第4話  朋也の気持ち





 考えてみれば、事故に遭って入院するのだから、親父の親が来るのは当然のことだった。
 家にあがってもらい、居間に案内まではしたが、どのような態度で接すればいいのか分からなく、少し戸惑う。
 俺が小さい時に、北の方の田舎に住んでいたという事は、うっすらとだが思い出せる。
 しかし、その時に祖母であるこの人がいたかどうかは分からない。
 何せとても小さな頃の出来事だ。鮮明に覚えているものではない。

朋也「ふぅ……」

 ため息が出る。

 他人ではないが見たことのない人。
 毎日顔を合わせる他人。

 俺を含め、うちの家族はそんな人ばかりなのか。
 いや、そもそも家族ってなんだろう?
 俺に家族は存在するのだろうか?

 そんな事を考えていると、テーブルの向かい側に座っている祖母が心配そうな顔で声をかけてきた。

志乃「朋也さん? 大丈夫ですか? 顔色が良くないようですが」
朋也「あ、いえ、大丈夫です。心配かけてすみません」

 祖母からの言葉に、俺は反射的に応えていた。

志乃「大変だったでしょう、もうお休みになられてはいかがですか?」
朋也「さっきまで休んでいたので大丈夫です。それに……」
志乃「それに?」
朋也「いえ、何でもありません。それより親父の見舞いには行ったんですよね?」
志乃「えぇ。無事でよかった。あれでも私の息子なのでね、私より早く死んでもらっては困りますから」

 祖母はそう言って、左手で口元を隠し、上品に笑った。

朋也「でも、記憶を……」
志乃「その事なんですが……朋也さん、聞いてください。直幸の記憶は戻りました」
朋也「……え? 記憶が……戻った? 本当ですか!?」
志乃「えぇ、朋也さんが見舞いに来なくて、直幸も寂しがっていましたから」
朋也「え?」

 祖母の言っている事がいまいち理解できず、どういうことなのかと聞き返そうとした時、

杏「お邪魔しまーす!!」

 と、玄関の扉が開く音とともに杏の声が聞こえてきた。
 ガサガサとビニール袋が擦れる音を立て、

杏「いや〜何を作ろうか迷っちゃって〜! 朋也〜とりあえず…………ってあれ?」

 そう言いながら、居間に顔を出した。
 俺以外に人がいる事を認識した杏は、目の前に座っている俺とテーブルの向こうにいる祖母へと交互に目を向ける。
 

朋也「あ、こちらは俺の祖母で、岡崎志乃さんだ。親父が事故ったからこっちに来たんだ」

 それを聞いて、慌てたように頭を下げ、挨拶を始めた。

杏「あ、初めまして! 私、藤林杏と言います!! お、お邪魔します!」
志乃「あらあら、ご丁寧にどうも、朋也さんのガールフレンド? 可愛いわね〜」

 と微笑み、杏に声をかける。

杏「え、いえ! 可愛いだなんてそんな!! って朋也?どうしたの? ボーっとしてるみたいだけど」

 祖母の言葉に対して顔を勢い良く横に振り、ふと、俺の視線に気がついたようだった。
 そして、俺は杏の言葉で、俺が杏の顔をボーっと見ていることに気がついた。

朋也「あ、あぁ。いや、なんでもない」
志乃「朋也さんと仲良くしてもらえてるようで、ありがとうございますね」

 祖母はそう言って、杏に微笑む。

杏「い、いえ、とんでもない! こちらこそ朋也と色々仲良くさせていただいてありがとうございます!!」

 などと言って、勢い良く頭を下げていた。
 杏がこんなに焦るとは。ずいぶん珍しい場面に遭遇したものだ。
 そんな事を考えていると、杏がいきなりこちらを向き、俺の顔を覗き込んできた。

朋也「ん? なんだ?」
杏「いや、なんだか元気が無かったからさ……。あっ、そうだ! 早くご飯作らないと!」
志乃「あらあら、藤林さんが作ってくださるの? 私も手伝うわ」
杏「そんな、おばさまはゆっくりしていて下さい!」
志乃「これでも料理は得意なんですよ。それに……」
杏「それに?」
志乃「未来の朋也さんのお嫁さんに、岡崎家の味を教えてあげたいんですよ」

