第3話  願い





──  春  ──



約束の日曜日。


「あさ〜あさだよ〜」


気の抜けそうな目覚ましの音を聞いて、祐一は眠りから目覚めた。

手始めに、ベッドの側で鳴っている目覚まし時計を止めて、気だるい体を起こす。

寝起きの頭でボーっと呆けていると、もう一度寝ようかな、なんていう考えが頭をよぎった。しかし、


──約束ですよ。


太陽のような温かい笑みで、嬉しそうにそう言ってくれた子の声が、祐一のささやかな欲望を吹き飛ばした。

目覚まし時計の針を見ると8時半を指している。

約束は10時に駅前。

祐一は、ゆっくりとした動作で布団から抜け出し、ガラス戸に近づく。

そしてガラス戸を開けた途端、祐一は外からの冷ややかな風を体いっぱいに受けた。


「うぉっ……さむっ」


寝ぼけた頭でも、感じたことが反射的に口に出る。そして同時にすぐ、ガラス戸を閉めた。

春がもう終わり、もうすぐ夏が訪れるというのに、この町は今の時期でもまだ、空気が冷えていた。

やはり前にいた町とは違うのだなと、祐一は改めて実感するのであった。




その後、パジャマから私服に着替え、部屋を出ようと扉のノブを回す。

扉を開けると、そこには秋子が洗濯籠を持って歩いていた。

祐一の部屋の扉の音に気付いた秋子は、祐一の方へ向き直る。

そしてすかさず、祐一は、


「おはようございます。秋子さん」


と朝の挨拶を行った。

そして、祐一の行動に、秋子は微笑み、空になっている洗濯籠を床に置き、


「おはようございます。祐一さん」


毎朝変わらない朝の第一声。それを楽しそうに、嬉しそうに秋子は答えた。


「今日も相変わらず寒いですね〜」

「そうですか?今日は暑いほうなんですけれど……」

「そうなんですか?」

「えぇ。でも、冬の寒さに比べたら全然マシですけれど」

「この時期にあんな寒さだったら、冬眠していた連中もまた寝込んでしまいますよ」

「ふふっ、そうですね」


いつものように手を頬に当て、笑顔で祐一の話を肯定した。


「まぁー今でも冬眠している奴はいますが」

「はい?」

「そこの部屋の住人ですよ」


祐一は右手親指で隣の部屋を指差しながら呆れるように答えた。

祐一の意図を理解した秋子は微笑み、


「あらあら。それじゃぁ、冬眠から目覚めさせてきてください。すぐにご飯の支度をしますから」


そう言って、秋子は階段を降りていった。


「分かりました」


秋子の言葉にすぐ返答をした祐一は、名雪の部屋の前に立ち、ひんやりとしたドアノブに手をかけた。






寝ぼけ眼の名雪とともに朝食を取った祐一は、少し時間があったので、居間でテレビを見て時間を潰すことにした。

テレビをボーっと見ていると、やっと目が覚めた名雪がやってきて、祐一の隣に腰をかける。

そして、退屈そうにテレビを見ていた祐一に、


「今日はどこかにお出かけ?」


と、名雪が声をかけた。

名雪の言葉に、祐一はテレビを見ながら答える。


「あぁ、栞とな」

「そっか〜。いいなぁ〜私も栞ちゃんと遊びたいな〜」

「今度遊びに誘ってやったらいい。きっと喜ぶぞ」

「分かった、今度誘ってみるね」


声を弾ませて名雪がそう言うと祐一は、


「さて、じゃー行ってくる」


そう言って立ち上がり、


「いってらっしゃ〜い」


笑顔で見送る名雪の声を背に受け、居間を後にした。




玄関から一歩外に出ると、太陽の光を十分に取り入れた温かい空気が、祐一を迎えた。

時間を確認すると、祐一は目的地に向けて歩を進める。

今は9時40分。

ゆっくり歩いても間に合う時間だった。

駅までの道のりを歩いていると、初めてここへ来た時のことを少しだけ思い出す。

あの時は、周りを見る限りどこも雪で一色だったが、今は違った景色を楽しむことが出来る。

アスファルトにある小さな小石、小枝、散り落ちた葉っぱ。

この町の四季のうち、2つの季節の違いを楽しみながら祐一は、


──今年の夏はどうなるんだろうな。


そう思うのであった。



やがて、駅の近くに近づくと駅ならではの喧騒が耳につくようになってくる。

周りを見渡すと、祐一は、駅前のベンチに栞が座っているのを見つけた。

今日の栞はシンプルに薄い水色のワンピースを着ている。

その姿はとても涼しげで、風になびく髪がさらにその印象を強くしていた。

祐一は、栞の場所へと歩を進める。

顔の輪郭が分かるようになる所まで近づいた時、栞の様子が少し違うことに祐一は気がついた。

栞の顔は、真顔で、それでいて目つきが真剣で、その視線は地面の一点を見つめている。

緊張、しているのだろうか?


──どうしたんだろう?


