第六話 はやての決意 










「今日の朝ご飯はなんだろうなー?」

朝の洗面所にある大きな鏡に自分の顔を映しながら、ヴィータは一人呟いた。

テーブルに並ぶはやての朝ごはんに期待を寄せて、顔を洗ったり歯を磨いたりする事が、ヴィータのささやかな楽しみ。
真っ白に輝く、ふっくらとしたご飯。味噌汁もご飯の隣でご飯と自己主張で競り合うように湯気を出しているだろう。
そして、なによりも楽しみなのが、ヴィータの大好物であるはやてが作る玉子焼きだ。

そんな朝食を楽しみにしながら鼻歌交じりに歯を磨くヴィータは、端から見れば愛らしい子供のよう。
しかし、そんな風に見えるヴィータも我慢している事があった。

それは……お昼ご飯もはやての手料理が食べたい、つまりははやてお手製のお弁当を食べたいという事。

以前になのはと話したとき…………簡単に言えば、冷めても美味しいのがお弁当なのだと聞いた。
何か色々難しい事を言われた気がするヴィータにとってお弁当とはそういうものだという認識で十分だった。

でも、最近ますます忙しそうにしているはやてに、そんな要求をしては余計な負担をかけたくないと思ったヴィータは、一度もその事を口に出さない。
おそらく、余程の特別なイベントがない限りは今後も口にする事はないだろう。
その代わり、朝ご飯と夕ご飯を心置きなく食べよう、そう思うのだった。








はやてが笑顔でおはようと声をかけてくれる事もいつも通り。
洗面所から戻ってきた時に、ヴィータの目の前に広がる料理たちの美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。

全員が食卓に座り、いただきますと口にしてからヴィータは玉子焼きに手を伸ばす。
他の人たちもそれぞれの料理に箸を伸ばした。

そして、全員が同時に口に含んだ──その瞬間。

「────っ」

しょっぱいという単語さえ発せないほどの辛さがヴィータの口いっぱいに広がった。
楽しみにしていた玉子焼きに何が起きたかは分からないヴィータは、思わず首を竦めてしまう。
飲み物がほしいと思ったヴィータは手元にある牛乳が入ったグラスを一掴みするなり、一気にそれを呷った。

その間約三秒。

口の中の辛味がまだ尾を引いているが、なんとか平静を取り戻したヴィータが周りに目を向けるとそこには、しかめっ面のシグナム、口を真一文字に閉じているシャマルがいた。
床にいるザフィーラを探し見る。恐らく鼻が利くのだろう、どうやら何も口にしなかったようで平然としていた。

全員の反応から見るに、味が濃い味噌汁とか、お米の芯が残っているご飯とか、塩っ辛い玉子焼きなどが食卓並んでいたのだ。
いつもはしないはずの失敗……というかこんな失敗をヴィータは初めて目にする。
おそらくはシグナム達もだろう。その顔に戸惑いなどの複雑な感情を隠せないでいる。

ヴィータは恐る恐るはやてに疑問を投げかけた。

「は、はやて……これは一体……?」

「…………えっ? あ。どういたしまして、ヴィータ」

ヴィータの声に少しだけ遅れて反応したはやては、見当違いの言葉を返してきた。
きっと上の空だったのだろう、ヴィータの話を理解していないことは、今のやり取りで十分理解できる。
そんな空気を察してか、シャマルが慌ててフォローした。

「た、たまには失敗する時もありますよね」

「え!?」

しかし、シャマルのフォローにならない言葉は、はやてに食卓の現状を分からせるには十分だったようだ。
慌てたようにはやては箸を取り、目の前にあるふんわりと柔らかそうな玉子焼きを一口頬張る。その瞬間、

「うっ……」

くぐもった様な声とともにはやての顔色が一変し、目の前にあるオレンジジュースが入っているグラスを掴んで一気に飲み下した。

「けほっ……あかん、なんやこれ。大失敗や……。あーみんなごめん、今日は食堂で朝ご飯食べてきてくれへんか?」

はやては落ち込んだ声でそう言いながら全員を見渡す。
すぐに現状に代わる案を出すのはやはり頭の回転が早いはやてだからだろうか。
はやての指示に従って立ち上がる面々は、誰もはやての事を責めなかった。