 祖母が微笑んでそう言うと、杏の顔は真っ赤になって俯き

杏「あ、えっと……そっ、それじゃぁ、よろしくお願いします」

 と、だんだんと声を小さくさせていき、最後には聞き取れないくらいの小声で答えた。
 満足そうに頷いた祖母は立ち上がり、杏と共に台所へ移動していった。


 俺は二人を見送り、先ほど言った祖母の言葉を思い出す。

 ──直幸も寂しがっていましたから──

 親父が寂しがっている?
 いや、きっとそれは同じ家に住んでいる同居人としてだろう。
 どうせ話し相手がいなくて寂しい程度のものなんだ。

 ……それとも、本当に俺の事を覚えているのか? 記憶を失くしてしまったあの人は。
 分からない。
 祖母に尋ねれば早い事なのだが、今は夕飯を作っている最中だ。聞くのはその後にでも聞けばいいだろう。

 そう結論を出した俺に、タイミングよく杏から

杏「朋也〜ちょっとこっち来てくれる〜? 料理並べるの手伝って欲しいんだけど〜」

 との声がかかる。
 俺は了解と答え、仕方無しに立ち上がった。



 おそらく3年ぶりに自分の家で食卓に着いただろう俺は、妙に落ち着かなかった。
 目の前には祖母、横には杏。
 二人は結構馬が合うらしく、祖母は杏さんと呼び始め、今ではすっかり仲良く談笑をしている。
 そのやり取りはまるで母と娘のよう……。

 言葉こそ敬語が入り混じっているが、二人のやり取りはとても自然だなと思った。
 食卓を笑顔で彩り、世間話に花を咲かせる。きっとこれが彼女たちの当たり前。
 これが彼女たちの普段通りの、ありふれた食卓の風景なのだと痛感させられる。

 俺は他の家で、こういう風な笑顔のある、明るい食事をしたことがない。
 もちろん、俺の覚えている限りでは、この家でもそんな事はなかった。
 高校時代は昼に杏と椋と春原と食べていたが、あれは学校……俺の居場所だったからだ。
 あとは、いつものように春原の家でコンビニの弁当を食べるか。最近ではファミレスか買い食いもしている。
 他の家では食事をする時、このように温かな雰囲気なのだろう。
 そう思うと俺には、この雰囲気には馴染めず……自分の家の食卓にいるはずなのに、どこか気まずかった。

杏「朋也? 美味しい?」

 ふと、杏が話を俺に振ってくる。

朋也「あぁ、相変わらず杏の作る料理はうまいな〜」

 と、答えた。
 この雰囲気を俺一人の身勝手で壊せないと思った後は、慣れないなりに夕食を楽しんだ。



 夕飯の後片付けを終えると、夜の10時を回っていた。
 杏を帰らせようと、家の外まで見送りに来たが

杏「本当に一緒にいなくていいの?」

 などと言われ続けた。
 大丈夫、ありがとう と言ったのだが不満そうだったので、明日一緒に出かけると言う事で納得して帰ってもらう事となった。
 きっと、出かけるといっても、色々聞かれるのが大部分を占めるのだろうが。
 それでもいいと思った。本当に杏には助けられたから。
 あいつがいなかったら、今頃俺はどうなっていただろう。
 ただ家に引きこもって、人の目を避けて、大学にすらもう行かなかったかもしれない。
 そんな事、考えただけでも気が滅入る。

 じゃーね、と別れの挨拶を済ませ、杏が家路に着く。
 その後姿に俺は、ありがとう、と呟いた。


 居間に戻ると、祖母は最初に案内した場所に座り、お茶を飲んでいた。

志乃「杏さんは帰られたんですか?」
朋也「えぇ。こんな時間なので」
志乃「それもそうですね。でも残念、もっとお話したかったですね」

 少し落胆したような感じに見えたが、祖母は相変わらず微笑んでいた。
 この人は、人と話す時には微笑む人なんだな、と思った。

朋也「志乃さんに気に入ってもらえて何よりです」

 俺はそう言って、祖母の真正面に座る。
 そして、軽く深呼吸をして、話を切り出した。

朋也「先ほどの親父の話なんですが……」
志乃「えぇ、その事なんですが」

 話始めようとするも、祖母が予想外の言葉を口にした。

志乃「お見舞いに行ってあげてください」
朋也「えっ?」

 あまりにも突然に言われた祖母の言葉に、俺は素っ頓狂な声をあげた。

 祖母は表情を変えることなく、言葉を続けた。

志乃「朋也さんと直幸の間に何かがある事は分かります。ですがそれは私が入っても仕方のないことなのだと思うんです。
    2人の間で起きた問題は、当人にしか解決が出来ません。ですからまずは話し合うことが必要だと思いますよ」

