第6話  ありがとう





 気が付いた時には、午後の3時を回っていた。

 杏のおかげで、少しだけ気分が晴れた俺は立ち上がり、病院がある方角を見つめる。

杏「行くんでしょ?」

 杏が少しだけ声を弾ませて、そう尋ねてきた。
 俺はその言葉に、「あぁ」と答える。



 元の親子関係へと戻るのに、きっとたくさんの時間がかかると思う。
 それは、思ってる以上に、大変な事なんだろう。
 それでも、話し合ってみよう。
 少しだけ……向き合ってみよう。



 また同じことの繰り返しにならぬよう、心の中で覚悟を決める。
 でも、まだ、俺は最初の一歩が踏み出せずにいた。

 そんな俺の心情を察してか、

杏「行ってこい! お父さんが待ってるわよ!!」

 杏の叱咤とともに、俺の背中に衝撃が走った。
 あまりにも突然の事に驚き、振り返ってみると、杏が笑顔で、そして真っ直ぐに、俺を見つめていた。


 ──大丈夫、朋也になら、きっとできるよ──


 杏の目は俺に、そう語りかけてくるような気がした。


 そして、深く息を吸い込んで


朋也「……行ってくる!」


 俺は振り返らずに、走り出した。

杏「頑張れ! 朋也っ!」

 背中に杏の弾ける様な声援を受け、俺は病院へと向かった。











 病院へ着くと、俺はロビーで息を整え、できるだけ冷静であろうと努める。

朋也(話すだけでいい。ただ、声をかけるだけでいい)

 自分にそう言い聞かせ、息が整ったのと同時に、ゆっくりと病室へ歩き出した。



 病室の前に立つと、突然、扉が開いた。

志乃「あら、朋也さん?」

 祖母は少し翳りのある表情で俺を見る。

志乃「ごめんなさい、少し席を外しますね」

 祖母はそう言って、廊下へと出て行った。
 中を見ると、医師と目が合った。あの日、親父の状況を説明してくれた人だ。
 俺は、軽く頭を下げて挨拶をした。

 親父の方を見ると、ベッドがカーテンで仕切られていており、ここから見えなかった。
 俺の目線が気になったのか、医師が声をかけてきた。

医師「岡崎 朋也くん、ですよね?」

朋也「はい」

医師「今さきほど、直幸さんのお母さんにも話したのですが……あなたのお父さん、岡崎直幸さんの意識がまた、なくなりました」

朋也「え?」

 医師の言葉に俺は、また動揺した。

医師「あ、でも心配しないでください。脳波に異常はみられないですので、一時的なショック状態だと思います」

朋也「はぁ……そうですか」

 いまいち医師の言い分が理解できないので、曖昧に答える。
 つまりはそんなに深刻にならなくてもいいんだろう、そう思った。

医師「申し訳ありません。何故こうなったかは分からないのです。
   ただ、先ほど言い争う声が聞こえてきたとの話を聞いたのでもしかしたらそこに原因があるかもしれないのですが……
   心当たりなどありますか?」