ヴィータも、はやても疲れているのだからしょうがない、と思うと立ち上がって扉の前へと歩き始める。
そして、シャマルの後に続いて出ようとする時に、はやてが未だ食卓の席から動いてないことに気付いた。

「はやては行かないの?」

てっきり一緒に行くものだと思っていたヴィータははやてに問いかける。しかし、

「ちょっと食欲なくてな。それにこれの後片付けもせんとあかんし」

そう言って、「行っておいで」と言ってヴィータに笑いかけた。

「じゃぁ、後片付けぐらい──」

「行くぞ、ヴィータ」

ヴィータの言葉を遮るように、シグナムがヴィータの背中を押して強引に部屋を出ようとする。
が、もちろんいきなりこんな事をされて納得のいかないヴィータは、シグナムへ反抗した。

「あんだよ! 離せよ!」

半ば叫ぶような声を出して手を振り解き、ヴィータはシグナムと対峙する。
言われたとおり手を離したシグナムも、はやてを直視できないようにヴィータの視線の前に立った。
二人は静かににらみ合う。
ヴィータは今にも食って掛かりそうな雰囲気であったが、対するシグナムは堂々としているが威圧感を感じる。
一触即発。まさにそんな空気がその場を支配しようとしていた。

しかし、シグナムの背後にいるはやてが、

「ヴィータ。ええ子にせなあかんよ? シグナムもみんなの事お願いな」

そう言ってこの場を治める一声を発する。
その言葉でヴィータはシグナムから視線を外し、扉前に立っていたシャマルを押しのけて部屋を出て行った。
その様子を見たはやては、

「ごめんな……」

謝罪の言葉を口にする。
シグナムはそんなはやての言葉に、

「いえ」

振り返ることもせず、きわめて冷静にそう答えた。
















まだ早い時間なのか、本局の食堂には見渡しただけでも両手で数えられるくらいの人しかいなかった。
そんな中、三人と一匹はまとまって朝食を取り始める。
しかし、その場の雰囲気は決してよくはない。
その場に猫でもいたら一目散に逃げ出すであろう、そんな緊張した場だった。
いつもより目つきを悪くさせて不機嫌そうに……実際不機嫌なのだが、乱暴に朝食を食べるヴィータがその緊張を生み出しているのは他でもない。


「はやてに何かしたのか?」


パンを食べながらヴィータは思っていた疑問を口にする。
が、しかし反応がない。
それもそうだろう、なにせ緊張の震源地はここなのだから。
触らぬ神になんとやら、だ。

「……何かあったのか?」

パンを皿に置き、ヴィータは声を低くして全員を見渡す。
ザフィーラは我関せずといったようにご飯を食べている。
シグナムも同様に一切表情を変えずに味噌汁を啜っている。
シャマルは他とは違い、少し気まずそうな顔をしながらおかずを食べていた。

「なんとか言えよ!!」

「うるさいぞ、ヴィータ。食事の場だ」

ますます声を荒げるヴィータを、シグナムは相変わらずヴィータを見る事をせずに、一喝した。


「うっせーな! なんか知ってんなら教えろよ! はやてが心配じゃねーのかよ!!」

腹の虫が収まらないヴィータは激昂しながら立ち上がり、シグナムへと睨みをきかせた。
他の人たちが何事かとヴィータの方を見ているが、そんな事気にもならない。
納得がいかないこと、はやての美味しい朝食が食べられないこと、何より最近面白くないことが続いていること、それらがヴィータの心の導火線を短くしているのは言うまでもない。

目つきの悪さが際立って、今にも暴れだしそうな雰囲気を漂わせている。
ヴィータの怒りが今にも爆発しそうなその直前。

思わぬ人物が口を開いた。

「落ち着け、ヴィータ。主は今悩み、答えを探しているのだ。今は何もしない事が最良の選択肢だ」

意見があるか問わねば基本自ら意見をしないザフィーラが、淡々とそして簡潔にヴィータに言う。
それは、暗に『何も手を出すな』と言っていることと変わらない。
しかし、有無を言わさぬような威圧感をザフィーラから感じて、ヴィータは黙って腰を下ろした。
目つきが変わっていないところから見るとまだ納得してないのだろう。