 祖母はそう言うとまた、微笑む。

 祖母の言うレベルの喧嘩をしていたのは、少年時代の話だ。
 確かに俺が小学校高学年になった頃から、親父は酒を飲み始め、賭け事を行って暇を潰し、俺としょっちゅう喧嘩をしていた。
 だから祖母が喧嘩している事を知っていてもおかしくはないし、そうでなくても親子喧嘩なんて誰にでもあることだ。
 しかし、今の俺と親父の関係は根本的に違う。
 あの人は感情を表に出さなくなり、俺の事を知人として扱う。
 そんな態度に俺は嫌気が差し、親父とは積極的にコミュニケーションと言うものを取らなくなった。
 喧嘩をする事すら出来ない、冷めた関係。いや、そもそも今は関係などないに等しい。

 そんな背景から俺は、ストレートな言葉で祖母に訴えていた。

朋也「でも、あの人は! 俺をっ……息子として……見てないんですよっ」

 叫びたい衝動をどうにか押し殺し、俺は唇を噛み締め、俯いた。

 今の俺の中ではっきりした感情。
 それは、憎しみとか恨みだとかそういった類ではない、純粋な望み、心からの叫び。
 突き放すならまだよかったのに。
 傷つけてくれるならまだ救われたのに。

 一方的に父親としての責任を放棄したあの人はどんな気持ちだったのだろう。
 少なくとも、俺の事なんて考えていないだろう。
 それが無性に悲しく、そして悔しかった。

 祖母はそんな俺を見て諭すように、ゆっくりと声をかける。

志乃「朋也さん」
朋也「はい……」
志乃「今日病院で朋也さんが来なくて寂しいと言っていたという事は覚えていますか?」
朋也「はい、覚えています」

 俺は顔を上げ、祖母を直視する。

志乃「直幸は、『俺は朋也に愛想尽かされたのだろうか』とも言ってたんですよ」
朋也「え……?」
志乃「きっとあなたに対してお前は息子じゃない、などの事を言ったんでしょう。親子喧嘩なんていつだってそういうものです。
    話すきっかけさえ掴んでしまえばすぐに仲直りできると思いますよ。ですから時間があれば顔を見せに行ってあげて下さい」
 そんな事、あの人が本当に言ったのか? なぜ?
 祖母が嘘を言っているわけでないだろう。目が真剣だからだ。
 俺は、そうじゃない! と言いたかった。しかし、今俺がどんな反論をした所でまるで意味がない。
 なぜなら祖母の言うとおり、俺のあの人の二人の間の問題だから。

 俺が黙っていると、祖母が立ち上がり

志乃「さぁ、明日は杏さんと会うのでしょう? もうおやすみなさい。私は直幸の部屋を使わせていただきますね」

 そう言って、祖母は居間を後にした。



 俺も自室に戻り、ベッドへ仰向けに寝転がった。
 窓から空を見上げると、一昨日とはうって変わって、空には月が輝いている。
 風がなく、音もしない夜。
 まるで、この世に俺一人しか存在しないような感覚だった。
 この世に俺一人しか存在しないとしたら、こんな気持ちにならなくて済んだのかな?
 と、杏が聞いたら怒りそうな考えが浮かぶ。

 そんな考えを馬鹿馬鹿しいな、と吐き捨て、先ほどの祖母の言葉を、頭の中で反芻する。


 ──俺は朋也に愛想尽かされたのだろうか──


 あの人は……俺が息子である朋也だと認識しているのか?
 愛想尽かすような関係であると思っているのか?
 わけが分からない、記憶が戻ったのであれば、俺はこの家に住む同居人であるはず。
 それなのに……この言葉は一体、どういうことなのだろうか。

 そんな事を少しの間考え、目を閉じた。

 今考えても仕方がないことか。
 今日はなんだかとても疲れた。
 祖母の言うとおり、明日病院に行ってみよう。
 それから考えればいい。

 杏には悪いがデートはなしにしてもらおう。
 ごめんな……杏。


 そう自分に言い聞かせ、俺の意識は静かな夜に沈んでいった。














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〜あとがき〜

お久しぶりです。TKOです。
更新が一ヶ月もかかってしまい大変申し訳ありません。
ここ最近、雑用が多くて忙しかったもので、とちょっとだけ言い訳を。
アルバイトを探すので苦労しています。
今は某デジタル家電の小売業のアルバイトをしていますが……なにせ秋葉原まで行かなくてはならないので地元でいいアルバイトを探さないと。
また、少し更新期間が空いてしまうかもしれませんが頑張って製作しますのでよろしくお願いしますm(_ _)m





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