第五話 騎士として
時空管理局の本局。
その中に特別訓練を行うための戦闘施設がある。
対面側の壁が見えない程にその場所は広い。
その上、部屋の壁には魔力でダメージを受けないように分散する結界が張られており、また物理的な衝撃にも耐えられるように対物用の結界も同時に展開している。
見上げればそこには天井がなく空が広がっており、戦闘という野蛮な言葉が似合わないくらい平和な場所であった。
その広大な一室で、腕を組みをして微動だにせず立ち続ける人影があった。
桃色の長い髪を頭の上で纏め上げ騎士と呼ばれる甲冑を身に纏い、帯刀している長年愛用し続けてきた誇りとも言える剣が鈍い光を放っている。
目を瞑り、感覚と研ぎ澄まし、集中しているその様はおそらく守護騎士達の中で随一の集中力の持ち主故か、纏っている空気がそこだけ違うように感じられる。
そんな状態が数分過ぎた頃、シグナムの背後にある扉が音を立て開いた。
入室してきたのは、お互いを認めあった文字通りの好敵手。
入ってきた黒い上着に白のスカートを身に纏った女の子は一礼をし、静かに瞑想するその背中に声をかけた。
「お待たせしました。用ってなんですか? シグナム」
彼女の声に反応して腕組を解き、振り返ったシグナムは目の前にいる自分よりひと回りもふた回りも小さい相手へ視線を送る。
「模擬戦をしたいと思ってな。テスタロッサ。相手を願えるか?」
呼び出した人がシグナムで呼び出し先が戦闘施設であれば行うことは一つ。
フェイトもそれが分かっていてここに来た。
だからフェイトは、
「はい」
静かに、しかし強く頷いた。
「はぁっ!」
気合を上乗せしたシグナムの一閃をフェイトはもてる最大のスピードでかわし、シグナムの背後に回りこみ斧型になっているバルディッシュを振り抜く。
しかし、今までの経験からか背後の気配を読み取り、振り返ってシグナムは剣でそれを受けた。
そのまま鍔迫り合いになり、互いの顔が間近に迫る。
「やはりそのスピードは賞賛に値するな。実践経験をもっと積んだらすぐにでも抜かれてしまうかもしれない」
「ありがとうございます、シグナム。でもその理論は貴方が成長しなかったらという前提が必要です」
「そうだな。ただ指を咥えて抜かれるのを待っているわけにはいくまい」
力の入れ具合を間違えれば隙が出来てしまう、そんな均衡を保ちながら二人は口元に笑みを浮かべる。
そして、計ったように二人は同時に後方に飛び、間合いを離した。
お互いの状態を観察し、次の攻撃をするために考えを巡らせる。
そして、先に動いたのはフェイト。
一瞬で黄色に輝く魔方陣を展開し、周りに魔力を集める。
「プラズマランサー……ファイアー!」
その声に反応するように、周りの魔力の塊は六つの槍へと姿を変え、シグナムに襲い掛かる。
それは、以前シグナムへと放ったプラズマランサーと比べ、大きさも早さも向上していた。
シグナムはその様子を見て、別段驚く事もせずカートリッジをロードするや否や、
「紫電……一閃」
掛け声と共にレヴァンティンへと魔力を乗せる。そして、
「はぁぁぁぁっ」
二つの槍を同時に地面に叩きつけて槍を壊し、流れるような動作で三つの槍を切り伏せて魔力素へと還元し、最後の槍を弾いた。
そして、シグナムがフェイトへと視線を向ける。が、そこにはフェイトはいない。
「はぁっ」
途端、頭上からフェイトの声が聞こえてきた。
シグナムの意識が槍に向いている間、フェイトは空高くへ跳んでいたようだ。
「くっ」
辛うじてシグナムは剣でフェイトの攻撃を受ける。
フェイトの重力を乗せた一撃は、フェイトのスピードを相乗して重く弾きがたいものだった。
だから防御に徹したシグナムは、ほんの少しだけフェイトに猶予を与えてしまう。
シグナムがフェイトの攻撃に集中している間に、フェイトは一つだけ弾かれていたプラズマランサーの向きを変え、シグナムの背中を狙って打ち出した。そしてフェイトはさらに手元に力を込める。
そして、後二秒程でシグナムにプラズマランサーが当たる、と言うところで、