ザフィーラはその様子を見守った後、

「……が、しかしシャマル。今日の朝ご飯を炊いたのはお前だろう。それを隠すというのは褒められた事じゃないな」

青い狼はなるべく目立たないようにか、小さくなっていたシャマルへと顔を向けて、そう言い放った。
その言葉を受けて、ビクッと肩を震わせてシャマルが顔を上げる。
それと同時に味噌汁を啜っているシグナムもお椀を置き、

「そうだな。どさくさにまぎれてあのご飯も主はやてが作ったものだと思わせるというのはどういう了見だか訊く必要があるな。 シャマルどういう事だ?」

そう言って加勢をする。

「その辺りの弁解を聞こう」

ザフィーラとシグナムは徐々に視線を細めて、シャマルへと問い詰める。
そして、とうとう視線に耐え切れなくなったシャマルは、

「だって……だって、言うタイミングが見つからなかったんだもーん!」

半ば自棄、半ば観念といった様子でシャマルはそう告白した。
それに対してシグナムは、

「素直にその場で言えばタイミングなど問題ではない」

一言でシャマルの言い訳を切り捨てた。

「そもそも──」

そしてさらに、シグナムはシャマルに説教を始める。




ヴィータはそんなシグナムの声を遠巻きに感じていた。

シグナムの態度の意味が分からない。
ザフィーラの言葉の理由が分からない。


──なんで……。どうして……。悩んでるならなんで手を貸さないんだ……?


ヴィータは、自分はどうすればいいのかが分からなくなった。

隣でシャマルが言っている泣き言も、シグナムの説教も、ヴィータの耳には届かなかった。













     ◇     ◇








「さて、今日も一日頑張るとしますか!」

部屋を出て一言、ユーノはそう気合を入れて歩き出した。
時間はもうすぐで朝の九時。いつもと変わらない出勤時間。
今日はどの資料をどの程度まで整理をしようかと考えていると、前方に見慣れた人影を見つけた。

「おはよう、はや……て?」

声をかけようとしたユーノは、はやての様子がおかしい事に気付いた。
というのも、車椅子を動かしているように見えるのだが……はやての目前には壁が迫っていたから。
このままではぶつかってしまう、ユーノは考えるが早いか、駆けつけようと一歩を踏み出した。

しかし、すでに遅かったようで、一歩目を踏み出した時にはもうはやては車椅子を壁にぶつけてしまっていた。
その衝撃で自分が何をしていたのか気付き、はやては恥ずかしそうに周りを見回す。
そして、

「あ……」

当然の事ながら、後ろを歩いていたユーノと目が合った。

「お、おはよう」

なんと言ったらいいのかとっさに言葉がでないはやてに代わって、ユーノは何とか頬の緩みを隠しながら挨拶をした。

「あはは、うん。おはよう」

はやては車椅子の向きを直しながらユーノにつられて、挨拶を返す。

「えーと、大丈夫?」

やはり今の出来事が気になってしまうユーノは、はやてに問いかけた。

「大丈夫、大丈夫。えらい恥ずかしいところを見られちゃったな。これ内緒にしといてな?」

照れるように頬をかきながらはやてはユーノにそう言う。
しかし──、

「それはいいんだけど……はやて?」

ユーノははやてに少しだけ違和感を覚えた。

「うん? どうしたん? ユーノ君」

それは何なのかは分からないけど以前に感じた……そう、あれははやての誕生日に感じた違和感。

「あ、いや……」

話をしているはずなのに、どこか遠く感じる。

「そう? あ、じゃぁわたしもういかな……。また今度な、ユーノ君」

そう言って笑みを送るはやての笑顔──。
その笑顔を見たときに、ユーノはハッと気がついた。

どこか作ったような笑顔。
誕生日の日、ユーノと気まずくなった後、部屋を出る時に見せたあのぎこちない笑顔。



──もしかして……。



確信はなかった。
それはただの直感。
でも、そうかもと思った時にはすでに足が動いていた。


ユーノははやての遠ざかろうとする背中に追いつき、

「はやて! 何か悩み事があるんじゃないか?」

はやての目の前に回りこんではやてに声をかける。

「えっ?」

驚いた顔をしてユーノを見つめるはやては、目に少しばかり動揺を浮かべたがすぐにそれを隠し、

「そんな、なんもあらへんよ?」

そう笑った。

ユーノが違和感を持ったあの笑顔で。



ユーノはそれが悲しかった。
今まで一人で生きてきたから持っている強さ。
仲良くなれたはずなのに、その強さのせいで一人で何かを背負おうとしているはやて。
少しでも頼ってくれるかな、そんな期待が少しはあった。
だからだろうか、ユーノは無性に寂しく感じる。