そう思うと祐一は少し心配になったが、とりあえず今はいつも通りに声をかけることにした。

そんな祐一の考えなんてどこ吹く風。彼女の真剣な眼差しの理由を、祐一はすぐ知ることになる。


「よっ。待ったか?」


栞は祐一の声に反応して、とっさに顔を上げた。

そして、


「祐一さん!! 今日、遊園地に行きませんか!?」


そう言った栞の目は期待で満ちていて、楽しみが滲み出るくらいの笑顔で、栞は祐一へと想いを伝えた。







     ◇     ◇







二人が電車を乗り継いで辿り着いた先は、この地域でもっとも人気のある遊園地スポットだった。

すでに遊園地はの入り口にはたくさんの人がいて、人々の絶叫や楽しげな音楽が聞こえてくる。

青い空と白い雲の下、遊園地入り口は絶え間なく人が吸い込まれていく。

そんな人ごみの流れに乗るように、祐一と栞はチケットを買い、無事に中に入ることに成功した。


「わ〜中も人がたくさんいますね〜」

「そりゃ〜今日は日曜日だからな」

「みんな楽しそうです」

「栞も十分楽しそうに見えるぞ?」

「子供もたくさんいますね〜」

「お前も負けてないぞ?」

「……どういう意味ですか?」

「楽しそうって事さ」

「やっぱりそう見えます?」


あはは、と笑いながらもキョロキョロと辺りを見回したり、今すぐにでもその場で踊りだしそうで落ち着きがなかった。

祐一たちの最初に向かった場所は、入り口のすぐ先に『ご案内』と書いてある看板のある建物だった。

案の定、そこにはこの遊園地の一覧が載っている地図が所狭しと並んでおり、祐一はそのうちの二つを抜き取った。

そして、その内の一つを栞に渡して地図を広げる。

そこには見たことのない地名、名前のオンパレードだった。

一瞬にして見る気を失った祐一は、地図を折りたたみ行く場所に関しては栞に一任する事にした。


「まずはどこに行こうか?」

「ジェットコースターに乗りたいです♪」


栞の満面の笑みに、祐一はその表情を凍らせた。


──栞にジェットコースターなんて過激な乗り物に乗せて大丈夫なのか? もし変な負担がかかって倒れでもしたら……。


そんな祐一の考えなどお構いなしに、


「行きましょう〜♪」


言葉とともに、栞はどんどん先へと進んでいってしまう。


「栞!! こら、待て!!」


祐一の声は周りの絶叫マシンに乗っている人々の叫び声にかき消されてしまう。

栞の小柄な体は、人ごみの群れの中をいとも簡単にすり抜け……と言うか流され、祐一はあっという間に栞の姿を見失ってしまった。

あまりにもお約束な展開に祐一は呆れ、いつもなら絶対に側を離れない栞が逸れてしまった事で、


──周り見失うとは、よほど楽しみにしていたんだな。


と祐一は微笑をこぼし、そう思った。

そして


「さーて、いっちょ探すか」


この遊園地にジェットコースターは3つ。

祐一は先ほど閉じた地図を再び広げ、まずは一番近い『ロックコースター・セカンドジェネレーション』を目指して歩き出した。







     ◇     ◇






「わ〜大きいです〜」


栞は『スノーコースター・ウィンターストライク』を目前にして、足を止めた。

目の前には大きな看板が圧倒的な存在感でその場に佇んでいる。

どこから見ても直径10メートルはありそうなとてもでかい雪だるま。栞が足を止めるのは必然だった。


「う〜ん……。これくらいの雪だるまを作るにはどうすればいいんでしょうね、祐一さん」


そう言って栞は振り返った。が、そこに祐一の姿はどこにもない。


「えっと……、あれ? 祐一さん……??」


栞のつぶやきは細く、周りの人ごみの中へと消えていく。