「Panzergeist」
レヴァンティンがバリアを作成し、シグナムを覆った。
そして、プラズマランサーとシグナムのパンツァーガイストが接触する。
威力が以前よりもあがっているプラズマランサーを弾くことが出来ないバリアは、シグナムの背後で正面から衝突し合って、火花のように激しく魔力を散らしている。
やがてフェイトがシグナムから離れて後方へ飛んだ瞬間──シグナムの真後ろでプラズマランサーが爆ぜた。
「ふぅっ、ふぅっ」
間合いを離し、息を整えようとするフェイト。
その瞳に、勝利の確信はない。
ただ、次の攻撃に備えようという心構えだけを持って、煙る場所を見つめている。
「はぁっ、はぁっ」
煙が薄れる中、シグナムは息を整えながら離れた場所に佇む黒衣の魔導師を発見する。
向こうも息を切らしているのか、肩が上下しているのが理解できた。
──強い。
煙の中、シグナムはフェイトがこの一年近くで戦闘スキルが大幅に上昇している事を実感する。
一つ一つの技のキレも威力も上がっている。今の爆発でそれは誰の目から見ても明らかだ。確実にフェイトは強くなっている。
フェイトが離れてくれたからいいものの、全力でバリアを張る事が出来なかったら、今の攻撃は結構なダメージになっただろう。
それくらいに余裕がない。シグナムはそう思い、心の中で嘲笑する。
──否、ベルカの騎士に手加減などという言葉は存在しない。
これほどに全力を出していて仕留められない相手が今までいただろうか。
ベルカの騎士として生きてきた気の遠くなるような時間の中で、これほど手強い相手がいただろうか。
その答えは今実感している通りだった。
こんなにも戦いをもっとしていたいなどと思う事は、シグナムにとって未知の経験。
騎士たるもの、その居場所は戦場にしか在らず。戦にて生き、戦にて死ぬ。
過去のシグナムの騎士としての考え。
まさに今がその状況だった。
ここが自分の居場所なんだと思えるくらいに居心地がいい。戦いが楽しい。
己の考えはやはり正しかったのかと考えるが、すぐに違和感を感じた。
頭の回転が速いシグナムは、その違和感の正体を突き止めた。
自分の居場所……それは今までに考えていた騎士の居場所からあまりにもかけ離れている事を。
家族という新しい居場所をくれた主はやて。
彼女と他の守護騎士たちで平和に過ごせる場所。
そして、夜天の書の管制プログラム──リインフォースが自らの命を差し出す事で守った……失うわけにはいかない空間。
今のシグナムの居場所──今までになかった安らぎをもたらしてくれる平和な場所を失わない為に、そしてその場所で待つ主の元へと無事に帰るために戦う。
言わばそれは守るための戦い。
それが今のシグナムの騎士としての考えだった。
ならば戦闘が楽しいと思えるようになっているのは、考え方が変わった為だろうか。
──いや、違うな。
シグナムは、即座にその考えを否定する。
今の戦いは守るための戦いではない。ただの模擬戦なのだ。
ならば楽しいと思える理由は他にある。
シグナムは迷うことなく解答を導き出した。
それは、今対峙している彼女がいるから。
長い時間を生きてきた中で、初めてライバルと呼べる存在と出会えた事が嬉しいのだ。
お互いを認め合って切磋琢磨しながら戦闘が出来る事が楽しいのだ。
実力が拮抗している同士での戦いが、ぎりぎりの駆け引きがこんなにも心躍るとは思わなかった。
つまらなく、事務的になっていた昔の戦いでは味わえない緊張感と高揚感を、今ははっきりと感じる。
騎士として生み出されたはずなのに、戦闘を行う度に気が進まない事が度々あった。
行動は起こしていたが、意思がついていかなかった事もあった。
最後には情を押し殺し、ただ、主の命を全うし続ける存在になりさがっていた。
──いつからだろうな。戦闘に価値を見出せず、戦いが嫌いになったのは。
その問いかけに答える声はなく、自分自身でもそれは分からない。気がつけば何も考えずに剣を振るっていたのだから。