それと同時に、作ったような笑顔でユーノに笑いかけてくる事が悔しかった。
あの時のような気まずい雰囲気にはもうしたくない。いや、そうじゃない。
もっと違うなにか……それはどう言えばいいか分からないが、とにかく──。


ユーノは少しの葛藤の後、

「はやて、困ったことがあったら言って欲しい。僕じゃ頼りにならないかもしれないけど……はやての力になりたいから」

──はやての力になりたい。

それはユーノの中にある渦巻いた考えの中で形作られた想い。

──そうか。僕は、はやての力になりたいんだ。

口に出して言ったことで、自分の考えがはっきりと自覚できた。

そしてそれと同時に、ユーノはしまった──と考える。
もし、これで本当に何にもなかったらまるで……。

「話……聴いてくれるか?」

ユーノのさらなる葛藤を他所に、はやては俯きながら呟いた。

「えっ?」

「今日の夕食の後……、あの訓練部屋で待ってる」

そう言ったはやての声は真剣だった。

「……分かった」

ユーノは出来る限り誠意を込めた声ではやてに応える。
その声に安心したのか、はやてはユーノに視線を向ける。

「おおきにな」

そう言ったはやての笑顔は力なく感じられた。










     ◇     ◇










「シグナムがそんな事を……」

昨日起きた出来事の一部始終を聞いたユーノが呟いた第一声は、ため息と共に吐き出された。
はやての意思に応じるだけでなく、はやてを第一優先に考える事が彼女達の存在意義。
ユーノは、だからか、とシグナムの言い分に納得をした。

「私……リインを作ったらあかんのかな……」

よほど困っていたのだろう、はやては力なく下を向いてそう呟いた。

その姿はまるで捨てられた子犬のように寂しげで……今にも倒れてしまいそうなくらいに蒼白な顔をしている。
だからだろうか。目の下にクマがあるのがハッキリと見えてしまう。
夜も眠れないくらいに悩んだのだろう、はやての気持ちを考えるとユーノは少しだけ胸が痛んだ。

「はやてはリインを作りたいんじゃなかったのかい?」

「そうやけど……でも……」

そう言ってまた俯いてしまう。

今はやてが囚われているのは、思考の迷路。
様々な問題に答えを出し、自分の意思が定まらないと抜け出せない厄介な迷宮。
ユーノは焦らずに優しく、はやてを迷路の出口へと誘う決心をする。

「はやて」

「……なに?」

応えるはやてには力がなく、弱々しかった。


だからかける声は優しく。


しかし、力強く。


彼女の力になるために。



「確かに、一つの命を作ることは大変なことかもしれない。でも……」

「でも?」

「はやてが悩む必要なんてないはずだよ?」

「えっ?」



そう。悩む必要なんてない。

今まで他人に頼るということをする機会がなかったはやて。

近しい友達がいなかったはやて。

だからきっと苦しい時の、助けて欲しい時の友達への頼り方が分からないんだ。

なら、教えてあげればいい。

僕達から手を伸ばせばいい。

僕達が彼女の手を取ればいい。

こんなに考えて、塞ぎ込む前に、頼ることの大切さを教えてあげればいい。


──僕らは──。




「だって、僕達がいるじゃないか」




──仲間なんだから……。




ユーノははやてへ手を伸ばした。









     ◇     ◇







「はやてが悩む必要なんてないはずだよ?」


そう告げるユーノの口調は軽く、しかしはやての胸に確かに響いた。

見上げたユーノの顔は優しく、温かな笑顔ではやてに視線を注いでいる。
その様子にはやては息が詰まるのを感じた。


──トクン。


胸の鼓動が一気に加速するのを感じる。


──悩む必要がない?