少しだけ考えるように人差し指を口元に当てて、


「祐一さん、なんだかんだ言ってはしゃいで逸れちゃったんですね。祐一さんも十分子供です」


栞はため息をつきながら、一人つぶやく。

そして、祐一からもらった地図を取り出した。


「ここら辺で一番大きそうなのは……これですね」


そう言って頷くと、栞は地図をポケットに戻し遊園地一番奥にある『ホラーコースター・ビックバンサプライズ』を目指して歩き始めた。






     ◇     ◇






「なんだ……これは…………」

祐一の目の前に広がる光景。入り口にいた人の量なんて目ではないくらいの人の群れ。

50メートルくらいの列が3重に折り重なっていて、最後尾らしき場所にも後ろに人がどんどん続いていく。

祐一はそれを見るだけで気が滅入りそうだった。

地図をもう一度見直し、今ここの場所が正しいことを把握する。

どうやらこのジェットコースターで人気度NO.2らしい。


「人気一番のジェットコースターになるとどうなるんだ?考えるだけでも恐ろしい……」


そうつぶやき、ここに来た目的を思い出す。


「栞〜? どこだ〜!?」


そう叫びながら辺りを見て回るが、祐一の声は周りの騒音、叫び声などにやはりかき消されてしまう。

祐一はすぐに、これは効率的ではないなという考えが過ぎった。

しかし他に有効な策があるわけもなく、仕方なく祐一はそのまま歩きながら栞を探す事にした。



そして5分後、ここら辺にいそうにないと思った祐一は再度、地図を出して確認する。

そして一つ一つのアトラクションを確認していくうちに、地図の左側にある一つの絵が目に入った。


「……ん? この『スノーコースター・ウィンターストライク』って言うのは雪だるまの看板が目印なのか……」


祐一は『雪だるま』という言葉にピンと来た。

おそらくここに栞がいるだろう、祐一は確信を持って頷く。


「もっとよくこれ見ておけばよかったな。多分ここにいるだろう」


そう言うと、遊園地の中心からちょうど反対側にある雪だるまの看板を目指して歩き出した。






     ◇     ◇





「ふぅ……」


人ごみを掻き分け、ようやく目的地に辿り着いた栞の目に映ったものは……やはり溢れんばかりの人の群れ。


「えっと……」


50メートル四方の囲いのような場所に、一番人気のジェットコースターを楽しもうとしている人が所狭しと並んでいる。

その周りには興味本位で見物に来ている人が、ジェットコースターの周りで楽しそうな声を上げている。

もちろんそのさらに外側は、移動する人の流れが出来ていた。

そんな光景を呆けて見ていた栞は、深くため息をつく。


──見つからない。


そんな考えが栞の頭を過ぎる。

上下する胸の動きに合わせ、耳に付く自分の鼓動がうるさい。

そして思った以上に手がじっとりと、汗ばんでいることに気付いた。

少し疲れが出たのかもしれない。

もともと病弱で寝たきりの生活を過ごしてきた栞にとって、遊園地は体力的に少しハードルが高いものだったようだ。


目の前がちかちかして眩しい。


頭が少しだけクラクラして微かな痛みを持っている。


──祐一さん……。


そう、心の中で呟く。


困っている時に颯爽と現れて助けてくれる、ヒーローの存在を願った。


ドラマの中で、逸れてしまったヒロインを見つけて抱きしめてくれるヒーローを求めた。


あの冬、栞のヒーローになった祐一が助けに来てくれる……そう信じた。





そして栞の体からふっと力が抜け、ゆっくりと……地面に倒れた。












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