しかし、理由は分かっている。
主を守るためではなく、ただ弱い者や主に盾を突く者からリンカーコアを一方的に、無差別に奪う事が目的で戦っていたから。
でも、はやてを主としてから考え方が変わった。
温かい居場所を残すために自分の命を賭したリインフォースを見て思い知らされた。
今なら胸を張って言う事ができる。
何のために剣を振るうのかを。何を守るために戦うのかを。
そして、自分はまだ強くなれる事が実感できる。
──戦闘でここまで胸が躍るのも、自分自身を高められるのも……テスタロッサ、お前のおかげだ。
息を整えたシグナムは高鳴る胸の鼓動を抑える事をせず、ただ体の動くままに疾走しフェイトとの距離を詰めた。
◇ ◇
「いただきます」
「いただきまーす!」
「いただきます」
「たーんと、召し上がれ」
シグナムとヴィータ、シャマルはご飯前のルールに則り、食事に手をつけはじめた。
「うめー!」
ヴィータはいつものように一口含み、咀嚼をして感想を口にする。
「あはは、ありがとうな」
厳かに、なんてこの食卓では似合わないのは一品ずつに素直な感想を口にするヴィータがいるからだろう。
それでもそんな中ではやては、静かに笑顔で目の前の面々が食事をするのを見ていた。
シグナムは味噌汁の片手に、もう片手に箸を持ちながら、
「ヴィータ。行儀が悪いぞ」
目もくれることなくヴィータを嗜める。
礼儀などを重んじるシグナムは行儀が悪い事を注意するのだろう。
それも見慣れたいつもの光景だった。
「うっせーな、いいじゃん。うまいもん食ってんだから。思った事は素直に口にする。じゃないとこーんな顔になっちゃうぞ」
そう言いながら、ヴィータは手の平で自分の顔を左右から寄せるように押しつぶす。
「ヴィータちゃん、それはさすがにやり──」
「……ふっ。それもそうだな」
シグナムは視線だけ向けてヴィータの顔を一瞥すると、穏やかに口元を緩めた。
「「「……え?」」」
そのシグナムの言葉と行動に、三人の声が綺麗にハモり、その後八神家の食卓の空気が凍りつく。
ザフィーラでさえも、食事を止めてシグナムを見上げている。
一番驚いているのはヴィータ本人だろう。
ヴィータの行動をいつもなら嗜め、度が過ぎると打ち据えられる。
それがいつも場を和ませる──はやてを笑顔にする日常のやりとりなのに……打ち据えられる覚悟をしていたのに、シグナムの予測しなかった態度にヴィータは不思議がる以上に、反応できなかった。
そんな中、はやてはいつも通りに、
「シグナム、なんかええことあったんか?」
固まっている回りの家族を代表して、シグナムに問いかける。
その場の適応能力が人一倍高いのがここで功を奏したのか、はやてのおかげでシグナムは周りの状況を不思議に思わなかった。
「……そうですね……はい。ありました」
シグナムは少しだけ迷うように間を置いて、はやてに答えた。
「今日はフェイトちゃんと模擬戦をやったんやろ? フェイトちゃんに勝ったんか!?」
きっと気分がいいからヴィータの行いも容認したのだろう、と思ったはやては話を続ける。
「いえ、今回も勝負がつきませんでした」
シグナムはあっさりと、はやての言葉を否定した。
「勝負がつかんかったのが嬉しいんか?」
白黒つかなかった事が嬉しいのか? とはやては首を捻る。
「いえ、そういうわけではありません」
「ならどういうわけなん?」
はやてはシグナムの言葉を追撃する。
すると、シグナムは箸を置き、
「勝負自体はいい勝負でした。テスタロッサは驚くべき速さで成長しています。その才能は他にも類を見ないでしょう」
自分の目に狂いはない、といったように話を始めた。
「んー確かにそうやね」
「いえ、もう一人いましたね。高町なのは。彼女も非凡な才能の持ち主でしょう」
「あいつ諦めが悪いからなー。きっと見えないところで半端なく特訓してると思うぜ?」
時間をかけてやっといつも通りの調子に戻ったヴィータは、二人の会話に入ってきた。