一体どうしてそんな事が言えるのか。
分からない。
探しても探しても見つからないこの答えを目の前のユーノは持っているというのか。

はやては戸惑いを覚えた。
それと同時に、


──トクン、トクン。


心臓の音が煩くなっていく。
一体自分の体はどうしたというのだろう。

そんな事を考えているはやてにユーノは言葉を続ける。



「だって、僕達がいるじゃないか」



そう言って伸ばしたユーノの手が目の前に迫る。
その手は決して大きいとは言えないが、不思議と見ているだけで安心が出来る。


「はやては一人じゃない。困ったことも、悲しいことも、リインフォースを作ることもみんなで力を合わせれば大丈夫」


そう言ってユーノは屈託のない笑みではやてに笑いかけた。

その笑顔に、


──トクン。


はやての胸は高鳴る。


「新しい命も僕らで守る。もちろんはやても──」

「ええんかな……?」


やっとの事で搾り出したはやての声は、緊張と戸惑いが入り混じっていて震えていた。


「頼って……ええんかな?」


ユーノはその言葉に笑顔で頷く。

はやては少しの間ユーノの手を見つめていたが、やがて恐る恐るといったように手を握った。


「私……どうしたらええと思う?」

「はやては自分のやりたいようにやればいい」

「やりたいように……」


はやてはそう呟くと手を顎に当ててしばし考える。


──私のやりたいことはリインを……違う。そうだけど、そうじゃない。そうじゃなくてもっと……。


はやてが考える中、ユーノは一言。


「はやて。自分が幸せだと思える事を考えればいいと思うよ?」

「自分の……幸せ?」

「そう、確かにリインフォースを作るというのはシグナムの言うとおり危険だし、大変だと思う」


その言葉を聞いて、はやては少しだけ肩を落とした。


「でも、それを吹き飛ばすくらいに、『リインフォースを作ってよかったと思える瞬間』があればいいと思うんだ。作った後でリインフォースとどうしたいか。リインを作ったことではやては幸せになれるのか? それを考えればきっと答えが見つかるよ」


「そう……なんか?」

はやては少し不安そうにユーノを見る。
その様子を見てユーノは、

「じゃぁ、はやてに一つ質問」

最期の一押しをした。



「自分の幸せを守れない人が他の人を幸せに出来るのかな?」


「あ……」



その言葉を聞いて、はやては『あの時』の光景を思い出した。

目の前に広がるのは空から冷たい結晶が舞い降りる一面銀世界。
その中で、自分の幸せを守って消えていったリインフォース。
その時の彼女の顔を思い出す。


──他人の幸せ……。そうや、リインフォースは自分の幸せを守った。一緒にいられる不幸より、自分の幸せを自ら選んで──。最期は笑ってた。


そう思ったとき、目の前に光が差し、視界が開けたように感じた。


──あぁ、そうだったんだ……。私は──。


そして、一筋の涙がはやての頬を伝った。










     ◇     ◇









「じゃぁ、はやてに一つ質問」



実を言うと、ユーノはこの言葉を言おうかどうか少しだけ躊躇っていた。

なぜなら、この言葉は諸刃の剣だから。


迷宮の出口の近くにいる人にこの言葉を送れば、迷宮から出られる最後の一押しになるかもしれない。
だが、未だ迷いがあるようであれば、更なる迷宮へと迷い込ませてしまう2面性を持ってしまう。