 心当たりはある。
 きっと原因は俺だ。
 親父の言葉が癪に障って、何を考えているのか分からなくなって、そして……


 俺と親父の関係を断ち切ったときの、あの言葉を再び親父に言ってしまったのだから……


朋也「きっと……俺の、せいです……」

 カーテンの向こうに横たわる親父に、懺悔をするように俺は答えた。

医師「では、よろしければその時の状況を教えていただけますか?」

朋也「はい」

 そして、先ほどの出来事を話そうとしたときに、祖母が帰ってきた。

医師「お母様、ちょうどいいところに。どうやら原因が突き止められそうです」

志乃「そうですか」

 医師の言葉にあくまで冷静に受け答える祖母。
 視線の先にはカーテンに遮られたベッドがある。
 祖母の目は少しだけ哀れみを宿しているように見えた。



 俺はさきほどの出来事をありのままに説明した。
 訪問してから見舞いの品を渡した事。
 そしてそれから俺が言った事。

 正直、何を言ったかなんて、全て覚えていない。
 しかし、最後に言った言葉。それだけは覚えている。
 過去に決別の意味を込めた言葉。それを今回も……。

 そして、事故に遭う前の二人の関係も話した。
 怪我の事。
 その時に同じような言葉を言った事。
 それからの二人の関係の事。


 俺が説明を終わると

医師「そうでしたか……。おそらく、それが原因でしょう。
    過去のショックな言葉がきっかけとなって記憶が錯乱し、意識をなくしてしまうケースもありますので」

 医師は俺と同じ結論を出した。そして

医師「何にせよ、今は目覚めるまでそっとしておきましょう」

 そう言って医師は病室を後にした。



 カーテンを開け、親父の顔を覗きこんだ。
 どう見ても、寝ているようにしか見えない。
 祖母がベッドの傍にある椅子に腰をかけ、同じように親父を見つめる。
 一体、祖母はどんな想いで見つめているのだろう。

 そんな事を考えていると


志乃「朋也さん。少しだけ、話をしていいでしょうか」


 祖母が子守唄を唄うようにゆっくりと、話し始めた。


志乃「あれは、この子がまだ学生の時でした。
   ある日、突然、敦子さんを連れてきて、『俺たち、結婚します』と言ってきたんですよ。
   もちろん私たちは反対をしました。説得もしました。
   でも、二人の決意は思いの外強かったんです。私達の反対を押し切って、二人とも学生なのにも関わらず、結婚しました。
   直幸は高校を中退して働きだしました。そして、小さなアパートで暮らし始めたんです」


 それは俺の知らない親父の物語。


志乃「二人の生活は、はたから見れば、裕福な暮らしではありませんでした。
   現実は甘くありません。様々な困難が二人を襲いました。
   それでも、満足のいかない収入で、やりくりをして、直幸は笑って敦子さんの為に、頑張って働きました。
   時には仕事がうまくいかなかった事もあったでしょう。
   時には夫婦で喧嘩が起こることもあったでしょう。
   愛する人を、自分の手で守って、生きていく。それは誰もが考える以上に、困難な事です。
   それでも、直幸にとっては幸せだったのでしょう。
   なにせ、ずっと一緒に暮らしてきた私でも、見たことのない笑顔を見せていたのですから」


 祖母は愛しそうに父親の頭を撫でながら、話を続けた。


志乃「そんな幸せのひと時の中、やがて、朋也さん。あなたが生まれました。
   二人は大いに喜びました。
   敦子さんは母親として、直幸は父親として朋也さんを真っ直ぐに立派に育てていこうと約束しました。
   二人きりでの生活は、家族の生活になりました。
   慣れない子育てに苦戦する敦子さん、今まで以上にお金を稼ぐ事が必要になった直幸。
   今まで以上に大変な思いをしている二人でしたが、それでも、とても幸せそうでした。
   ですが……、その幸せも長くは続きませんでした」


 俺は、黙って話を聞く事しか出来ない。


志乃「敦子さんが交通事故に遭って、病院に運ばれました。直幸が駆けつけたときは、もう、虫の息でした。
   そんな状況でも、敦子さんは朋也さんの将来の心配をしていました。
   最後の最後まで、敦子さんは母親で在り続けたかったのでしょう。
   そして……敦子さんは帰らぬ人となりました。
   直幸は何度も敦子さんの名前を呼びました。その様子を、私たちは見ていることしか出来なかった……。
   今でも、覚えています。
   敦子さんの後を追って馬鹿なことをするのでは、という心配をするほどに、直幸は憔悴していました。
   あの子は家族というものを大切に、必死に守って生きてきたからです」


