどは病室に入らずにロビーへ逃げたが、今はもう逃げる事は出来ない。
 何となく壁に掛けてある名前を見る。岡崎直幸。確かにそう書かれてあった。
 そして俺は、一回深呼吸をして心を落ち着かせ、病室に入った。


 病室に入ると、ベッドには家で見慣れた他人が座っていた。
 頭に包帯を巻かれ、見慣れない入院患者独特の服を着て、その人は雨の降る窓の外を眺めていた。
 スーツの男は医師の人に一礼し、容態を聞いた。
 そして尋ねられた医師は微妙な間を取り、口を開いた。

医師「身体的にはなんの損傷もないので無事と言って構わないでしょう。ただ……」

 医師はそこで言いよどんだ。

スーツの男「ただ?」

 スーツの男はメモを取りながら、医師にその先を言うように促す。
 それを悟ったのか、医師は意を決したように言葉を続けた。

医師「岡崎直幸さんは頭を強く打ったためか、記憶を失っています。一時的なことだとは思いますが、記憶が戻るのは明日か、1年後か……」

 その言葉で誰もが口を噤んだ。
 俺は、ハンマーで頭をガツン、と殴られたような衝撃を受けていた。
 体が傾き、ふらつき、倒れかけた体を後ろからガタイのいい刑事が支えてくれた。
 何とか体勢を戻し、俺は恐る恐るベッドに近づき、父親に声をかけた。

朋也「親……父……?」

 あの日、俺から夢や希望、青春を奪った親父が、許せなかった。
 いや、それよりも、肩の怪我が治らないと聞いてから、親父の態度が豹変したことが、何よりも許せなかった。
 自分の犯した罪から逃げた親父。
 罪から逃げただけでなく、息子からも逃げた親父。
 そんな人を、俺は許す気になれなかった。

 それでも、どれだけ他人として認識されていても、ある日ひょんな事から今までの事を謝ってくれるかもしれない。
 そうすれば、もしかしたらやり直せるのかもしれない。
 同じ屋根の下、互いが他人である生活でも、いつかまた息子として扱ってくれるかもしれない。
 
 俺はそんな希望を抱いて、今までこの人と接してきてたんだと今、思い知った。
 今の医師の言葉、いや今までの事が嘘であって欲しいと願った。しかし、


直幸「君は……誰だい?」


 俺の心のどこかで望んでいた願いは、たった今、こなごなに打ち砕かれた。







 気が付けば自分の家にいて、いつの間にか雨は止み、窓から見える景色は一面、燃える様な赤で飾られていた。
 昨日はあの後、どうなったのか覚えていない。
 今、自分の家の居間にいるのだから帰ってきたのだろう。
 ただ、帰ってくるのに傘を差して歩いてきたのか、刑事に送ってもらったのか分からない。
 そんな事、今の俺にはどうでもよかった。

 頭に残っているのは親父のあの一言だけ。
 他人のように見られてきたあの時でも「朋也くん」と、ちゃんと名前を呼んでくれていた。
 しかし、その名前も呼ばれない。
 もう、何も考えたくなかった。

 ──寝てしまおう。そうすれば何も考えなくてもいい──

 そんな事を考えた時、呼び鈴が鳴った。

 誰が来たのかもどうでもいいと思い、俺は居間で膝を抱えて眠りにつこうとする。
 しかし、外から聞こえた声に俺はハッとなった。

杏「朋也〜!? いないの〜?」
 
 俺の日常にありふれている杏の声。
 いつもと変わる事のない平和な声に、俺は安堵感を覚えた。
 俺はすぐさま立ちあがって玄関へ走った。
 杏の声を聞きたかった。顔が見たかった。抱きしめたかった。
 そして玄関に着き、俺ははやる気持ちを抑えて、ゆっくりと扉を開けた。
 そこには、いつも俺の傍にいてくれる大事な、大切な彼女が立っていた。

杏「なんだ、いるんじゃない。まったく、返事くらいしなさいよね〜? というかあんた、今日学校サボったでしょ!?」

 いつもは聞き流す杏の言葉に、俺は救われるような気がした。
 そして、俺はすぐに杏を抱き寄せた。

杏「え!? ちょっと、何?! どうしたの、朋也!?」

 杏の温もりが伝わってくる。
 それだけで安心する事ができた。
 焦っている杏の声も心地が良かった。
 さっきまでのモヤモヤした気持ちが嘘のように消えていく。
 一緒にいて安心できる存在がいるという事は、とても幸せな事なんだ……そう実感した。


 その後、無言で抱きしめる俺を引き剥がし、何かあったのだろうと感じた杏は、そのまま家に上がり込んできた。

杏「で? 一体何だっていうのよ?」

 俺の突拍子もない行動に疑問を抱いた杏は、テーブルの向こうからすぐさま理由を尋ねてきた。

朋也「ん、そうだな……。話せば長くなるな」
杏「別にいいわよ。それくらい」
朋也「そう言えば、よく家が分かったな?」
杏「そりゃ〜、同じクラスになった事あるんだから住所録くらい持ってるでしょうが!」
朋也「そうか、そうだな」
杏「そんな事はいいから、さっさと話なさいよね〜? まったく、いきなりあんなことされたら気になって仕方がないじゃない」

 そう言って、杏はほんのりと頬を染める。
 その仕草を見て、あぁ本当にこいつが彼女でよかったと思った。
 強気で、優しくて、肝心なところで支えてくれる、そんな彼女をとても愛しく思う。
 だからもう、包み隠さず話そう、自分の全てを知ってもらおう、そう思えた。
 