迷いがなければはやてはきっと強い意志を持って、迷宮を脱せるはずだ。
しかし……迷っていたら、はやてはリインフォースの作成自体を諦めてしまうだろう。


だから言おうかどうか躊躇っていた。


でも、はやてなら──この言葉の意味を理解してくれるはず。


そう願い、言う決意をした。



「自分の幸せを守れない人が他の人を幸せに出来るのかな?」


「あ……」



はやての様子から手応えを感じた。

きっと彼女なら……理解してくれるはず。


その時、はやての目から一滴の涙が零れ落ちた。


「はやて!?」


一体どうしたというのか、ユーノは慌てたようにはやてに呼びかける。
すると、

「ううん、なんでもあらへんよ。大丈夫。ありがとうな、ユーノ君」

はやては涙を拭い、ユーノに照れたように笑った。
その笑顔に先ほどまでの翳りは見えない。

「私、分かったんよ。自分が何をしたいんか」

そう言うはやての瞳には力強さが宿っていた。


──良かった。


はやての瞳に力が戻った。
絡まる思考の迷宮からはやては出られたのだ。


「いい目になったね」

「ユーノ君のおかげやな! ありがとう」

「僕は……あ、いや。これからもどんどん頼ってきていいよ」


──そう。謙遜するよりは、はやてに頼られる人にならないとね。


「そうそう、後もう一つシグナムを説得する一言があるよ」

「なんや? 教えて教えて!」

はやては本当に嬉しそうにユーノに訊く。

「自分だけじゃ魔力制御しきれないから、そのサポートの意味を含めてって言えばどうかな?」

ユーノは笑顔でそんな事を言う。
今のはやては本当に大丈夫なのか。それを確かめるためにも。

「確かに……って、こらっ! 人の努力を無駄にすること言うたらあかんよ!」

はやての反応はユーノの予想以上の出来だった。
これならきっとシグナムの前でも大丈夫。
そう思うと、ユーノは、

「そうだね。あはは」

嬉しそうに、笑った。

「そうやー」

つられてはやても笑顔に。
そしてユーノとはやては二人で笑いあった。


しばらくして、

「じゃぁ、私シグナムと話してくる! 今日はほんまにありがとうな!」


そう言ってはやては待ちきれないといったように、部屋を出て行った。


「良かった……本当に」


ユーノはまだ手に残るはやての温かさを感じながら、そう呟いた。








     ◇     ◇







「シグナムおるか?」

はやてが部屋に帰ってきての第一声はそれだった。

いつもこの時間にいるシャマルはどこかへ出かけたらしく、居間にはザフィーラとシグナムが静かにテレビを見ていた。
はやてが帰ってきてもお迎えが来ないということは、ヴィータはきっと部屋で寝ているのだろう。

「はい、なんでしょうか?」

シグナムは静かに立ち上がり、はやてへと体を向ける。

「私は……やっぱりリインを作る!」

「そうですか。覚悟をお決めになったのですね」

シグナムは冷静にはやての言葉を受け止める。
そして、口を開こうとした時、はやてが先に言葉を発した。

「いや、一日で覚悟なんてそうそうは出来ないと思っとるよ」

その言葉にシグナムは眉間を寄せた。

「では、一体どのようなおつもりでそのような事を?」

はやてはシグナムの言葉に一呼吸置いて、真っ直ぐに答えた。

「私の話、聞いてくれるか?」

「……はい」

「ありがとう」

はやては微笑み、はやり何だかんだ言ってもシグナムは優しい人だなと思う。
はやてはシグナムの立つ方へ移動して、

「とりあえず座ろ?」

はやてがシグナムに座るように促す。

「……失礼します」

シグナムも相変わらずと言ったように一言断りを入れて座った。
ソファーに座るシグナムとシグナムに向き合うはやて、そしてはやての足元にはザフィーラ。
それぞれの場所を眺め見て一回だけ頷き、はやては話を始めた。

「私な、リインフォースに拘ってるんよ。それは否定できないし、する気もない」

「はい、それは分かっています」

あまりにも直球なシグナムの言葉に苦笑いをしながら、はやては言葉を続ける。

「私、リインフォースが憧れだった。それにさっき気がついたんよ」

「憧れ……ですか?」

「そう、自分の幸せとみんなの幸せを両方取りしたリインフォースを私は尊敬してるんよ」

シグナムは戸惑いながらも、はい、と頷く。
シグナムから見て、はやての顔はとても清々しく、生き生きしているのが分かった。

「リインフォースはまだこの中にいる」

そう言ってはやては目を閉じて自分の胸に手を当てる。

「私のリンカーコアには、リインフォースの魂も溶け合ってる」

「はい。リインフォースは融合騎でしたからそうなっても不思議ではないでしょう」

「うん、だから私のリンカーコアをコピーすれば、それは私にも、リインフォースにもなれる」

「それは……些か極論かと思いますが……」

「それでも、私はリインフォースにさせる……ちゃうな、リインフォースとして育てたいと思ってる」

シグナムははやての目に強い意志を感じた。
おそらく、本気なのだろう。

「尊敬するリインフォースを目の前に置いて目標にする。それは私の中での戒めみたいなものや」

「それは……」

「うん、分かってる。後悔とかそんな後ろめたい戒めじゃない。いつかリインを追い抜けるくらいたくさんの人を幸せにするっていう目標や!」


それは以前より思っていたこと。
どうすれば人を救えるのか、そればかりを考えていた気がする。
それが今、はっきりと具体性を帯びてはやての目標となった。


「確かにこれは私のわがままかもしれへん。でもな、言われたんよ。自分を幸せに出来ない人が他人を幸せに出来るの? って。確かに一つの命を作るには責任が大きいかも知れへん。私一人じゃ出来ない事もたくさんある。でも……」