シャマルも食事に手をつけ始め、ザフィーラは耳を動かしながら食事に口をつけている。
「あぁ。きっと二人とも影で血の滲む様な努力をしている事だろう」
「で? それがシグナムとどう関係があるん?」
はやてはシグナムに答えを急がせた。
シグナムがこんなに気分がいい理由を早く知りたかったのだろう。
「今日、テスタロッサと剣を交えた時に過去の事を思い出しました」
その言葉をシグナムが口にした瞬間、シグナムを除くヴォルケンリッター達に先ほどとは違う緊張が走った。
それは同じ過去を共有してきた同じ騎士だからこそ、あえて口にしてこなかった事。
シグナム以外の騎士達が感じるもの……それは後ろめたさだった。
「そっか」
シグナムの語りに言葉を返したのははやてのみだった。
他の二人はシグナムからもはやてからも視線を外し、俯いている。
ザフィーラは動じない様で、シグナムの話の続きを黙って聞こう、という態度であった。
「過去の私は、非道の限りを尽くしてきました。弱い者を優先的に狙い、蒐集をする。たとえ泣き叫ぶ子供が相手でも、主の命とあれば躊躇うことなくそれを行いました」
シグナムは膝に手を置き、悲しそうに瞳を伏せて語り始めた。
「もちろん、最初からこうであったわけではありません。知識を宝庫にするべく作られた夜天の書を守るための騎士。それが我々でしたから。あらゆる障害から主を守り、時には書を狙う敵対者を殺めたりもしました。夜天の書と主を守るという事が我々の存在意義でしたので」
シグナムはそこまで話して、一口失礼します、と言ってお茶を啜る。
「ですが悪意ある改変を受け、夜天の書が人の手に負えないものとなった時、我々の存在意義は全く違うものになっていました。主の命に従うだけの騎士団、と言うのが的確かもしれません。それからは今言ったとおり、非道の数々を繰り返してきました。そして同時に……騎士としての誇りをもなくしかけていたのです」
騎士にとって誇りとは簡単になくせるものではない。
だが、きっとそれは濃い霧の向こうに霞んで見えるように曖昧なものでしかなかった。
それをシグナムは悔やんでいるのか、その目に後悔の色が見え隠れしていた。
「そうなんか……」
はやてはなんと声をかけたらいいのか分からない。
ただありのまま、シグナムの言うことを受け入れようと真剣に話を聞こうとしている。
シグナムはそういったはやての態度を見て、やはり優しいお方だ、と思い胸の内に温かいものが広がっていくのを感じた。
同時に、瞳に少しだけ力が宿る。
「ですが、テスタロッサとの戦いで私は、騎士としての誇りを取り戻しつつあるのと同時に、本当の気持ちを見つけました」
「本当の気持ち?」
「はい。私自身の戦う意義、といった方がいいのでしょうか。それが明確になったのです」
そう口にしたシグナムの顔は、いつもの難しい顔とは違い、晴れ晴れとしていて、美しいといっても過言ではないほど澄んだ表情をしていた。
「そうなんや、ちなみにシグナムの戦う意義ってなんなん?」
「一つは主はやて、貴女をお守りすることと、リンフォースが残してくれたこの家族を守ることです。そしてもう一つは、テスタロッサと戦うことです」
「フェイトちゃんと戦う?」
シグナムの口からでた意外な言葉に、はやてはシグナムの言葉をそのまま口にした。
「はい。彼女との戦いで私はまだ強くなれると実感しました。実直で強い意志を持ち、諦める事をせず勇敢に立ち向かってくる。私はそんなテスタロッサを尊敬します。そして、そんな彼女が私をライバルと認めてくれる事を誇りに思うのです。ですから彼女と戦う事も意義の一つです」
「それは……フェイトちゃんも喜ぶな」
「はい、そうであれば光栄です」
そう言ったところで、シグナムは周りからの視線に気がついた。そして、食卓の上の現状にも目を向ける。
「あ、食事の時間にこんな長話をして申し訳ありません。夕食をいただきましょう」
シグナムはそう口にすると、漬物に箸を伸ばす。