 祖母はゆっくりと振り返り、俺を見つめる。


志乃「ですが、朋也さん。あなたがいたからこそ、直幸は立ち直れたのです。
   幼いあなたを抱きしめ、直幸は涙しました。そして
   『こいつは俺の力で立派な人間に育て上げてみせる。こいつは……朋也は、俺が守ってみせる』
   そう言って、直幸はわたしたちの住む町から、旅立ちました。
   それからの日々が、直幸の人生で一番頑張った時間なんですよ」

 そう言って、祖母は俺に微笑んだ。
 俺は……涙を堪えるのに……必死だった。
 
 あの人は……誰よりも家族を大事にしようとした人だったんだ……。


志乃「子育てを仕事を両立する事は、とても難しかったんです。
   何度も仕事をクビになって、職を転々として。なけなしのお金で、お菓子やおもちゃを買い与えて。
   満足な生活は出来なかったでしょう。ですが、どんなに辛くても、朋也さんだけは手放さずに、守っていました。
   自分にとってどんなに有利な仕事の話があっても、朋也さんの事を第一に考え、仕事を断り、チャンスをふいにして……。
   そういったように、自分の成功の機会や運など、直幸のもてる全てを犠牲にして……あなたを育て上げたのですよ」


 それはきっと、俺には想像も出来ない困難なんだろう。
 どんな思いで俺を育ててきたのか。
 父の気持ちを垣間見たような気がして、俺の中で熱くこみ上げるものがあった。

 俺は頬に流れる涙を俺は拭う事もせず、俯き、こぶしを握った。


志乃「時には厳しかったでしょう。時には暴力を振るったでしょう。
   ですが、それも全て、あなたを立派に育て上げるためだったのです。
   敦子さんとの約束。あなたを守り、真っ直ぐに育て上げる。それがあの子の生きる道しるべだったのかもしれません。
   そして、朋也さんが手の掛からない程に育った時、あの子は全てを失ってしまいました。
   仕事も、仲間も、運も、チャンスも……。
   それからは……堕落していくしかなかったのです。
   深い悲しみをお酒で紛らわせ、目的のない日々をただ生きているだけでした。
   躾けにうるさくなり、勉強にも口を出すようになり。
   直幸の守る、立派に育て上げるという道しるべは、いつのまにか、朋也さんにとって重荷になるものだったと思います」


 祖母の言うとおりだった。
 あの関係が始まったのは下らない、些細な事を注意されてから起こった出来事だった。

 きっと親父にとって……母親との約束が頑張る支えになっていたのだから……。
 それを俺は……。


 祖母はまた父親に視線を戻した。


志乃「守っていくと誓った朋也さんに、人生を変えてしまうような怪我をさせてしまったことで、直幸は後悔に苛まれたのでしょう。
   そして、これ以上傷つけないように、との防衛策で朋也さんとの関係をなくしたかったのかもしれませんね。
   本当に、馬鹿な子……」


 俺は何も分かっていなかった。
 下らない子供の我が儘で、親父の気持ちを考えもしないで、ただ、喚いているだけだった。
 どれだけの苦労をかけたのだろう。

 親父が謝るんじゃない。
 俺が感謝を込めて、親父に謝らなければならないんだ。
 いや、謝るだけじゃない。精一杯の感謝の気持ちを、伝えなければいけないんだ。


志乃「朋也さん」

朋也「はい……っ」

 俺は祖母の呼びかけに、声を詰まらせながらも、応える。

志乃「直幸は……あなたの思うような父ではなかったのかもしれません。
   先ほどの話。朋也さんから見たら、確かに親である事を放棄して逃げたようにしか見えません。
   ですが、この子も幸せな時間の中、大切なものを失ってしまった、哀れな子なのです。
   だからと言って、直幸を許してくれ、とはいいません。
   せめて、この子の気持ちを分かっていただけないでしょうか?」