はやては一段と力を込めて、シグナムに言い放った。


「私には、みんながいる。シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ……なのはちゃんやフェイトちゃん。そしてユーノ君も……。みんなの力を貸して欲しい。そうすれば私は大丈夫や!」



はやてがそう言い終わると、シグナムは腕を組み、目を閉じてそのまま黙ってしまった。










「…………」

シグナムははやての言葉を吟味する。


責任から逃げない、リインフォースを作ることに意味を見出す。
一人だけでは無理なことも他のみんなと共にいるならば頑張れる。
昨日のはやてには絶対に導き出せない答え。
それを一日で、しかもこのような答えを出してきたことに、シグナムは内心で驚嘆していた。

──まさか一日でここまで成長されるとは。

シグナムは素直に心の中ではやての評価をした。
これならば昨日の心残りも杞憂になる。

自分自身で答えを出せなければ仲間に頼る。
なんと聞こえは簡単で難しいものか。
自らの悩みを人に打ち明けることは、双方の信頼があってこそ。
しかし、それが主の出した覚悟の答えならば……全力で支えるのみ。


シグナムはそう結論を出すと、目を開いた。









「ダメ……なんか?」

シグナムの様子を見て、少し不安になるはやてだったが、自分の意思は曲げたくない。
そう思ったとき、シグナムが口を開いた。

「…………主はやて」

「なんや?」

真剣なシグナムの声に、はやては主として、夜天の王として返事をする。


「そこまでの決意をしたのならば、私は全力であなたをお守りします」


「シグナム……!!」


はやては歓喜の声でシグナムへと抱きついた。
シグナムははやてを優しく抱きとめ、主へと一日ぶりに笑顔を見せた。

「ありがとうな! シグナム……」

「いえ。それより、一日でそんな考えに至るとはさすがは主です」


その言葉を聞いて、はやては照れくさそうに答えた。


「実はな、ユーノ君に相談したんよ。本当にどうすればいいか分からんかったから」

「そうでしたか」

「最初は相談する気はなかった。私自身の問題やから。でも」

はやてはそこで言葉を切って、シグナムへと微笑む。


「ユーノ君が力になりたいって言ってくれたから……」


あの時、とても嬉しかった。
誕生日のあの日から、ユーノとより仲良くなってから、ユーノの声が心に響くようになった。
そして、


──トクン。


また静かに鼓動が波打つのを感じた。










     ◇     ◇









はやてが静かに眠りについた後、隣に寝ていたヴィータが目を開ける。

先ほどははやてが帰ってきたときに部屋を出ようとしたが、どんな顔をしてはやてに会えばいいか分からなくてそのまま部屋に留まってしまったのだ。
しかし、そのおかげかはわからないが、はやての話を聞くことができた。

「はやて……」

隣で静かな寝息を立てているはやてを見つめて先ほど聞こえてきた言葉を思い返す。


──みんなの力を貸して欲しい。


そう言ってくれた。
自分達を必要としてくれた。
それが素直に嬉しかった。


でも…………。


──ユーノ君に相談したんよ。


その一言が頭から離れない。

どうして自分に相談してくれなかったのか。

そう考えても自分自身、ザフィーラに言われてどうしたらいいのか分からなくなったのも事実。


──あたしは……はやての役に立ってないのか?


最近思い始めている事が頭の中をかすめる。

居間からはシグナムとシャマルの声が聞こえる。


──主の初めての我がままに振り回されるのも悪くない。


そう、聞こえた。


シグナムはなんとも思っていないのだろうか?

ヴォルケンリッターではなく、ユーノに相談を持ちかけていることを。

頼りにされるはずのヴォルケンリッターは……自分達はどうすればいいのか。



そんな事を考えながら、ヴィータの意識は夜の暗闇へと沈んでいった。




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