それを切り口にヴィータとシャマルは、そんなシグナムの様子を見て微笑み合い、それぞれの皿に手を伸ばした。
ザフィーラも同様に食事に戻ろうとするが……すでに皿には何もなかった。
「ザフィーラ、おかわりいるか?」
はやては可愛く笑い、ザフィーラに声をかける。
しかし、ザフィーラは首を横に振ると、スタスタと歩いて行ってしまった。
その後姿を見てはやては一つ思う。
──戦う意義、か。
はやてはシグナムの言葉を頭の片隅に置き、いつもの騒がしい食事の輪の中に入っていった。
◇ ◇
日付が変わるまであと二時間という時、はやてはベッドを抜け出した。
隣には遊び疲れたのか、ヴィータが静かな寝息を立てている。
その寝顔を見て、はやては穏やかに笑い、静かに車椅子に乗り部屋を出た。
いつもなら床につく時間。なぜ、こんな時間に起きているのか。
それは夕食時に聞いたシグナムの話、それを聞いてからはやてはシグナムに尋ねたいことができてしまったからだった。
しかし、今までヴィータと遊んでいたため、すっかり話す機会を失っていたのだ。
シグナムとシャマルの部屋の前へときたはやては、扉へと手を伸ばした。
そして躊躇いもなく、
「シグナム起きとる?」
そう言ってドアをノックする。
するとすぐに、部屋の中から物音が聞こえ、
「はい、なんでしょう?」
という言葉と共に、ドアが開きシグナムが顔を出した。
シグナムの後ろにはシャマルもいる。
どうやら二人で何か話していたようだ。
「ちょっとお話したいんやけどええか?」
はやての突然の申し出にシグナムとシャマルはキョトンとした顔を作るが、シグナムはすぐに顔を綻ばせて、
「はい」
そう答えるとはやてを部屋へと通した。
中にいたシャマルは気を利かせたのだろうか、お茶を入れてきます、と言って立ち上がる。
そんな彼女をはやては、
「あ、別にええよ?」
と止めてみるが、
「ヴィータちゃんの様子も見てからすぐ戻ってきますから」
そう言って、シャマルは部屋を出て行った。
扉の向こうへ消えるシャマルの背中を見送り、シグナムは、
「それで、お話とはなんでしょう?」
立ったまま、はやてへと視線を向ける。
はやてはシグナムの感情が見えないいつもの顔を見て、
「まぁまぁ、そこに座って」
座るように促した。
「それでは失礼します」
一言断りを入れてシグナムはベッドへ腰を下ろす。
はやてはそんなシグナムの行動に満足し、頷いた。
そして、はやては先ほどのシグナムの疑問に答える。
「シグナムにな、昔のこと教えて欲しいって思ったんよ」
言葉を受け取ったシグナムは少し思案し、
「昔、といいますと?」
はやての瞳を見返す。
「リインが作られた辺りの話がええな」
はやては笑顔でシグナムの問いに答えた。
しかし、シグナムははやての笑顔を見るや否や、ほんの少しだけ顔を強張らせた。
その様子をはやては察知し、少し慌てたように、
「あ、長くなるんならまた今度にでも──」
そう言い繕おうとした時、
「……主はやて」
シグナムが反応した。
「ん? なに? シグナム」
「その話をする前に、一つ伺いたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
はやての答えにシグナムは何を考えたのか、過去の出来事を話すために超えねばならない壁があるのか、シグナムの声色は真剣そのものだった。
シグナムの様子に何かを感じ取ったはやては、少しばかり気を引きしてめて答えた。
「うん。ええよ。なに?」
「以前言われていた、リインフォースに代わる新たなデバイス機を作る事についてです」
その話はシャマルとヴィータの前で話した日のうちにシグナムとザフィーラの耳に入っていた。
しかし、今の今まで話題にあがることはなかったのである。
それが今になって一体どうしたのだろう? と思い、はやては続きを促す。
「うん、それがどうかしたんか?」
「主はやて、単刀直入に伺います。そのデバイスは何のために作られるのですか?」
「え……?」
──なんのために作られるのですか?