朋也「はっ……い」


 ベッドに近づき、親父の手を取る。
 幼い時に、撫でてくれてだであろう親父の手は、いつのまにか小さくなっていた。


 この手でどれだけの困難に立ち向かったのだろう。
 この手でどれだけ必死に家族を守っていたのだろう。
 この手でどれだけ俺は愛されていたのだろう。


 俺は親父の手を強く握り、ごめん、と呟いた。

 すると、それがきっかけになったのか、親父が呻いた。

朋也「親父!?」
志乃「直幸!?」

 そして、二人の声に呼応するように、ゆっくりと瞼が開いていった。














 煌々と光る夕日が病室を染め上げる頃、俺は呆けて座っている、いつもの同居人と向かい合っていた。
 祖母には少し席を外してもらった。二人で話をしたかったからだ。

直幸「朋也くん? 一体どうしたんだい?」

朋也「親父……。俺の話を聞いてくれるか?」

直幸「朋也くんのお話かい? そういえば最近話してなかったね。うん、聞きたいな」

朋也「ありがとう」

 焦らず、ゆっくり話していこう。
 今まで、呼ばれるのが嫌だった朋也くんという言葉も、今は気にならなかった。

朋也「お祖母さん、親父の母親から色々な話を聞いたんだ」

直幸「ふむ」

朋也「大変だったな、って思った。苦しい思いをして、こんな俺なんかの為に、全てを投げ出して……」

直幸「そうか」

 俺の言葉はこの人に届いているだろうか。
 分からない。
 でも、届いてくれるまで何度も語りかけよう。
 そう、決めたから。
 
朋也「なぁ、親父。もう、いいんだ」

直幸「うん?」

朋也「親父と母親と約束したこと。俺は十分に守ってもらった。親父のおかげで、立派に育ったつもりだ。
   これからは自分で守っていける。そりゃ、傍から見れば危なっかしいかもしれない。
   それでも、一人で頑張って何とかしてみせる。
   だから……もう、何も気負う必要はないんだ……っ」

 気付けば、また、目の前の顔がぼやけて見え、声が掠れる。

朋也「もう、自分の為に生きてくれていいんだ……」

 力の入っていない親父の手を両手で取り、俯き、哀願する。
 今は、胸がいっぱいで、これ以上の言葉が出なかった。


直幸「…………いつの間にか……」

朋也「えっ?」

 顔を上げ、親父の顔を見る。

直幸「いつの間にか……こんなにも、大きくなっていたんだな……」

 目線は俺が握っている手に注がれていた。

 幸せな時期に、愛する人を亡くしてどんな思いで、俺を育てていたんだろう。
 こんな俺の為に頑張って、幸せだっただろうか。
 俺には分からない。
 でも、ただ一つだけ分かる事がある。
 俺は、親父に捨てられてなんかいなかった。
 いや、それどころか、俺の思っている以上に、俺は愛され、育てられていたんだ。


朋也「あぁ、あんたのおかげで、ここまで育ったんだ」

直幸「そうか……おれは、守りきる事が出来たんだな……。それは……よかった…………」



朋也「親父……いや、父さん」


 俺は立ち上がり、真っ直ぐに、父を見据えた。
 今まで避けてきた嫌な出来事は、思い出にして……
 これからを、見据えて……





朋也「今まで、ありがとう」






 そう、頭を下げて、この4年もの出来事に終止符を打った。










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〜あとがき〜

ども、TKOです。

本当は2話に渡って書こうと思ったのですが一つにして纏めて書いてしまいました。
というのは、話の展開が遅くなってしまうと思ったからです。(自分の力量が不足しているだけなのですが……)

祖母のくだりは本編の雰囲気のまま書いていたのですが……友人に色々つっ込まれてしまいました。反省。

今回は物語のクライマックスで、CLANNADの中で一番好きなシーンを表現しました。

ずっと前(多分2年前くらい?)からやってみたいと思っていた話なのですが、本編と同じように感動していただけたら幸いです。
(おおまかな話はCLANNADのままですが(笑))

ヒロインが杏じゃなくてもいいのでは? とお思いかもしれませんが、正直、他のヒロインでは自分はこのような話は書けません(笑)


次回で、完結の予定です。

これまで読んできて頂いてた方々。どうか最後までお付き合いください。







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