 そして覚悟を決め、話し始めた。決して誰にも語るまいと思った自分の過去を────。


朋也「杏は、俺が高校入学がスポーツ推薦で入ってきた事は知ってるよな」
杏「まぁね、バスケットでしょ?」

 その言葉に俺は軽く頷く。

朋也「こう見えても俺は中学の頃、バスケ部レギュラーでキャプテンだった。バスケ以外のことなんて考えてなかったんだ。
  このままずっとバスケを続けて、将来もきっとプロになって、楽しく生きていくんだって、そう思ってた」

 そこで俺は一息ついた。杏は黙って俺の話に耳を傾けている。

朋也「そんな夢も中学最後の試合直前に壊された。俺の右腕は肩以上に上がらなくなってしまったんだ。これも杏は知ってるだろ?」
杏「まぁ、そう言われた事はないけど、右腕を不自然に庇ってるのは良く見かけたわね。そういう事だったんだ……」

 と、杏はすまなそうに俯いた。

朋也「杏が気にする必要はないさ。それで俺は生きる目的、と言ったらいいのかな。そういうものを失ったんだ」
杏「そう……」

 杏はそれ以上何も言わなかった、分かっているんだ、まだこの先に話が続く事を。
 そして、また俺は語り始める。

朋也「右腕の原因は、親父との喧嘩だった。ただ、行儀が悪いだの靴の脱ぎ方がどうの、そんな下らないことが原因で口喧嘩になった。
  俺も何をムキになってたのかな。いつの間にか取っ組み合いの喧嘩になっててさ、壁に右肩を打ち付けられて、その後部屋に閉じこもって……。
  そして病院に行ったときにはもう、手遅れだったんだ」
杏「うん」

 杏はただ頷くだけだった。
 そう、これはただ過去にあった事実。
 それを今更何を言おうが投げかけた言葉は相手の心には届かない。
 杏はそれを知っているようだった。

朋也「その時からなんだ。親父は俺を息子として見なくなった」
杏「……? それ、どういう事?」

 さすがに要領を得なかったのか、杏が疑問をぶつけてくる。
 俺はその言葉に何のためらいもなく答えた。

朋也「言葉通りの意味さ。他人なんだ。あの人の中で、俺は。いや、知り合いって言った方がいいのかな。
  この家に住んでいる、ただそれだけの顔見知り」

 その言葉を聞いて、さすがの杏も驚いていた。
 無理もない。岡崎家の抱えている問題を突きつけたのだから。
 それともあっさり言葉にした俺に対して驚いたのか。
 その答えは分からなかった。

杏「もしかして……何度も朋也の家に行こうとして断られたのは……?」
朋也「あぁ。親父との会話を聞かれたくなかった。というより、俺は怖かったんだと思う。
  誰かが間に入る事で、親父と俺が家族ではない、他人同士であるということを確かめる事になってしまうから…………」
杏「朋也……」
 
 杏は立ち上がり、俺の後ろに座る。
 そして抱きかかえる形で後ろから手を回し、抱きしめてきた。
 腹で組んでいる手に右手を重ねて、俺は言葉を続ける。

朋也「そんな親父も昨日、事故にあった。そして…………記憶を失った。それで言われたんだ、君は誰? って」

 杏の腕にさらに力が籠る。それだけで俺は救われたような気がした。

朋也「正直、俺はどうしたらいいか分からないんだ。なぁ、杏。俺はどうしたらいいのかな?」
杏「大丈夫、きっと大丈夫だから……」

 杏はそう言って、強く、強く抱きしめた。
 杏の声はどこか掠れていて、泣いている様な声だった。


 そのまま10分ほど時間が経ち、お互いが落ち着いたところで杏が

杏「その様子だと今日ご飯食べてないでしょ? 何か作ってあげるね!」

 そう言ってキッチンに向かった。
 こういう時に気遣ってくれる杏の優しさに感謝をした。
 本当に、俺には勿体無いくらいの彼女だ。
 そう思い頬が緩んでいると、杏が顔を出してきた。

杏「冷蔵庫に何も入ってないからちょっと買出しに行って来るわね! その間、どこにも行かないでよ〜?」

 いつものノリでそう言うと、杏はさっさと家から出て行ってしまった。
 そのノリに俺がどれだけ助けられた事か。

朋也(杏に話してよかったな……)

 そう思うと同時に気が緩んだのか欠伸が出た。
 商店街まで買い物に出かけるなら時間があると判断した俺は、少しの間眠りにつくのだった……。



──ピーンポーン──

 家の呼び鈴が鳴らされ、俺は起き上がった。
 気のせいか?と思っていたが再度

──ピーンポーン──

 と鳴ったので、玄関に向かった。

朋也「はーい、ちょっと待ってろ〜」

 いちいち呼び鈴を鳴らすなんて杏も律儀な事をするものだと思い玄関の扉を開けた。
 しかし、そこにいたのは見た事のない人だった。

??「失礼ですが、岡崎朋也さん、ですか?」

 見知らぬ老女に声をかけられ、返事に戸惑う。

朋也「はぁ、失礼ですがどちら様でしょうか?」

??「私は、岡崎史乃と言います」

朋也「岡崎……史乃さん、ですか?」

史乃「えぇ。あなたの父親の母です」



 日が沈み、辺りが闇に染まる頃、俺は記憶に埋もれ、思いだせない祖母と向かい合っていた…………。














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〜あとがき〜

毎度お世話になっております。TKOです。
今回は少しUPするまでの期間が長くなってしまい申し訳ありません……。
今回は色々と調べることが多かったので期間が開いてしまいました。
これからも頑張りますのでよければ応援よろしくお願いします。








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