シグナムの疑問にはやては言葉を失った。
そんな質問をされるとは思わなかった。理由を聞かれることが意外であった。
喉に引っかける言葉すら存在しない。
思考が完全に止まってしまったのが、自分でも分かる。
でも何とかしてここで答えなければいけない。
そう思ったはやては、必死に理由を探す。
なぜ、リインフォースの後継であるデバイス機を作りたいのか。
それは……
「リインフォースを……幸せにしてあげたいから……」
なんとか口から出た理由は、はやてが思う事とは少し違ったが、当たらずとも遠からずといった言葉だった。
「作ったデバイスの人格はリインフォースではありません。完全に別人です」
だが、それはシグナムの言葉に一蹴される。はやては口を噤み、俯くしかなかった。
確かにその通りだ。どんなに望んでいても『あの』リインフォースは戻ってこない。
それは分かっている。しかし、それではこの気持ちの収まりがつかないというのも事実だった。
はやてがなんとか言葉を探していると、シグナムは静かに口を開いた。
「守護騎士プログラムは主の中で生きています。言うなれば主が魔力を供給するというリスクを負っている為、我々は生きていられるのです」
はやては顔を上げ、シグナムの話に黙って頷く。
「それが一人増えるという事でリスクが増すことは必死でしょう。自分のリンカーコアをコピーするという手段を取るのであれば、その危険は増す一方です」
「うん……」
続く言葉にもはやては力なく答える。
シグナムの言う事に間違いはないのは分かっている。
何も言い返すことが出来ない。
「主を守る事が我々、守護騎士の存在意義。そんなリスクを手放しで見送るわけにはいきません。しかし守護騎士が足りない、我々の力量不足だと言うのであれば私からは何も言えません」
「そんな! そんな事あらへんよ!! なんでそんな事言うんや!?」
はやては首を大きく振って、シグナムの言葉を否定した。
「申し訳ありません。ですが、私は不安なのです。闇の書の管制プログラム……リインフォースが守った主の命。それを無闇に危険に晒すことなど……私は賛同できません」
「そんな……シグナムはリインの望んだ事分かるやろ? あの子がどんな思いをして生きてきたか知ってるやろ?」
主を守るために選んだ苦汁の選択。
出来ることならリインフォースもこの時間を生きたかったはずだとはやては考える。
望むものを与えられず生きてきて、最後まで運命に縛られる彼女の気持ちを考えるだけで心が痛む。
「知っています。そして、どんな想いで貴女の元を去ったのかも」
「なら──」
「しかし、主を危険に晒すことは彼女も望んではいません」
シグナムの容赦ない一言で、はやては言葉に詰まった。
確かにリインフォースは主を危険な目にあわせない為に、自らを消えることを望んだのだから。
自分の生きる時間よりも、主の安全を選んだリインフォース。
憎い位に……涙が出るくらいにシグナムの言っていることは正論だった。
「どうかもう一度お考えください。彼女が一番に望んだこと。それが分からない貴女ではないはずです」
「でも……」
そう答えるはやての言葉に力は入らない。
「主はやて。我々の事を人として、家族として扱ってくれる事に大変感謝をしています。以前では考えられなかった穏やかな暮らし、それを提供してくれる貴女へは、感謝の言葉だけでは言い表せません」
そう言うシグナムの顔は厳しいといった表情ではなく、本当に感謝を述べる穏やかな顔をしていた。
「ですが我々はベルカの騎士。貴女を守るためにいます。それは家族だろうが変わりません」
騎士としてシグナムがはっきりとさせた事。
主をさまざまな障害から守る。
これは最優先に考えなければならない事だ。
それでも、リインフォースを作るというなら、覚悟をしなければならない。
だからシグナムは……はやてに一つの疑問を投げかけた。
「家族を一人増やす、それはきっと素晴らしいことでしょう。ですが……一つの命を生み出す、その責任を負うことが出来ますか?」
夜天の書が完成した時、誰があのような悲劇を想像できただろう。
知識の宝庫として作られたはずの夜天の書が、闇の書と呼ばれ恐れられる事態を誰が予見できただろう。
誰もできなかったはずだ。
それはもちろん作った本人にも、リインフォースにも、守護騎士達にも。
夜天の書を作った者達がこの事実を知れば、きっと後悔に苛まれるだろう。
生み出す事の責任。それは想像以上に重い。
だからこそ、シグナムは改めて訊き返す。
「主はやて。貴女はそんな重荷を背負えるのですか?」
シグナムが放った言葉は、はやての耳に低く、そして重くのしかかった。
シグナムの目ははやてをじっと見つめ、逃げることを許さない。
ここで視線を逸らすほどの覚悟しかないのであれば、シグナムはきっとデバイスの作成を反対する側に回るだろう。
はやてにはそれが分かった。
しかし、簡単に覚悟を口には出来ないのもまた事実。
今ここでおいそれと覚悟はできてると言っても、売り言葉に買い言葉、子供の意地としてしか見られないだろう。
どんな覚悟をしているか、と問われればすぐに足元をすくわれる。
はやては考える。どうすればシグナムを説得できるかを。
「人一人の命はそう軽いものではありません。先ほども言ったとおり、我々は主に生かされています。つまり、主がその命を終える時、我々もまた消えるのです」
「──っ」
しかし、シグナムはさらに追い討ちをかけるようにはやてに言葉をぶつける。
それははやてにとってあまりにも非情で、だけど反論が出来ないほどの正論で……まるで抗うことのできない現実を見せ付けられたようだった。
そしてシグナムは止めと言わんばかりに、はやてに最後の言葉を放つ。
「生み出すことと殺すことは同意義です。主はやて、貴女に生み出す守護騎士をこの手で殺す、その覚悟がおありですか?」
◇ ◇
はやてが力なく、おやすみなさい、と言って帰った後、入れ替わるようにザフィーラが入ってきた。
そしてシグナムの姿を見るや否や、
「よかったのか?」
と声をかける。
どうやら今までの話を聞いていたようだった。
「言うな」
シグナムはため息混じりに呟く。
ザフィーラはそんなシグナムを黙って見つめる。
視線に耐え切れなくなったのか、少しだけ気を緩めてもいいと思ったのか、シグナムは立ち上がり、窓へと近づいて開け放った。
涼しい夜風がシグナムの髪を揺らす。
「さすがにいささか心苦しいが……後悔はしてない」
風を感じながらシグナムはそう口にした。
「そうか」
「ここを乗り越えられなければ、きっと主はリインフォースの影を追いかけて生きるようになる。彼女を助けられなかった後悔がついて回るようになってしまう。それを避けるためなら……私がどう思われようが構わない」
フェイトと戦って一つ分かったことがある。
戦いを通じて、彼女には覚悟があるのを感じた。
生い立ちが壮絶だったのもあるだろうが、きっと何か譲れないものが彼女の中にあるのだろう。
何がフェイトをそこまでにしたのかは分からないが、少なくとも戦場に立つものとしては十分な覚悟だ。
そういった点で言えば、はやてはフェイトに劣る。
はやてはまだ甘い。理想をかざして現実にある問題を勝算なくこなそうとする。
シグナムにとってそれはとても危なく見えた。
きっと遠くない未来に任務と感情に板ばさみにされる日が来るだろう。
その時にきっとはやては出口のない迷路を彷徨うことになるだろう。
そうならない為に、知っておかなければならないことがある。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。
誰かを助けるためには誰かを犠牲にしなければならない。
ある物を生み出すためには……その物を消す覚悟をしなければならない。
さすがにこれは言いすぎかと思ったが、いや、と考えを改める。
現実はとても非情で、残酷で……それでも現実からは逃げられない。
その事を知ってもらわないといけないのだ。
これくらいの覚悟がなくては、新しい命を作り出すなどということはやってはいけないのだ。
でないと、きっと後悔することになるから。
「損な役回りだな」
ザフィーラはシグナムの心のうちを見透かすように、労いの言葉をかける。
「それでも──きっと主は答えを見つけ出してくれる。お前の苦労も報われるだろう」
ザフィーラの言葉に、シグナムは口元を緩める。
「そうだな、何せ我らが主なのだから」
そう答えて見上げた先には、夜空を覆い尽くすほどの星達が煌いていた。
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